ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

反改憲!【条約より憲法が上】コミュの人民主権の確立がすべてだ。そこ以外に日本人民の明日はない。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
■防衛省、長距離攻撃の装備次々=極超音速兵器も研究−敵基地攻撃能力、既成事実化
(時事通信社 - 10月15日 07:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5331371

【1】【人民主権の確立がすべて】

自衛隊は憲法違反。人民主権の確立してない我が国に暴力装置をシビリアンコントロールする能力なし。

自衛隊が憲法違反であることの上塗り。こんな暴力装置は我が国の憲法は認めない。

たとえ我が国の憲法が暴力装置を認める憲法に改憲されても、人民主権の確立してない我が国に暴力装置をシビリアンコントロールする能力なし。

安倍晋三の暴走さえ止められない我が国が、どうして軍隊の暴走をコントロールできようか。


【2】【軍事か外交か】

軍事力で我が国の人民の自然権は守れない。確固たる人民主権を基盤にした「外交」で我が国は戦争を回避する憲法を持つ。

それが我が国の生きる道だ。人民主権を確立して「外交」により平和を構築する。
紛争の火種も 人民主権を確立して「外交」により紛争解決する。

我が国の憲法は、また、いかなる軍事条約も、軍事条約を守るという目的を法益とするいかなる立法をする事も認めない。

我が国の憲法は、軍事に対する政治(外交)の絶対優位を保障する憲法だ。

軍事力では我が国の人民の自然権は守れない。確固たる人民主権を基盤にした「外交」で我が国は戦争を回避する憲法を持つ。


【3】【我が国の憲法は、「軍事力」の代わりに「自由」がある】

そのことを検証してみよう。

【3】−1.【自由の実力】

条件など付けた「自由」は、「自由」ではない。それは【自由を認めない】ということだ。
条件など付けた「自由」、そんな「偽物の自由」で、権力の暴走を人民は止められない。

憲法で保障する「言論の自由」「表現の自由」というのは、もとより、自然権であり、
憲法21条で人民が国家に保障させた「言論の自由」、「表現の自由」には、もとより、条件などない。

(注:公共の福祉などで自然権を制限できない。

たとえば黙秘権という表現の自由を見ればいい。
黙秘という表現の自由より上に「公共の福祉」なり「公の秩序」などという概念が上に来れば拷問も復活する。
「公共の福祉」というのは、ここに市民生活のための道路を作りたい、というようなときに、「すみませんが、あなたの私有財産をこの市民的公共の為に対価を払いますから譲っていただけませんか」というような、低級なレベルの人権(私有財産権)に対するようなものであって、けっして、「言論や表現の自由という高級な基本的人権(自然権)」を制限する概念ではない。
公共の福祉などという自然権はないのだ。
絶対に公共の福祉などより個人の自然権が上なのだ。このことは後に言及する。)

なぜ憲法21条の自由に条件がないのか。
条件など付けたら【自由を認めない】ということになるからだ。
自由が死ぬからだ。
自由が力を発揮できないからだ。
自由でなくなった自由に、権力に対抗する力などない。
そんな「偽物の自由」で、権力の暴走を人民は止められないからだ。

では、「自由」であれば、どういうことが起こるか見てみよう。


自由があれば、人民はこの「言論や表現の自由」により、
人民の視点で忌憚なく人民は強大な国家権力を攻撃できる。

すると、たとえ初めは少数意見であっても、多数意見に成長する可能性がこの「言論の自由」により保障される。巨大な「人民の視点」の世論が樹立する。

「言論の自由」「表現の自由」が、巨大な「人民の視点」の世論を樹立したら、もはや国家権力が無視できなくなる。
巨大な「人民の視点」の世論を無視して暴走を続ければ、その国家権力はつぶれる、リセットされる。
選挙をすれば負けるし、選挙を行わなくても、国民の国家権力への非常手段たるストライキ、ボイコットにより、もはや国家権力は倒れる。

それが、【人民主権の確立】した姿だ。【自由の実力】だ。自由は、【人民主権を確立する実力】を持つ。

【自由】を解放し、【自由の実力】で、【人民主権を確立】することだ。

軍事力では我が国の人民の自然権は守れない。
【自由の実力】で人民主権を確立し、その確固たる人民主権を基盤にした「外交」で、我が国は戦争を回避する憲法を持つ。


【3】−2.【国家権力は、自由の実力に勝てない】

国家権力は、強大だ。「国家権力 対 人民」の対立の構図は、大人と子供が相撲をとるようなものだ。
国家権力は、法律の執行という強制手段を持っている。
警察組織、検察組織、手錠、牢屋・・・
すなわち、
法律と
金(税金、予算、内閣官房機密費、特別会計という裏金、日銀という会計検査院の(まっとうに)入り込めない民間銀行でカネを発行し自在にカネを不正にひねり出す)と

(注:「日銀は、国政調査権さえ入り込めない。
2018年10月20日13:22
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968829762&owner_id=38378433」)


組織と
時間と
マンパワーと
ノウハウ(技術)と
それらの資源を湯水のごとく使い、昼夜ブルドーザーの様に使い、強制手段で捕まえたい人民だけを捕らえ、好きなだけ長く裁判を続けることができる。

とても、人民の太刀打ちできるものではない。

こんな力の差では、プロレスラーのような国家権力に対する子供のような人民、この人民には「言論」、「表現」しかないのだ。
だからこそ、「言論」も「表現」も「自由」でなければならないのだ。
だからこそ、人民の権力に対する「言論の自由」「表現の自由」というものに、憲法は一切条件を許さないのだ。制限を許さないのだ。すなわち、「自由」を保障しているのだ。

これが人民主権の憲法だ。

だが、こんな力の差でも、「プロレスラーのような国家権力」に対する「子供のような人民」、という構図だが、「自由」の実力を子供のような人民が発揮すれば、この国家権力を押し返し、リング上でKOできるのだ。

人民は「言論や表現の自由」により、人民の視点で忌憚なく強大な国家権力を攻撃し

少数意見を多数意見に成長させ、巨大な「人民の視点」の世論を樹立できる。その可能性が「自由」のもとでは保障される。

「言論の自由」「表現の自由」が、巨大な「人民の視点」の世論を樹立したら、もはや国家権力が無視できなくなる。
巨大な「人民の視点」の世論を無視して暴走を続ければ、その国家権力はつぶれる、リセットされる。
選挙をすれば負けるし、選挙を行わなくても、国民の国家権力への非常手段たるストライキ、ボイコットにより、もはや国家権力は倒れる。

それが、【人民主権の確立】した姿。【自由の実力】は【人民主権を確立】する。
【人民主権を確立】した国家を持てば、人民主権を基盤にした「外交」で、我が国は戦争を回避する外交の実力を発揮するだけではない。あらゆる政治問題が解決する。

【自由】を解放し、【自由の実力】で、【人民主権を確立】することだ。

【人民主権を確立】した国家を持てば、
メディアも学問も解放され、
真実が国民に伝わり、
火種を作って、軍産複合体が国家と国家を対立させたり、
火種を作って、民族と民族を対立させたり、
国家による911のような自作自演や、
311のような、人工地震で我が国を破壊する悲惨な戦争を仕掛けてくる邪悪な勢力から我が国をまもり、
そんな邪悪な勢力の傀儡政権が我が国の国家中枢に居座り甘い汁を吸う国家にさせない実力を発揮する。

オウム事件は元自衛隊陸将補・池田整治氏の話によれば、オウムは実働部隊。
そのバックにS価学会とT 一協会がいる。そこには、北朝鮮と我が国国家中枢にいる自民の売国屋らがからんでおり、警視庁もそのお仲間。オウム死刑判決で幕引きの司法もお仲間。三権が癒着している。

北朝鮮の裏には米国の軍産複合体。軍産複合体のベルトコンベアを回さないと彼らは倒れる。戦争が必須な生き物なのだ。

911も自作自演。ISIS も彼等の傭兵。

カナリヤをつれた警視庁がオウムのバックとひとつ穴のムジナ。だから山梨県警をいかせず自分等で証拠隠滅の解体。

三権が掌握された日本。

防衛省、長距離攻撃の装備次々=極超音速兵器も研究−敵基地攻撃能力、既成事実化 (時事通信社 - 10月15日 07:30) http://mixi.at/agnbC1P
を見よ。
税金を軍産複合体に貢ぎ、人民の血を命を奪う戦争に至る兵器をこれでもかこれでもかと買わされているが、戦争を防ぐにはそんな兵器の性能や装備の拡充が必要なのではないことくらい、ちょっと考えれば誰でもわかることだ。
改憲など、火に油を注ぐ亡国の道だ。

人民主権の確立以外ないのだ。



【人民主権を確立】した国家を持てば、
メディアも学問も解放され、
真実が国民に伝わり、

民間銀行である日銀に会計検査院の査察が入り、カネの不正な強奪は白日の下にさらされる。
消費税という形で納めた税金もその他の税金もどんどん異国に吸い上げられているのを防ぐ。
特別会計の不正は消える。
国有化された日銀と、人民主権を確立した国家のもと、
三権分立は実現し、国会も内閣も司法も大掃除できる。
日本国人民が貧困から解放される。



【3】−3.【自由という論理の源泉、人民主権という論理の源泉について】

自由というのは物ではない。目に見えない無形の「論理」である。
人民主権というのも物ではない。目に見えない無形の「論理」である。
自然権といういうのも物ではない。目に見えない無形の「論理」である。
Democracyというのも物ではない。目に見えない無形の「論理」である。

ちなみに、人民主権という論理も、Democracyという論理も、中身の理念は同じものだ。
democracyは、デーモス(民衆)によるクラトス(支配;権力)が語源であり、人民主権(政治を最終的に決定する権利は人民にある)と本質的意味は同じものだ。
democracy=多数決ではない。多数決はdemocracyを実現する可能性のある一つのツール(道具)に他ならない。多数決は人民の視点のない、いわゆるファシズム(学問的には三権の癒着した体制)でも使う。今がそうだ。

人民主権もdemocracyも自由という自然権もバラバラに存在している約束定義ではなく、ちゃんと一つに強烈にリンクしている。扇のかなめは、「国家は人民が作った」という約束定義(論理)だ。

自由や、人民主権や、自然権や、Democracyなどというものが、白や黒の物体として目に見えるものなら、白か黒か万人に見える。
だが、目に見えない論理の正誤など、物の識別の様に一意にならないのに、それの根拠をどのようにして正解として決定しているのか。
正解として論理的推論の大本、源泉に置いているのか。

大雑把に言えば数学の公理と同じだ。数学の証明問題は定理を使って証明できるし、定理は公理から証明できるが、公理はもうこれ以上は証明できないから証明なしで正しいものと認めましょうというものだ。無証明命題。

自由とか、人民主権とか、自然権とか、democracyとかいうのは、そういう数学で言うところの公理として正しいものとして約束定義されたものだ。それが正しいものとして人類史上オーソライズされたものであり、そういう事で現代にまで継承しているものだ。
では、いつ、そういう約束定義をしたことになっているのか。

近代社会契約以後だ。
近代社会契約は長いスパンを通して形が定まってきたが、その核心は、人民主権だと言われている。そして、人民主権の源泉は、「国家は人民が作った」とする約束定義(公理、無証明命題)だ。

【「国家は人民が作った」とする約束定義と人民主権の関係】

「国家は人民が作った」とする約束定義、これを置くことにより、国家を作った主人である人民に主権(政治を最終的に決定する権利)があるという約束定義を、人民の脳みそは受け入れられるようになる。
そして「国家は人民が作った」とする約束定義から、人民に主権(政治を最終的に決定する権利)があるという約束定義を約束定義として樹立でき、そこから社会科学の論理はさらに発展的に構築していける。現にそうしてきた。


【「国家は人民が作った」とする約束定義と自然権(自由、命など)との関係】

何のために人民は国家を作ったのかというと、「一人一人では守れない個人の自然権だが、国家なら守ることができる」からだ。これも「国家は人民が作った」とする約束定義と連関する約束定義だ。

【「国家は人民が作った」とする約束定義と、国家権力の目的との関係】

強大な国家権力を持つ国家なら、個人の自然権を守ることができる。
そのためには、国家が、強大な国家権力を人民の自然権を守るという目的を持っていなければなない。
国家が強大な国家権力を使って暴走すれば、人民の自然権を棄損すれば、それはもう資格なき国家権力だ。
国家権力の目的、これも「国家は人民が作った」とする約束定義と連関する約束定義だ。


【「国家は人民が作った」とする約束定義と、近代憲法や近代立憲主義との関係】

国家が強大な国家権力を使って暴走すれば、人民の自然権を棄損すれば、それはもう資格なき国家権力だが、絶対にそうならないように、人民は憲法という人民の自然権の目録を作って国家に認めさせた。

「この憲法を絶対に守って国家権力を使え」と人民は国家に命令し、
国家は、「絶対にこの憲法を守って国家権力を使わせていただきます」という絶対的誓約と引き換えに、強大な国家権力を信じて託された。」=近代立憲主義。
これも約束定義だ。

近代憲法、近代立憲主義、これらも「国家は人民が作った」とする約束定義と連関する約束定義だ。


近代憲法も、近代立憲主義も、人民主権も、自然権も、近代democracyも、
近代社会契約の国家の約束定義「国家は人民が作った。」という国家の約束定義と整合性を持っている論理であり、連関している論理であり、整合性を持って連関している約束定義だ。

国家権力は憲法に縛られる。
そして、国家の目的は「人民個人個人の自然権を守る事」、
国家権力の目的は「強大な国家権力を、人民の自然権を守る為にのみ使う事」それ以外の目的は、国家にも国家権力にもない。

繰り返す。
憲法の目的は、「国家権力を人民の自然権を守る為にのみ使え」と人民が国家に命令し、国家に人民がそれを認めさせたことで国家を縛ったこと。
これが近代憲法の目的であり、憲法目的であり、近代憲法の約束定義。

安倍晋三は、この立憲主義をすでに破棄している。国家権力の資格がない。
安倍晋三だけではない。日本の官、霞が関も、立憲主義を骨抜きにしている。
国家権力をほしいままにしている。
資格なき国家権力だ。
主権者人民は、このような国家権力はリセットする以外ないのだ。

そして、近代社会契約以後の国家の約束定義「国家は人民が作った。人民一人一人では個人の自然権を守れないが、国家になら守らせることができる。だから人民が国家を作った。」を継承し、人民主権を確立することだ。

人民主権の確立、それを実現することが原動力だ。


【4】総括
1.個人自らが、己の自然権を守る為に、「論理という資源」を解放しなければならない。

2.近代社会契約の国家の約束定義「国家は人民が作った」を肝に銘じで継承し、連関する約束定義である「自由」「人民主権」「Democracy」「憲法」「立憲主義」そうした約束定義(論理)を血肉化しなければならない。

3.こうした「論理という資源」を解放し、この国の政治に「人民主権の確立」を実現することだ。

4.この国の政治に「人民主権の確立」を実現したら、すべて解決する。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

反改憲!【条約より憲法が上】 更新情報

反改憲!【条約より憲法が上】のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。