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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの◆前衛は作り出すものだ!

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●【前衛は作り出すものだ!】

前衛は、志位さんや日本共産党が与えてくれるものではない。
前衛は、主権者人民が作りだすものだ。

●団結と学問の自由
(「人間復権の論理」 三一書房 羽仁五郎著 P.42〜P.46)
*−−−−−−引用開始−−−−−−−−*
団結と学問の自由

大学はなんのためのユニオンであるかというと、学問の自由を守るためのユニオンなんだね。ですから、大学の第一の本質はユニオン、つまり、団結ということにある。組合ということにある、そして第二の性質としては、学問の自由ということが出てくるんだよね。この順序を混同してしまうと、ぜんぜん話がわからなくなちゃうんだよ。だから、学問の自由、学問の自由ということをよくいう人があるが、学問の自由というものは団結なしに守られるものじゃないんだよ、実際の問題としてね。そのいい例がさっきもいったが、ぼくなんかが戦争中学問の自由を守ろうとするとつかまっちゃうでしょう、一人でいたんではね。一人でいて、牢屋の中にはいっていくら威張ってみたところで、仕方ないんだ。ふつうの学問だったらそれは一人でもできるんですね。しかし学問の自由ということになると、一人ではできないんです。
 したがって世間でよくいう、大学は最高の学問をやるところだなんてのは、いかにでたらめかということがわかるね。ふつう、個々の学問が現在において到達している比較的に最高の状態、それを最高の学問というらしいんだね。だけど最近ですと、エレクトロニクスなんかずいぶん発達しているね、それから原子核物理学とか、そんなものが現在の花形科学というのかな、そういうものが最高の学問だって。あるいは農獣医学というふうなものに関しては、遺伝学の最近の発達とか、いろいろそういうものがあるし、そういうものが最高の学問だと思っている人が多いんだね。
 だけどそうでないということは、それが過去のそれぞれの学問の最高の段階ではあるけれど、たとえば遺伝学におけるデオキシリボ核酸の問題というのは、現在の遺伝学としては最高の段階かもしれないが、ほかの学問には別に影響がないんだね。ぜんぜんないとはいえないけれども、直接の関係はない。それに、かつまたそれはこれから何年か立てば乗り越えられてしまうものなんだ。
 これをまとめていうと、部分的な、かつ、一時的な学問の段階だね。つまり、五、六年もすれば乗り越えられちゃう一時的な学問の発達を、最高の学問というふうに世間ではふつう考えているんだね。おれはエレクトロニクスをやっているなんてね。エレクトロニクス電子計算機がいかに発達しているからといって、現在の世界のすべてを変えるわけじゃないんだ。そんなことをいうのは、電子計算機の会社の宣伝をやっているにすぎないんだね。電子計算機で解決できない問題はいくらでもあるんだ。
それからかつまた電子計算機の問題は、今後五、六年たてば別の、なんらかの問題に乗り越えられてしまうかわからない。ですから最高の学問というときに、個々の学問の部分的な、一時の最高の水準というものを問題にしているのは、ふつうの常識なんだ。けれどもその常識が間違っているということはいま証明したとおりだね。
 それでは、本当の最高の学問というのはなんだ。このごろどうもみんなの考え方が、何か言うと、けっきょくデパートで売ってるようなもののように考えやすいんだな。デパートでは、エレクトロニクスなんかは現に売っているんだよ。デオキシリボ核酸だって売っているんだ。けれども学問の自由だけは売ることができないんだな、デパートでは。それは三越がいくら大きくなったって、高島屋がデカくなったって、飛行機を売ろうが、ヘリコプターを売ろうが、デオキシリボ核酸を売ろうが、電子計算機を売ろうが、学問の自由を売ることはできないんだよ。
 その第一は、学問の自由というのは与えられているものじゃないということだね。この与えられているものじゃないというのは、よくこのごろ共産党なんかに対して、前衛不在なんていう人があるがね、この前衛というものも存在するものじゃないんだ。つまり、前衛も、いるかいないかではなくて、われわれがつくり出すもんだな。それが学問というものなんだな。だからそれを自分がつくり出しもしないで、ない、ないといっているんだからね。つまり前衛というものをデパートで売っているように思っているんだね。けれども前衛というものはデパートでは売っていないんだよ。だから不在だとか、在とかいう概念はあたらないんだよ。
 そういう意味で、学問の自由というものは与えられた与件ではないんだ。つくり出すものなんだね。かつ、学問の自由によって、学問がたえず発達するものなんだよ。だから最高の学問というのは、すなわち学問の自由のことなんだ。
 この自由ということについても、日本ではずいぶんいいかげんなことをいっているんだ。たとえば岩波新書に慶応の池田潔君の『自由と規律』という本がある。あの本は非常によく売れるんだな。けれども『自由と規律』というこの題からして、自由と規律というふうにならべているだろう。自由もいいけども規律も必要だという考えなんだよ。これはぜんぜん自由のことも規律のことも分かってないんだよね。自由と規律というのはならぶものじゃなくて、自由が規律なんだよ。それを自由というんだね。
 これは基本的人権と公共の福祉という場合も同様です。基本的人権というものは尊重する、しかし、公共の福祉によって制限されるなんてのは、無学な人のいうことなんだよ。いまの国家公務員法ではそういうことになっちゃっているんだ。公務員法が敗戦後最初に日本にできたときには、そんな規定はなかったんだ。公務員も争議権、ストライキをやる、あるいは政治活動の自由も保障されていたんですがね。ところが二・一ゼネストというのに失敗してから、占領軍と政府とで公務員法を改めて、公務員の争議権をとっちゃったんだね。公務員は争議権はないんだ、それから政治活動の自由をとっちゃたんだ。そしてそれを理由として、基本的人権は尊重するけれども、公共の福祉によって制限されるというふうな、憲法に書いてある言葉を誤った意味で使ったんだよ。
 そのとき人事院総裁というのが浅井清という、前、慶応義塾の憲法の先生で、戦争中もわりに、美濃部達吉先生なんかと同じように、ある程度まで日本の憲法を守ろうとした人で、戦後に復活したんだが、ぼくは参議員のその人事委員会で、浅井人事院総裁に、あなたはこの公務員の争議権をとっちゃって、また公務員の政治活動の自由を制限する、そして、基本的人権は尊重するけれども、公共の福祉によって制限されるというけれども、それをあなたは本気で思うのか。そこにならんでいる政府の閣僚に聞いているんじゃない。だいたい政府の大臣なんかにぼくは聞いているんじゃないんだ、大臣なんかに基本的人権と公共の福祉関係なんて聞いてみたって、チンプンカンプンでなんにもわからんよ。けれども浅井さん、あなたはいま人事院総裁だが、このあいだまで慶応義塾で憲法の講義をやっていた人だ。しかも戦争中もやや節操を守って、そのために慶応義塾をやめさせられたあなたの学者の良心に基づいて、ぼくに答えてみろ。基本的人権と公共の福祉というものはならぶものかどうか。どうだといったら、浅井さんはすさまじきものは宮仕えだといったんだよね。そんなこといまさら気がついてもだめだ、またそんなことでは返答にならない、はっきり答えなさいといったら、私といえども基本的人権と公共の福祉とはならぶものだなんて考えていない、もちろん基本的人権が最高のものなんだ、公共の福祉というのは下のものなのだ。それなら下のものが上のものを制限しうるという論理上の根拠はどうしたらできるんだ、そんなことは論理上できないじゃないか。そうしたら、理屈でおっしゃればそのとおりだというんだね。理屈でおっしゃればそのとおりって、ほかにどういう理由があるんだ。
*−−−−−−引用終了−−−−−−−−*

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