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反改憲!【条約より憲法が上】コミュのサイコパスで片づけるのは、間違いだ。文科省教育の犠牲者ということだ。

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■遺族の悲しみ「驚いた」 元少女、タリウム事件裁判
(朝日新聞デジタル - 03月07日 16:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4465895

●【サイコパスで片づけるのは、間違いだ。文科省教育の犠牲者ということだ。】

サイコパスとは↓


ブログ:「サイコパスとは何か」様
http://www.psy-nd.info/property/whatis.html
*−−−−−引用開始−−−−−−*
サイコパスとは?

サイコパスとは精神病質、あるいは反社会性人格障害などと呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人々のことを指す言葉です。

極めて特殊というと、滅多にであう機会の無い特別な存在という感じがするかも知れませんが、実はそれほど存在する数が少ないというわけではありませ ん。

サイコパスにどれくらいの割合で出会うかについては、住んでいる国や地域、環境によっても差があるとされています。

しかし、少なくとも確率論で言えば、一度もサイコパス(あるいはそれに極めて近い人物)と関わらないで人生を終える人の方が少ないと言って良いで しょう。

そして、サイコパスの特徴を一言で表すなら、
良心や善意を持っていない
ということです。

私たちがコウモリのように音波で周りの状況を把握したり、猫のように暗闇で物を見ることができないのと同様に、サイコパスは良心や善意というような 感覚を持つことができません。

感覚を持たないものを感じ取ることは出来ない

さて、良心や善意を持たないというのは一体どういうことなのでしょうか?

私たちは普通、どんな悪人にも少しくらいは心の底に良心を持っているだろうと無意識的に信じていると思います。

だから、サイコパスでない”普通”の人間からは、サイコパスの存在自体がイメージしにくいかもしれません。

サイコパスの思考回路に関して、マーサ・スタウト氏はその著書「良心を持たない人たち」の中で「支配ゲーム」と表現しました。

この表現を借りて言えば、サイコパスは他人の存在をテレビゲームの中に登場するキャラクターと同じくらいにしか見ていない…と考えると分かりやすい でしょう。

サイコパスは自分に関係の無い世界に存在する我々に同情も共感もしないので”退屈しのぎ”くらいの動機で人を騙したり、傷つけることをためらいません。

私たちは何よりも先に、サイコパスという人々が現実に存在し、自分もその被害に遭うかも知れない、ということを認識しておくべきなのです。
*−−−−−引用終了−−−−−−−*



【私見;総論】

この種の人間を、その犯罪を、法律で裁き、教育刑で矯正できるとか、処刑するとか、
生まれつきとかで解答を出そうとすることで問題の解決にはならない。

サイコパスだとか、その病理学的治療だとか、
責任能力があるとかないとかの次元で刑罰を以て処理することとかで、
一件落着にはならない。


幼い時からの教育の問題が歴然とある。
我が国は、この教育を全く解決できないでいる。

なにもサイコパス群だけが文科省の犠牲者ではない。

日本の多くの、ほとんどの国民はこうした文科省教育の犠牲者だ。

文科省の教育では人間の心を持った人間が育たないようにできている。
人間の自然権(基本的人権)を守るということは、けっして、答案用紙に
「日本国憲法の3大原理は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」です。 国民主権は第1条に、平和主義は第9条に、基本的人権は第11〜13条に規定されています。」と書けるかどうかではない。テストの答えとして筆記できるかどうかではないのだ。

【我が国は、人間の自然権(基本的人権)を守る教育ができてない。】
=【おのずと横の連帯ができない。】
=【都市とは人間にやさしいものだが、日本には正しい意味での都市がないのだ。
ずたずたに横の連帯が断ち切られ、縦割り社会の中で国家権力に都合のいいように人民は教育されている。】



【私見;各論】

●【近代社会契約の国家であることの本当の教育とはこういうものだ。】

尾木ママの「オランダの教育は日本の3周先を行く 」を写真の抽出で並べてみました。(1)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955407350&owner_id=38378433

尾木ママの「オランダの教育は日本の3周先を行く 」を写真の抽出で並べてみました。(2)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955407612&owner_id=38378433

尾木ママの「オランダの教育は日本の3周先を行く 」を写真の抽出で並べてみました。(3)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955407641&owner_id=38378433



●【本当の都市とはこういうものだ】

「君の心が戦争を起こす 」
光文社
羽仁五郎著
P.55
*−−−−引用開始−−−−−−*
 本当の都市ならば、ひとりひとりが横のつながりをもっている。自分のおかれた不安な状況を、おたがいに話し合い、助け合い、解決の方向に向かうこともできる。だが、今の日本では、その横のつながりを許すような、自由な都市はない。人は、タテに仕切られたせまい枠の中で、団結することも知らずに、孤独のうちに死んでしまう。だれかが、それを望んでいる。
 こういう問題を考えるには、けっきょく子どものときから、自由そのものを奪われてきた、ということに、目を向けなければならないのだ。抑圧や管理というものは、すでに子ども時代からはじまっているからである。そして子どもの抑圧は、ただ無残なだけではない、人間の自由を徹底的に奪いつくす、現代の象徴的な構造でもあるのだ。
*−−−−引用終了−−−−−−*

この事件の被告は、人間の自然権をしっかりと自覚できないという意味では、
テスト用紙に「日本国憲法の3大原理は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」です。」と 回答を記述するだけの日本人のレベルと大差ない。

日本人のほとんどは基本的人権という言葉を覚えてはいるが、
それが、基本的人権が人間の自然権であり、
それは、自然権たる基本的人権は、公共の福祉なんかより絶対に優越するものだという理解を持っていない。

「公共の福祉で、基本的人権が制限される」と、誤った憲法解釈を教え込まれ、信じている。
「公共の福祉のためには、基本的人権が制限される」なら、公共の福祉のためといえば、拷問で黙秘権を破ることも可能になるのだ。

口を割らせるために、黙秘権を破壊することも可能になるのだ。だか、基本的人権を守るということは、絶対に、我が国の憲法はそれを認めない。
黙秘権というのは表現の自由であり、自由権だが、自然権たる基本的人権だが、
公共の福祉なんかより絶対に優越する。

日本国憲法は、
「第三十六条
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、【絶対に】これを【禁ずる】。」
とし、
【禁止する】に対して、例外を認めないときに、頭に「絶対に」をつけるのだ。
法律の決まりだ。例外を認めるときは、「絶対に」をつけない。

基本的人権には、高級な基本的人権と、低級な基本的人権があり、生命や、表現の自由など、内心の自由など、そうした高級な基本的人権は絶対なのだ。公共の福祉などより絶対に優越するものだ。

これは、近代社会契約の根幹を認識しているかどうかが重要だ。
近代社会契約の国家の約束定義というのは、「人民が国家を作った」とする約束だ。
これは、人民の自然権を守るために、人民が国家を作ったという約束定義だ。

自然権たる基本的人権を国家が破壊するなどというのは、断じて許されない原理がここにある。

「たとえ10人の犯罪者を取り逃がしても、1人の無辜(「罪のない者」)を処罰してはならない」という考え方も、近代社会契約の国家の約束定義に立脚する、近代刑法がとっている原理原則だ。
そうでなければ、国民の基本的人権が守れないのだ。
そうでなければ、ナチスな国家権力により、崩されていくのだ。
国家の目的の意味がなくなる。

日本人は己は基本的人権や自然権を理解していると勘違いしているだけで、ほとんどの国民は用語しか理解していない。上っ面の意味でしか。
この事件の被告と日本国人民とは、その意味では大差ないのだ。

この被告だけが特別に自然権、基本的人権というものを血肉化していないというのではなく、日本人民全体が、自然権を尊重しないような教育システムで育ってきているということに話は広がっていく。

こうした教育の結果、この被告のように積極的に殺人には至らなくても、
国家権力により、知らず知らずのうちに、「自分の心を国家権力にコントロールされて動く日本人」を大量生産されている。

積極的に殺人には至らなくても、
自然権たる基本的人権の意味を血肉化できず、自然権たる基本的人権を守るために人民が国家を作ったという認識を持たず、
法律もあらゆる国家権力も、人民の自然権たる基本的人権を守るためにあるのだということを理解できず、

国家は国民を縛るものだとか、

法律は絶対に守らなければいけないものだとか
(憲法のどこにも国民は法律を守れとは書いてない。
憲法は「この憲法に反する法律や命令には国民は従わないぞ」と国家にいっているのだ。(憲法98条))

刑法は人民を罰するものだ(応酬刑)とか、・・・近代刑法は教育刑だ。日本国憲法は近代憲法だ。

確定判決に国民は絶対に従わなければならないとか、
(あれは主権無き国家権力側の、
人民に権力を、「人民の自然権たる基本的人権を守る」ことを条件に、信託された国家権力側の、判断であって、
主権は人民にあり、人民が「この司法の判断は憲法に反している(自然権たる基本的人権を棄損している)」とみなすなら、無効なのだ。人民は従ってはならないのだ。


「公共の福祉」は自然権たる基本的人権より優越するとか。
(憲法の中でそのように読めるとろこがあるなら、それは私有財産権というあとで追加された低級な基本的人権で、本来の自然権たる基本的人権ではない)。

国家権力が、主権者人民の基本的人権を破壊するなら、
そんな国家権力は倒す抵抗権、革命権こそ、democracyそのものなのであり、
近代社会契約の国家の目的に沿ったものだ。
democracyは多数決のことではない。
多数決は、democracy(デーモス(民衆)によるクラトス(支配))を実現する為の一つの道具に過ぎない。
ゼネストなど抵抗権の行使も、
革命権の行使も、
れっきとしたdemocracy(人民支配、人民権力、人民主権を反映したシステム)であり、
近代社会契約の国家の約束定義に則したものだ。
選挙という多数決で選んでも、自然権たる基本的人権を棄損する国家権力は無効なのだ。

日本の国家権力が、自然権たる基本的人権を正しく人民に教育せず、
かつ、
日本人民の横の連帯をズタズタに切っている、
という悲劇のさらにその上で、

国境を問わず、政府側(国家側)、反政府側を問わず、
人民が、権力に巧妙にコントロールされているという悲劇が現実にある。


次の文章は、それを指摘している。

「君の心が戦争を起こす 」 光文社 羽仁五郎著  P.36 より
*−−−−引用開始−−−−−*
●ーーーしているつもりにさせられている人間

『時計仕掛けのオレンジ』という映画がある。これはひじょうに人気のある映画で、読者のなかにも、見た人がおおぜいいるのではないかと思う。その映画の背景は、近未来のイギリスである。しかし映画の言っていることは、近未来ではなく、もうすでに現実だといってもいいのではないかと思う。

映画の原作(A・バージェス作)もふくめてストーリーを紹介すると、主人公のアレックスという若者は、グループをつくって、スーパーカーで暴走している。みんなでスーパーミルクとかいう麻薬入りミルクを飲んで、ケンカや、強盗とかに毎日、明け暮れている。  そんなある日、アレックスたちは、ある作家の家に押し入って、暴力の限りを尽くす。 だが、アレックスは仲間に裏切られて、逮捕されてしまう。それで刑務所に入れられるのだが、その刑務所で、もし人体実験を受けるのであれば、ここから出してやるという話を持ちかけられる。それで、アレックスは、その実験を受けることにする。それは、暴力を自分で行ったり、見たりすると、あらゆる身体的苦痛におそわれる、という一種の条件反射を、人間に与える実験だ。アレックスはそれを受けて、以前のような、暴力的若者ではなくなってしまう。
 それで解放されるのだが、 原作だと、こんどはそんな人体実験をやる政府に反対する人たちに、彼は利用されることになる。 政府はこんな洗脳みたいなことをしているのだと、世間に知らせるために、反政府の人たちは、アレックスを自殺にまで追い込む。それで自殺しようとして、窓から飛び降りるのだが、助かって病院で目覚める。 そのときはもう、暴力を見て気分が悪くなる条件反射はなくなっているが、こんどはまた、政府側に、自分を自殺にまで追い込んだ者たちの、殺人者になるように命令されるーーー。
 つまり、このアレックスという若者自身は、暴力であるにしろなんにしろ、自分の意志でやっているつもりなのだが、じっさいにはすべて管理され、強制され、コントロールされている。要するに 自分は立派な木になったオレンジだと思っているが、じつはちゃんとコントロールする何者かがほかにいて、その何者かに自由に動かされる、時計仕掛けのオレンジでしかないとい うことだ。
 これが映画ならびに原作の、だいたいのストーリーだが、この映画の提出している問題が、そのまま現在の問題なのである。

*−−−−引用終了−−−−−*

(了)


【関連日記】
●【ホリエモンと尾木ママの違いは、都市なき非市民か、近代都市市民かの違いだ。尾木ママには、近代都市の心がある、これは、中央集権制による国家から人民への社会統制というのとは違うのだ。強制とは異質のものだ。】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=79648191


(了)


■遺族の悲しみ「驚いた」 元少女、タリウム事件裁判
(朝日新聞デジタル - 03月07日 16:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4465895
*−−−−−−−掲題記事 引用開始−−−−−−−*
遺族の悲しみ「驚いた」 元少女、タリウム事件裁判 444
2017年03月07日 16:00 朝日新聞デジタル

 名古屋市のアパートで2014年に森外茂子(ともこ)さん(当時77)を殺害し、12年には同級生2人に硫酸タリウムを飲ませたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた元少女(21)の裁判員裁判が7日、名古屋地裁であった。元少女は被告人質問で「こういう事件を二度と起こしたくないと思う」と語った。

 この日は元少女の最後の被告人質問。量刑を決める上で、酌むべき事情があるか判断する材料となる。弁護人から遺族や被害者への思いを問われ、「反省というものが分からない」「謝罪したいというのは、どの被害者にもあるが、謝罪の仕方がまだ分からない」と述べた。

 元少女はこれまでの公判で、下を向いていることが多かった。検察側にこの点を指摘されると「つらかった」と語り、こう続けた。「自分の感覚と被害者の感覚がずれていて、自分の知らなかった苦痛が見えてショックを受けていた」

 公判前は森さんの遺族の思いについて、生活の不便から怒りが出る、と想像していたという。だが、「森さんを失ったことそのものが怒り、悲しみにつながっていた。それは思っていなくてびっくりした」とふり返った。
*−−−−−−−掲題記事 引用終了−−−−−−−*

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