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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの安倍自公政権と政府与党は、信用なしで商売をするようなもんだ。

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【1】安倍自公政権と政府与党は、信用なしで商売をするようなもんだ



商法に、「信用」の文字などでてこない。

しかし、「信用」なしで商売などなりたたない。

詭弁、強弁、しらばっくれ、基地外立法の数々、国民の富強奪、
米国への献上、
国家が憲法で国民を縛る憲法にするというちゃぶ台返し、
基地外に刃物の国家権力だ。

信用などマイナス100%

信用なしで商売などできない。

なのに、安倍麻生自公政権は、信用なしで、赤信号無視で、ガンガン暴走している。

しかもブレーキのない暴走車で。

何処にもブレーキがついてない。

これで、正しく「存立危機事態」を認定すると思いますか?

「引き返せない戦争」をするのにぴったりの役者であり、「引き返せない戦争」をするのにぴったりの政権だ。

信用のない商売はなりたたないのに、信用マイナスでなお暴走を続ける政権商売を
止めるにはどうすればいいのか?



警察、検察?

いっしょに暴走車に乗っているではないか。子分として。

近代社会契約以後の国家に適用する国家の約束定義(=公理)は、
「国家は人民が作った。人民の自然権を守るために、人民が国家を作った」
という公理だ。



この公理体系上に近代憲法たる日本国憲法もあり、
この日本国憲法を円錐の頂点として、三権がある。
あらゆる国家の仕事は、法律も、法律の運用も、判決も、この円錐からはみ出してはならない。
国家権力者は、この円錐からはみ出してはならない。
この円錐からはみ出しては、憲法を頂点とするこの円錐は保てない。
すなわち、近代社会契約以後の国家に適用する国家の約束定義(=公理)「国家は人民が作った。人民の自然権を守るために人民が国家を作った」の国家が成り立たない。
この公理からはみ出す国家など正しい意味での国家ではないのだ。

やるべきことは、国家リセット。

正当防衛としての国家リセット以外ない。

正当防衛としての抵抗権の行使、democracy革命権の行使以外ないではないか!

今や国家リセットは国民の義務である。



信用度ゼロで商売している安倍自公政権と政府与党は、現行犯として逮捕し裁判にかけるにふさわしい国家権力犯罪者である。

国民には現行犯を逮捕する権限が今の憲法においても明記されているが、
すなわち、国家権力が憲法を守っているときでさえ明記してあるが、
国家権力がちゃぶ台返しして憲法を守らない現カオスにあっても、近代憲法たる日本国憲法が立脚する近代社会契約の国家の約束定義(=公理)に基づき、
主権者である人民は、国家をリセット、リニューアルする権利を自然権として持つ。
抵抗権の行使、democracy革命権の行使は人民の自然権である。

今や国家リセットは国民の義務である。



【2】信用で商売が成り立つという話は、自衛隊についても言える

自衛隊は憲法違反であることで、
(すなわち、憲法に明記しないことで)、
かろうじて「信用」を海外で保持する自衛隊でいられる。
(それは、原理的には、
ポジティブリストの暴力装置であり、
ネガティブリストの暴力装置ではなかったからだが、
この件は後ほど、最後に記す)




【中村哲さんの言葉】
「9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」




(出典:「マガジン9」(旧サイト)
「この人に聞きたい 中村哲さんに聞いた」
http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php
*−−−−−−引用開始−−−−−−*

編集部

 そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、「9条がリアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村

 そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。
 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。


*−−−−−−引用終了−−−−−−−*

(了)


【ポジティブリストの暴力装置とネガティブリストの暴力装置について」
憲法に書くことで、暴力装置はどう変わるのか?、

・原理的に、憲法で公認してない暴力装置は、普段は武器を自由に使えない。
そして、「例外リスト」に書いてある場合だけ、「武器を使ってよい」という暴力装置だ。
いわゆる「ポジティブリスト」の軍事力だ。今の自衛隊だ。

・原理的に、憲法で公認している暴力装置は、普段は武器を自由に使ってよい。
そして、「例外リスト」に書いてある場合だけは「武器を使ってはいけない」という暴力装置だ。
いわゆるネガティブリストの軍事力だ。改憲後の自衛隊だ。これもはや、自衛隊ではない。ネガティブリストの軍事力を、軍隊というのだ。

犬と狼みたいなものだ。
外形は同じでも中身が違う。

名前だけが自衛隊。
中身は原則いつでもどこでも自由に武器を使う暴力装置=軍隊。
自衛隊を憲法に明記することで、犬から狼に、遺伝子が瞬時に代わる。

自衛隊は、憲法に書いてないからこそ、憲法で保障してないからこそ自衛隊なのだ。
憲法に書いたとたんに自衛隊は実質、名実ともに軍隊そのものの暴力装置になる。

自衛隊肯定の憲法学者でさえ、自衛隊は憲法に書かないことにその存在意義があるのだから書いてはいけないといっているのはそういうことだ。




気休めの軍事力で主権者人民の自然権など守れない。それを言い続ける道が我が国の生きる道だ。そのことで、世界の人民の底上げを果たしていく道が、我が国の生きる道だ。


【暴力装置を持つことの危険と、暴力装置を持たないことの危険】
主権者人民が、近代社会契約以後に適用する国家の約束定義(=公理)「国家は人民が作った。人民の自然権を守るために人民が国家を作った」に立脚する国家を建設するだけの国民になれば、暴力装置を、国家権力に悪用される危険はすくなくなる。ゼロではない。暴力装置内部の暴発やなど、何が起こるかはわからない。ただ、原理的に、国家権力を主権者人民がコントロールするdemocracy度の高い国民になれば、暴力装置を国家権力に悪用される危険は極めて小さくなる。

だが、国家権力が信用度ゼロどころかマイナスでは、なにをかいわんや。
国際金融資本のベルトコンベアを回すための戦争という商品の販売に、フル活用されることは火を見るよりも明らかだ。

こういうリアリズムに立って、憲法9条を掲げて、暴力装置を、戦争の出来る暴力装置を持たない、一定のポジティブリストの暴力装置しか持たないというのは、きわめて当然のことなのだ。

だが、私見では、現自衛隊は、その一定のポジティブリストの暴力装置の限度を超えている。縮小、解散、別の組織「憲法の容認しうる別組織(救助隊等)」に改編することは、必須である。戦力ではなく、外交の手腕、憲法9条の理念の国際的な敷衍、それが必須だ、我が国の安全保障は世界の平和度の上昇を実現することでのみ実現する。それ以外の安全保障はない。

にもかからず、戦争法を作って現自衛隊が世界中どこにでも戦争に行けるようにした。
基地外政権が「存立危機事態」を認定したら集団的自衛権行使する。
黒を白と言い張る連中が【麻生や安倍や自公が】正しく「存立危機事態」を認定すると思いますか?
おまけに基地外政権が憲法に明記したとたんに、
自衛隊はネガティブリストの軍事力になる。
自衛隊の憲法明記など改憲など論外中の論外である。



(了)

【関連ツイッター】
https://twitter.com/reef100/status/991823214258122753
フォト



【関連資料】

(出典:東京保険医協会
「公開日 2018年03月02日
改憲に固執する現政権の不思議
180225_04_憲法学習会・長谷部恭男教授」
http://www.hokeni.org/docs/2018030200060/
*−−引用開始−−*
・・・
長谷部氏は最後に、「自衛隊を憲法に“明記しない”ことの意味」を強調した。

例えば、現在の自衛隊による活動は、国連による国際PKOをはじめ、いずれも国会で制定した法律に基づき行われている。自衛隊の個々の活動について、その必要性と合憲性を立証する責任を常に政府に課しているのだ。

さらに長谷部氏は、自身が現在の9条のもとでも自衛隊の存在は認められると考える、と前置きをしつつ、現行憲法下における自衛隊の位置づけについて、常に合憲か違憲か、または違憲の可能性があるのかの議論があることで、政府に緊張感を持った、憲法に基づく自衛隊の運用を要請しているとも述べた。
・・・
*−−引用終了−−*
一般国民には理解しにくい自衛隊合憲学者の憲法に自衛隊明記反対意見だが、
エッセンスは、
平たく言えば、
この憲法学者自身、自衛隊を憲法に書きこめば今の自衛隊でなくなるといっているのだ。
これは、論理的にいえば、
自衛隊の武器使用が、例外規定で厳しく制限されている、即ち、原則使用厳禁だが、例外リストにあるときのみ使ってよいという、ポジティブリストの暴力装置であることを前提として、それならば、私は合憲にしてやってもいいという話だ。
この憲法学者は、国家権力と国民が、democracy度の密度が高いことを条件に、
基地外に刃物でないなら、認めるといっているのだ。
democracy度の高い国家権力と国民であるなら、しかも、ポジティブリストの暴力装置なら、暴力装置の存在を認めるといっているのだ。

だが、現実の国民は極めてdemocracy度の低い国民であり、国家権力に至っては信用度マイナスのナチス国家権力であるというのが現実である。
この狼国家権力は、長い舌ももっていて、言葉も論理も破壊している。
黒を白と言ってはばからない。
こんなのが刃物を持っては危険極まりない。

この教授は、憲法9条の力、国際平和を希求する外交力、そういう国民の民度の底上げというものへの確信がないのは事実である。
それでも、基地外に刃物は絶対にダメだという点では、主権者国民と同じ感覚をしている。
そして、
私流にこの教授の言葉を翻訳するなら、
自衛隊を憲法に書けば、論理的に、もう、ネガティブリストの暴力装置になり、
すくなくとも今の日本国人民のレベルのdemocracy度と、信用度マイナスの日本の国家権力の下では、ネガティブリストの暴力装置、すなわち、狼を飼う能力はない
と言っているのだ。

他にもこういう情報がある。残念ながらタイトルしか見られない。


(参考;立憲民主党が初の憲法調査会を開会! 9条への自衛隊明記には反対!

「憲法に自衛隊を明記しないことに意味がある」長谷部恭男早大教授がレクチャー

〜立憲民主党 第一回 憲法調査会 2017.11.21
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/405945


(了)

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