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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの突き刺すということは、突き殺すことを意味する。藁人形を作って安倍晋三の写真を張り、突き殺すという授業にするのも認めるのか?

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引用元:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959713539&owner_id=38378433
(写真は上記リンクを参照してください。)

*−−−−以下に展開−−−−*
■<新学習指導要領>「銃剣道」初明記 ネットで賛否渦巻く
2017年04月08日 21:35 毎日新聞
指導要領「銃剣道」明記の背景
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4518668

●【突き刺すということは、突き殺すことを意味する。藁人形を作って安倍晋三の写真を張り、突き殺すという授業にするのも認めるのか?】

政治状況により、突き刺す相手が、鬼畜米英であったり、北朝鮮兵や中国兵であったり、安倍晋三であったり、名無しの権兵衛だったりする。

今は、同胞、同級生を突き殺す対象にしている。

これは、非常に恐るべき人間の心を破壊する教育だ。

突き刺すということは、突き殺すことを意味する。

さらに、同胞を突き刺す、突き殺すという行為は、人民の連帯をも認めないという思想を内在している事を忘れてはいけない。

国家の命令で動くロボットにするということだ。中央集権で、命令されたらなんでもするということだ。そういう教育も兼ねている。

「突けーー!」の号令一下で。

「ちょっと待って、そんなことしていいのか」という思考は許さない。人間の脳みそを突き刺す教育だ。


●【戦時中は軍事教練で生徒は鬼畜米英を竹やりで突き殺す訓練を受けた】

<photo src="v2:2249782867:l">
(出典:集団銃剣道を演ずる私学校の生徒(1942年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%89%A3%E9%81%93#/media/File:Jukendo_jeux_du_sanctuaire_Meiji.jpg

防具の有無などの問題ではない。思想の問題だ。

基本的人権を破壊する思想や、

戦争で紛争解決しようとする思想、そんな思想を国家が人民に教育する自由はない。

国家権力に、思想や表現の自由や言論の自由はない。

思想や表現の自由、言論の自由があるのは、主権者人民だけだ。国家権力に、思想や表現の自由や言論の自由はない。

国家権力は、日本国憲法によりしばられており、

【人民の自然権たる基本的人権を守る】ということ以外、許されないのだ。

【人民の自然権たる基本的人権を守る】ということ以外の目的をもって、国家権力を使用してはならないのだ。


銃剣教育は憲法違反だ。


●【剣道や、柔道も武道だという理屈で銃剣教育を認められない。】

剣道や、柔道は武道だが、
鬼畜米英の首を切り落とす軍事教練授業や、鬼畜米英の首を絞め殺す授業など、軍事教練として聞いたことがない。

もし仮にどこかに歴史を掘り起こせばあったとしても、
広く平和的にスポーツ化した柔道や剣道では、国民的にそのような殺傷手段としての剣道や柔道を用いることを拒否する免疫がある。

銃剣という、血塗られた軍事教練の歴史を持つものとは違う。
危険であるばかりではなく、根本的に、突き殺す銃剣教育など、非人間的で認められない。


●【それでも剣道の場合でさえ、軍刀というのがあり、士官級ら特定のものが帯刀し、
軍隊では、この日本刀を使って随分残酷なことをしてきた。】

この軍刀の歴史を直視する教育を受けてきたなら、
剣道に対する忌避意識を持つ人も少なくはないだろう。

軍刀ならこれを直視する必要がある。

「鬼畜米英」の首を実際に切り落とすことをしてきたし、
中国人の子供らの首を切り落とすこともしてきた。

<photo src="v2:2136695510:l">
(出典:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286414132
*−−−−引用開始−−−*
kouyouchinbutaiさん

2012/4/2909:50:58

御覧になった写真は下のものでしょうか。これは1943年10月24日、ニューギニアのアイタぺの日本軍基地で行われた捕虜虐殺シーンです。捕虜はオーストラリア軍のレナード・シフリート軍曹、刀を振りかぶるのは日本陸軍将校のヤスノ・チカオ。

この処刑は根拠地司令官の鎌田海軍中将の命令で行われました。ヤスノ・チカオは終戦前に戦死。戦後のBC級戦犯裁判の結果、これ以外の捕虜・原住民に対する残虐行為の罪も含めて鎌田中将は絞首刑。

(補足)シフリート軍曹はオランダ軍の二人の兵士と日本軍の後方を偵察していた時、現地土人に襲われ、捕まって日本軍に引き渡されました。尋問、拷問の末、三人とも斬首されました。この時はこの三人だけです。ほかにも別の日に日本軍によって斬首された米軍捕虜、オーストラリア軍捕虜はいた様ですが詳細は知りません。ヤスノ・チカオは戦争が終わる前に戦死したと言う説と、生き延びてBC級戦犯裁判で絞首刑の宣告を受けたが結局懲役10年に減刑されたという説があるそうです。この写真は1944年4月にホーランディアで戦死した日本陸軍少佐が持っていたものを米軍が見つけたそうです(処刑の時にヤスノが部下に写真を撮らせた)
*−−−−−引用終了−−−−−−*


面、胴、小手、突き、では済まされない、現実の真剣の残酷さがイメージされたなら。

それと切り離して、純粋にスポーツとしてとらえるには、
逆にそれだけ、強烈な、主権者人民の基本的人権を守るという絶対的な思想信教の矜持が、日本国人民に敷衍されてなければならない。

現状のわが国は、歴史を直視せず、目隠しをし、スポーツだ、スポーツだといっているに過ぎない。

強烈な、主権者人民の自然権たる基本的人権を守るという矜持を、国家権力は、教育していないで、すなわち、軍刀、銃剣の悲惨さを教えず、主権者人民の自然権たる基本的人権を守るのが国家の唯一の目的だと教えず、
国家は人民が作った、人民の自然権を守るために、人民が国家を作ったと教えず、
国家権力は、人民が国家を信じて託した、人民の自然権たる基本的人権を国家に守らせるために、とは教えず
もし、国家権力が、主権者人民の自然権たる基本的人権を棄損するなら、そんな資格無き国家は、主権者人民が国家を抵抗権、革命権の行使で一新しなければならないと教えず、
【主権とは政治を最終的に決定する権利で主権は人民にある】とは教えず、
憲法は、憲法に反する(法律や命令や判決などの)国家の仕事に従うなといっていると教えず、
もし国家権力者が憲法システムを破壊するなら、そんな国家権力者は、抵抗権、革命権の行使という主権の行使を以て一新しなければならないというのが、憲法98条、憲法99条の趣旨だということを教えず、
democracyは、民主主義の民主の主は、主権の主であって、主(おもにの意味ではなく、主権は人民にしかないのだ、ということを教えず、
国家主権というときの主権とは、外国 対 自国 という対立概念においての言葉で、主権は自国にあるということ、その自国においては、国家 対 人民 という構図の上で、人民に主権があるということを教えず、

いかなる、軍事教練思想も、それにつながる、銃剣などの教育も許されない。


銃剣、それをただ普及させるというのは、
それが国家権力なら、断じて許されない。


●【日本国憲法の、人民の「自然権たる基本的人権を守る」という理念に根本的に反する銃剣】

明治憲法という、現日本国憲法と180度違う体制の下で、
鬼畜米英殺傷はじめ、
八紘一宇の目的(世界は一家、皆仲良く。これだけ聞けばいいこと言うなと思うだろう。
だがその世界の中心は日本で、さらにその中心は天皇で、
天皇や天皇の為に存在する日本人に従わないやつには、どんなひどい目にあわせてもいいという思想)、
この八紘一宇の目的を持って、殺傷することを目的として、軍事教練をおこなってきた。
その軍事教練を連想させる銃剣の教育は、日本国憲法の、「自然権たる基本的人権を守る」という理念に反する。

佐藤議員や文科省が、組織票で強引に文科省を動かし、文科省と結託し、
軍事教練の先取りを銃剣教育で始めたことは、憲法違反だ。

日本国憲法を銃剣で突き殺す改憲作業と並行して行っている憲法違犯だ。

主権者人民の基本的人権を突き殺す目的の共謀罪も同列だ。


●【百年河清を俟つ日本の政治状況にあって、人民蜂起、平和市民革命しかないではないか。】


(了)


http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4518668
*−−−−掲題記事−−−−−*
<新学習指導要領>「銃剣道」初明記 ネットで賛否渦巻く
2017年04月08日 21:35 毎日新聞

<photo src="v2:2249795361:l">

 2021年春に中学で実施される新学習指導要領の本文に、保健体育で武道の選択肢として「銃剣道」が初めて明記された。戦前の軍事教練の流れをくみ、インターネット上で賛否が渦巻いている。現行の指導要領でも「武道」は銃剣道を含み、授業で教えることができる。それがあえて明記された背景を追った。

 そもそも銃剣は小銃の先に装着する短剣。敵との接近戦で相手を倒す武器だ。第二次世界大戦で旧日本軍が使った。

 銃剣の使い方を武道としたのが銃剣道だ。明治期に伝わったフランス流銃剣術に日本の槍術(そうじゅつ)などを取り込んだもので、小銃を模した「木銃(もくじゅう)」で相手に突きを入れる。剣道のように打つことはできない。突く場所は致命傷を与える左胸と喉。その部分を守る防具を着ける。相手が左胸を左腕で隠せば小手、体勢を崩せば左肩を突く。

 戦後はスポーツとして再出発し、1980年には国体競技となった。全日本銃剣道連盟によると全国の連盟会員3万人の大半は自衛官か元自衛官だ。銃剣道部を持つ高校は全国で15校程度。中学では全国でただ一つ、神奈川県平塚市の市立中学校が体育で教えている。授業の様子を連盟提供の動画で見た。

 「やあっ」。体育館でジャージー姿の中学生が、木銃をかけ声とともに前に突き出す。木銃の長さは166センチ。旧軍の「三八式歩兵銃」に銃剣を装着した全長に由来する。男性体育教諭(34)は「2年前から1、2年生に教えている。連盟の指導に従い、防具なしで形(かた)を学ばせるだけ。けがの心配はない」と話す。保護者から疑問の声はないという。

    ◆

 「銃剣道」明記の経緯は奇妙だった。

 文部科学省が2月に公表した新指導要領案には、伝統と文化を重視する文科相の諮問機関「中央教育審議会」の答申を踏まえ、現行要領より武道に力を入れる表現が入った。武道9種類(競技団体が日本武道協議会に加盟)のうち8種類(柔道・剣道・相撲・空手道・なぎなた・弓道・合気道・少林寺拳法)を明記。銃剣道は「授業の実施率が低い」(スポーツ庁政策課学校体育室)として省かれた。ところが3月末の完成版に銃剣道が入っていた。

 実は、案の段階で国民の意見を募るパブリックコメントの手続きで、銃剣道明記を求める意見が数百も寄せられていた。元陸上自衛官で「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久参院議員は取材に「記載はあり得るのかと文科省に聞いたらパブコメに意見を、というので、自民党議員や自衛隊OB、自分の支援者に呼びかけた」と説明する。

 ネット上では「武道として公平に扱え」という声の一方で、「戦前回帰だ」「人殺しの技術を教えるな」など疑問や不安の声が上がる。佐藤氏は「銃剣道はスポーツで実戦向けの銃剣格闘とは違う。剣道やなぎなたも元々は相手を殺傷するためのもので、銃剣道だけ批判されるのはおかしい」と訴えている。銃剣道連盟の鈴木健専務理事は「批判も含め思ったより話題になり、ありがたい。銃剣道が人間形成を目的とするスポーツだと多くの人に知ってほしい」と論争を歓迎している。
*−−−−掲題開始−−−−−*

(了)

<追記>
【関連つぶやき】
http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/voice/38378433/20170409113810
アステローペ・リーフ 2017年4月9日 11:38 全体に公開

まぁ、この銃剣授業を始めたら、文化祭では、安倍晋三の等身大のわら人形に、銃剣で突き刺すイベントも行われるだろう。

授業の一環ということだ。

銃剣教育の最大の問題は安全性ではなく、思想性だ。鋼鉄の鎧をつけて銃剣教育やっても、どんなに安全でも、思想的に、主権者人民の自然権たる基本的人権を破壊する思想に満ち満ちている。日本国憲法に反する。

明治憲法下の軍事教練でやってきたということは、日本国憲法では認められない。

思想的に認められない。

ただ、国家権力者の写真を張り付けて、銃剣で突き刺すという授業にするなら、憲法違反ではない。やるかどうか・・・国家権力者は、国家 対 人民 の構図で、人民ではない。

国家権力が、全国一斉に、国家権力者の写真を藁人形に貼り付けて、銃剣で突き殺すという授業をするというのなら、憲法違反ではないが、問題はある。

国家 対 人民 という構図で、日本国憲法が保障する人民の自然権たる基本的人権に該当しない、国家権力者でも、犬、猫、馬という動物ではなく、人間だから、人権はあるということだ。だが、基本的と付く基本的人権とは違う。

ここまで踏み込んだ基本的人権の問題意識に発展するなら、主権者人民は、基本的人権とはなにか、それは、人権のみとはどう違うのかという認識に到達する。

基本的人権には高級な基本的人権と低級な基本的人権があるという認識も持つようになる。財産権などは低級な基本的人権で命や言論の自由というのは高級な基本的人権であり高級な基本的人権は公共の福祉などでは絶対に制限されない、憲法で制限しているように読めるところはあれば私有財産権レベルの話であることも理解する。

安倍晋三がテレビで放言して言論の自由だといったが、安倍晋三に言論の自由はないことも理解できる国民に成長する。言論の自由というのは、権力 対 言論 という構図の上で成り立つものであって、国家権力者に言論の自由はない。人民の(言論等の)自由を守るという縛りで縛られている。

言論機関は、政府に迎合する自由はない。権力 対 言論 という構図の上で言論は成り立つのだから、権力への迎合はただのたわごとだ。

権力 対 言論 という構図の上で成り立つのが言論の自由だ。言論に責任などない。責任などとれないからこそ、言論は自由なのだ。

こうしたことを、理解するようになれば、言論の自由を使わないで、たわごとばかり言ってる新聞テレビ御用評論家は、主権者人民の前から消えることになる。人民のレベルが上がって、生息できなくなる。

だから晋三の写真を藁人形に張り付けて銃剣で突き刺す授業を認めるのか認めないのかを議論するレベルで追及することは、この問題に対して大きな前進になる。拒否するならその理由を深く深く追及して国家の目的を明らかにする方向に行くだろう。途中で「だまれ!」とさえぎらない限り。主権者人民が思考停止しない限り。

(了)

【関連つぶやき2】
http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/voice/38378433/20170409112053

【1】
アステローペ・リーフ 2017年4月9日 11:20 全体に公開

突き刺すということは、突き殺すことを意味する。藁人形を作って安倍晋三の写真を張り、突き殺すという授業にするのも認めるのか?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959713539&owner_id=38378433


【2】
やっしー  2017年4月9日 11:37
柔道:絞め殺す 剣道:撲殺 空手:突き殺す 相撲:投げ殺す すべて殺人技

【3】
アステローペ・リーフ 2017年4月9日 12:06

だから、なんだというのだ。

学校で殺人訓練をしろというのか。

包丁だって、料理だけではなく、殺人をする。
だが、包丁で殺すスポーツなどないし、もし仮に、普及しても、学校教育で教えるか?
(※追記:包丁じゃ戦争に使えない。軍国主義教育でもパスするだろう。
十手もパスするだろう。
手裏剣もパスするだろう。
ヌンチャクもパスするだろう。
凡人に使いこなせない。
単純に突き刺す竹やり級だからこそ大衆教育の軍事教練としての意味がある
そこに目的があるということだ。)

軍事教練として殺戮目的で国家権力が教えてきた銃剣教育というのは 銃剣の先から血が滴っているのだ。

明治憲法で、鬼畜米英、八紘一宇に反対する人間を殺すために導入した軍事教練でつかったこの銃剣教育というのは、日本国憲法の理念【人民の自然権たる基本的人権を守る】に反しているのだ。

銃剣教育が、人民の自然権たる基本的人権を守るのに貢献するという、理屈がなりたたない。

逆に、人民の自然権たる基本的人権を蹂躙しまくった明治憲法下の教育の巨塔となっている教育だ。軍事教練は。

晋三の写真を藁人形に張り付けて突き殺すという憲法システムを破壊する国家権力者を突き殺す目的をもって銃剣を採用するならそれなりに意味はある、もし国家が認めるなら。憲法にのっとったある意味での真理がそこにはある。ただ子供にそのような殺人教育をするのではなく捕まえて裁判にかける教育をするのが日本国憲法的だ

(了)

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