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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの天皇制をやめれば暴力団はなくなる

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■天皇陛下、年頭所感はとりやめ
2017年01月01日 05:01 毎日新聞
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4367248

●【天皇制をやめれば暴力団はなくなる】

<天皇制とは何か>を日本の超一級の偉大な歴史学者であり、
国立国会図書館を作り、
国会議員としても日本のdemocracy化に大変な尽力をされた永遠の日本人民の旗手・羽仁五郎氏は明確に説明している。

下記引用は日本人民にとり天皇制を知る珠玉の論評です。

【羽仁五郎著「都市の論理」(勁草書房)1968年12月25日発行】 より

*−−−−−−引用開始−−−−−−−−*

天皇制の問題


日本には暴力団というものが、いまだに、また最近活発に、活動しているのですが、ヨオロッパ(※リーフ注:Europeヨーロッパ。ヨオロッパは発音に近づけた表記。以下同じ。)には日本ほど暴力団というものはないのです。しかし、ルネサンス時代に全く暴力団というものがなくなってしまったイタリアでも、ムッソリイニ(※リーフ注:【Benito Mussolini】ムッソリーニ)がまた暴力団を作ったので、いつどんな時でもおこり得るものではありますが、しかし、いずれにせよヨオロッパではルネサンスの自由都市共和政が暴力団というものを全く解決したのです。これは暴力団ばかりではなく、ハンセン氏病をも絶滅した事実など、その他いろいろなことと関連しているのですが、その暴力団というものがなぜ発生するかということも、一番端的に本質的な原因は、権力が暴力的である場合には必ず暴力団が発生するということです。権力が市民的権力になっていない場合、警察が市民警察になっていない場合、警察は必ず暴力警察なのです。そして、必ず暴力団と結びつくのです。今の日本では政治家はもちろん、丸山真男君も、暴力団をどうしてなくすことができるかということに、はっきりした見とおしをもっていないのではないでしょうか。困ったものだ、とかいうことは、誰でも言えるのです。しかし、実際に暴力団によって身辺の危険を感ずる人間にとっては、なんとかしてこれは根絶しなければならないのです。日本では、われわれが――みなさんにしてもそうですが、自分が主張することを持っていない人はいないでしょうが、それこそ一寸の虫にも五分の魂で、主張のない人間はいないのですが、しかし、ある程度まで主張していくと、それが事実として暴力団にぶつかるのです。暴力団というのは非合理な強い力です。それがいわゆる“人間の壁”となって、その前ですべての人が自分を失ってしまうのです。これは日本では特に強い。ドイツはヒットラア(※リーフ注:アドルフ・ヒットラー(独: Adolf Hitler)。ヒトラー、ヒットレルとも表記される)の時代にそういう状態におちいり、イタリアではムッソリイニの時代にそういう状態に陥ったのです。また現在イタリアになり、ことに西ドイツにはおなじような状態が復活しています。日本はその中でももっともそういう傾向の復活の兆しが強いのですが、これはよほど徹底的に考える必要がある。暴力団はどういう場合に発生するか、どういう方法によって根絶されたか、というと、現に、近代の自由都市共和制において、市民的の権力が成立した場合には暴力団は根絶された。その市民は、その市に住むことと、税金を納めることと、それから腕力を揮わないこということ、この三つの条件を要求されたていたので、腕力を揮うものは市民の資格はなかったのです。
 この近代都市の市民が腕力的権力を根絶したということは、ヨオロッパの夫が妻を殴らなくなったということと関連し、日本の夫がいまだに妻に対して腕力権を行使するとすれば、それは日本においてはいまだに暴力的権力が根絶していない事実と関連がないともいえないでしょう。
 暴力団がどういう場合に発生したか。中世の封建時代には暴力団の必要はないので、権力そのものが全く暴力的なのですから、封建君主の権力というのは暴力そのものです。いわゆる経済外的強制がその基礎です。労働を強制して賃金を支払わない。つまり支払わざる労働のほうが農奴労働の主体なのですからわずかに農奴が生産労働をつづけるためだけのものが与えられるにすぎない。中世の権力というものは、権力そのものが暴力的なのです。したがって、近代自由都市において封建権力が駆逐されると同時に、権力が、暴力的な権力でない市民的な平等の権力、平和な権力になってくる。それと同時に暴力が禁止されるのです。
 ところが、その後にこの自由都市共和制がくつがえされて、絶対君主制が成立したと同時に、暴力団の組織が現れてくるのです。また同じような状況がくり返されるたびに暴力団が現れて来るだけではなしに、政治上の決定的な条件になって来る。やくざの問題などでも、いまだに日本のやくざというのはテレヴィ(※リーフ注:televisionテレビ、テレビジョン)の主題です。よろめきとやくざとが現在の日本のテレヴィの二大主題と言ってもいいでしょう。これは両方とも関係があるのですね。それは、平等の夫婦生活の存在しないところに、よろめきが発生し、平等の権力がないところに、暴力団が発生する。平等のない日本のテレヴィは、毎日、午後のひとときはよろめき、奥さんたちがあれを見て、夕方からは暴力団、旦那がそれを見ている。そして日本のテレヴィ評論家は、そういう全体的なテレヴィの傾向について評論することができないらしい。どうしてもよろめきと暴力団とこの二つよりなにも深刻な問題ではないのです。要するに、警察が権力的であり暴力的なのです。それから、非合理な権力、というのは、天皇制がもっとも非合理な権力です。天皇制が日本国民統合の象徴だというのは表面であって、論理的に言えば、天皇制は日本における非合理な権力の象徴です。したがって、警察官はいつなんどきでも天皇の警察官となりうるのです。したがって暴力団はつねに天皇制の復活を主張する。いまでも、議会制度擁護国民同盟というのが大分この選挙でも東京で立候補していますが、あの演説を聞いたかたもあるでしょうが、第一は憲法改正です。第二は天皇制の復活、これがどうして議会制度擁護ということになるのか、実に非合理でしょう。これがそのさきに行くと問答無用となるのです。殴られてしまうのです。わかわなければ、わからせてやるというのです。選挙に大ぜい立候補するには相当金がかかるが、その金はどこから出て来るかというと、大体会社・銀行です。いま東京都においてもっとも大きな建築をしている銀行は、同時に暴力団に金を出している銀行なのです。
 現在の日本の政府の与党である自由民主党と暴力団の関係は、その議員のなかに暴力団の直接の関係者がいること、暴力団に花輪をおくる自民党議員がたえないことなどばかりでなく、両者の活動資金が、その金額の大小の差などはあっても、同じところから出ていること、すなわち、それが日本の独占資本(※リーフ注:銀行資本と産業資本の癒着した資本。金融資本。)の系統にむすばれていることは、最近ではほとんど周知の事実となってきた。そして、暴力団が天皇制のほかに現在ではいわゆる日米安保体制すなわち日本を軍事的にアメリカの支配の下におく体制を主張しているのは、日本の暴力団の愛国主義としては矛盾しているが、これもそれらを背後から動かしている日本の独占資本とアメリカの独占資本との結合の矛盾をあらわしている。最近広島を中心として中国新聞が暴力団とたたかった事実をえがいたというドラマが現在の日本のテレヴィの低調のなかでいくぶん注目された。そこにこれらの背後の関係がえがかれることができなかったのも、日本のテレヴィや新聞などがまたおなじこれらの背後の関係によって支配されているからであろうが、そのために、この連続ドラマにおいても暴力団の根絶の方向がはっきりしないばかりか、実はドラマにもなっていないのです。オブキュスランティズム【※リーフ注:obscurantism 曖昧主義。 辞書的には<1.反啓蒙主義,開化反対><2. 故意にあいまいにする主義>】はドラマツルギイ【リーフ注:辞書的には < ドイツ語 Dramaturgie>。<英語dramaturgy>。<1.劇製作術[法]><2. (脚本・劇の)上演[演出]法>】にはならないのです。これらの関係のために、日本のドラマそのものも発展しない、また映画も発展しない。
 ぼくはこの研究会【リーフ注:精神神経学会(1966)における地域精神医学の分科会での羽仁五郎氏の特別講演「日本におけるコンミュニティ(リーフ注:コミュニティ)の概念について」があり、そこで「コンミュニティ」や「地域」という概念が流行語となっているが、その概念が正しくないことを羽仁五郎氏が指摘した。その学会での講演の続きを聴こうということで発足した研究会】の第一回か第二回に、家族からの解放によってコンミュニティが成立し、都市が成立する、家族ファミリアということばはもとは奴隷ということであったという話をしましたが、そのことを左幸子君が聞いて、その講演はぜひ聞きたかった。自分はホウムドラマ(リーフ注:ホームドラマ)というものをやらされるたびに、これは一体なんだろうと、いくら考えてもはっきりしない、したがって演技が決まらない、じつに困っているのだが、このファミリアということばは奴隷ということだと聞いて、非常にはっきりした。ホウムドラマというものをどういうふうに解釈すべきかということについて、急所がわかってきたような気がする、“またその問題を扱うか”、というので、ぼくは、そんな問題ばかり毎回やっているわけにはいかない、といいましたが、この暴力団の問題、やくざの問題、非行少年の問題、これは日本ばかりではない、アメリカでも最近は日本以上にひどくなって来ているようですが、それらを歴史的に考えてみることによって、その本質的な問題がはっきりして来るところもあるのです。
 そういう暴力から全く解放されない都市に、また暴力が発生して来る。この都市が崩れていく。それはもうすこし詳しく考えて行く必要があると思うのです。
*−−−−−引用終了−−−−−−−−*


●【天皇制の牙を完全に抜くには・・・】

現天皇が抵抗しても、ナチスファシズム勢力は、許さない。

そしていつの日か積極的に天皇制を悪用する天皇が出現し得る。

天皇制の牙を抜くには、天皇制をやめること。危険な仕組みは持たない。
【だが、天皇制をやめるにはどうすればいいのか?】

改憲で天皇制をやめればいいというのでは、一足飛び過ぎる。
【改憲で天皇制をやめる、そのような改憲がどのようにすれば可能かということ】です。

【国家権力を、暴力的権力から、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に変えることで、天皇制の廃止は可能になる】。

【では、現在の、暴力的権力、非合理な権力から、
市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に、どのようにすれば国家権力を変えられるのか】。

【主権者人民がdemocracyについて開眼し、主権者人民のdemocracyの認識を底上げすること】です。

【ではdemocracyのまっとうな認識とは何か?】



まず認識すべきことは、【democracyとは多数決の事ではない】という事。

多数決=democracy ではないのです。ここが日本人民の最大の洗脳されているところです。多数決=democracy だと。

よく、議会制民主主義=democracy と言ってますが、議会制民主主義は、間接民主制のことであり、直接民主制に対立する概念で、多数決のひとつの方法に過ぎない。

100人いて1人が正解で99人が間違っているとき、99人の意見を反映するのがdemocracyだというのは、そんなものdemocracyではありません。たんなる多数決です。

【democracyというのはデーモス(民衆)によるクラトス(支配、権力)】。
人民支配、人民権力、人民主権、そういう意味です。

多数決は、democracyを実現する可能性のある一つの道具(ツール)に過ぎない。

主権というのは、最終的に政治を決定する権利。

明治憲法では天皇只一人が主権者であった。
人民は主権者天皇に主権を握られた主権なき人民であった。
戦後は180度かわって、人民が主権をもった。
ようやく、憲法の条文の上では、近代社会契約の国家になったわです。
デーモス(民衆)によるクラトス(支配、権力)ができる「本物の憲法(近代憲法)」を国民は初めて獲得した。
人民支配、人民権力、人民主権、ができる「本物の憲法(近代憲法)」を戦後日本国人民は初めて獲得した。

近代社会契約の国家というのは、どういう約束で定義されているかというと、
【国家は人民が作った】と約束定義されている。
何の為に作ったかは、
【人民の自然権を守る為に、人民が国家を作った】と、国家を約束定義している。

【国家権力とは、人民が国家に信託(信じて託した)権力】。
国家はこの権力を主権者人民の自然権を守る為にのみ使わねばならない。
もし、国家権力が、人民の自然権を毀損するなら、そんな国家は資格無き国家。

国家権力がそうした人民の自然権を毀損しないように、憲法というものを作って国家に、これを守れと約束させたものが憲法。
憲法はだから国民が国家に約束させたもの。
国家権力側が、絶対この憲法をまもりますというのが立憲主義。

安倍晋三は立憲主義を破壊した。
その前に昭和天皇も白昼堂々と憲法を破ってきた。(後ほど【日本人民は、昭和天皇のしてきたことを直視する必要がある。】のリンク先参照)

国家権力が、憲法を守らないということは、もはや、国家権力の意味をもたないわけです。
資格無き国家権力です。

【人民が国家を作った】 = 【人民が主人】 である国家。
【人民の自然権(現代風で言えば自然権たる基本的人権)を守る為に作った国家】。
この国家が、憲法を守らなかったり、
人民の自然権たる基本的人権を毀損するのは、
資格無き国家であり、資格無き国家権力。

放置できない。当然です。

通常はそのような国家権力は、選挙によって、正す。【抵抗権の行使】です。
選挙というのは、抵抗権の通常時の手段。
しかし、非常時には非常時の手段が必要である。
強盗がナイフを突きつけて金を出せといっているときに、待っててください、今お巡りさんを呼んできます、では通用しない。

次の選挙は4年後ですから4年後まで待っててくださいでは通用しない。
4年たってもメディアが洗脳機関として洗脳し、
国家権力が洗脳機関として洗脳し、
インテリゲンチャが御用化して国民を洗脳し、
democracyが実現しないようになっているならこれは非常事態。

だから平和革命がいるのです。
【革命がdemocracyでないという発想そのものが間違い】なわけです。
国家の約束定義にもどり、【主権者人民の自然権たる基本的人権を守る為に人民が国家をつくった】のであり、
そのような国家にするために、【人民が国家に強大な国家権力を信託】し、その信託の担保として、この憲法を守ります、国家権力の濫用はしませんと、国家に憲法を守ることを約束させたのですから。ですから、立憲主義を守らなかったり、人民の自然権たる基本的人権を毀損するような国家は、一新しなければならず、抵抗権の行使は当然であり、それが非常時には非常時の手段として【革命権の行使で一新するというのは、きわめて当然のdemocracyそのもの】です。

100人いて1人が正解で99人が間違っているとき、99人の意見を反映するのがdemocracyだというのは、そんなものdemocracyではありません。たんなる多数決です。
主権者人民の自然権たる基本的人権を毀損するような国家があり、
憲法を守らない国家があり、
たった一人の議員しか、「そんなことはやめろ」と言って反対したとき、
democracy的にはその一人が正しいのです。
その一人を封じ込めて、憲法を変えてしまうというようなことは、それはdemocracyとは反対のものです。ファシズム、ナチス。

多数決は、democracyを実現する可能性のある一つのツールにすぎません。
ナチスが多数決を悪用すればいくらでも多数決で、democracyを破壊できます。
democracyをdemocracyが破壊することなどできません。
democracyを破壊するのはdemocracyではありません。
ファシズムが多数決を使ってdemocracyを破壊するのです。
ファシズムが、多数決を悪用しているわけです。

今の日本は、
内閣の行政府、法律を作る立法府のみならず、裁判官とそれを操る最高裁判所事務総局、および警察検察、こういう組織が癒着し、反動的逮捕、反動的起訴、反動的判決を繰返すような、三権の癒着がはびこってます。

ファシズムは学問的には【ファシズム】=【三権の癒着した状態】。
自分でバンバン法律を作り、自分でその法律をバンバン執行し、司法が追い着かない。
追い着いても、司法が三権癒着の国策判決を下す。
今の日本そのものです。
ですから日本は学問的にれっきとしたファシズムです。

そこに御用学者と御用メディアがあふれて癒着している。
もはやがんじがらめ。
これで選挙で何議席増えたと言ってそれがなんだというのです。
焼け石に水。
行政も司法も何も変わらない。
国会も変わらない。
さらに、日米合同委員会がこの三権の上に、超憲法的に君臨している。
日本国憲法の上で日米軍事条約が君臨し、
米国天皇、米国独裁者が日本の憲法無視で闊歩し、
その傀儡が日本国人民の上を闊歩する。
三権は傀儡と米国天皇の方を向いている。

こういう非常時には、通常の手段では通用しない。

【抵抗権の行使としての通常手段としての選挙】では通用しない。
革命権の行使が必要。
【革命の行使はれっきとした非常時のdemocracy】です。

以上がdemocracyの正しい認識です。


主権者人民がdemocracyについて開眼し、主権者人民のdemocracyの認識を底上げする、これでができるという事は、イコール、平和革命がこの日本で実現するということです。

平和革命しかないではありませんか。

そして、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に、国家権力が変われば、おのずと、天皇制は、消える。
天皇制と、天皇の役割をはたす個人としての自然権たる基本的人権とは、相いれないのですから。



●【日本人民は、昭和天皇のしてきたことを直視する必要がある。】


『日本人が常識として知っておくべき不条理な許しがたい「昭和天皇の憲法違反」、それと「無条件な日本の米軍基地提供」「安保条約」「内乱条項」の関係
2016年11月26日20:37
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957027274&owner_id=38378433


日本国憲法スタートの「い」の一番で、昭和天皇が白昼堂々と憲法破りをし、
天皇国会内閣一体となって、憲法を骨抜きにしてきたではないですか!

日米軍事条約は、無効です。

天皇が個人的に命乞いをした日米軍事条約にほかならない。

条約というのは相手国の憲法を尊重して締結するものです。

米国が我が国の憲法を尊重しないで締結してきた憲法は無効であり、

我が国が憲法を破って締結した条約も無効です。

日米軍事条約は、二重の意味で無効だ。廃棄以外ない。


(了)

【参考情報】
『平和革命 索引集【未定稿】
2016年12月26日 12:12
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6172614&id=81348677

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