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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの『餅つき』も『除夜の鐘』も軍国主義憲法への改憲でいつでも新装開店する。

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■年末風物詩、受難の時代=除夜の鐘に苦情、餅つき中止―「共同体弱まる」懸念も
(時事通信社 - 12月30日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4365515

●【『餅つき』も『除夜の鐘』も軍国主義憲法への改憲でいつでも新装開店する。】

「兵隊さんご苦労様」報国餅つき大会●月●日

出ないものは非国民。餅はスーダンの兵隊さんへ届けます。


「挙国一致、戦勝祈願」除夜の鐘つき

参加者多数境内に集まる

苦情など言おうものなら、この特高がさらに何倍にもなっていてとっ捕まえにやってくる。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=4360269&media_id=168
*−−−−引用開始−−−−−*
公安調査庁、5年連続の増員計画 東京五輪へ対テロ強化
2016年12月27日 05:31 朝日新聞デジタル

 2020年の東京五輪に向けて、政府が公安調査庁の職員を増やしている。テロ対策で情報収集を強化する名目で、19年度まで5年連続で増員をはかる計画だ。日常的な活動がなかなか見えにくい組織で、効果を疑問視する声もある。

 22日に閣議決定された17年度の予算案で、同庁関連の総額は147億円。16年度より4億円増えた。国内外のテロ情報を集める職員を増やすほか、18年に開催される韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪に職員を派遣する費用も盛り込まれた。

 同庁は破壊活動防止法(破防法)に基づき、「暴力主義的破壊活動」を行うおそれのある団体の調査や規制を主な任務とする。警察の公安部門と異なるのは、逮捕などの捜査権がない点だ。

 1952年に発足した当時の定員は1702人。東京五輪があった64年度に初めて2千人を超え、過激派の活動が盛んだった70年代のピーク時には2019人に達した。その後、冷戦構造が崩れる中、行財政改革で削減。03年度に1486人で最少となった。
*−−−−−−引用終了−−−−−−*


●【「ロバート・キャンベル氏の言う共同体」と「除夜の鐘」の件への考察】

【ロバート・キャンベル氏のいう「鐘の音が届く範囲には、何かあったときに支え合う緩やかな共同体」などどこにある!戦前戦中は、国家中央集権制のファシズムが相互監視の共同体(例:隣組:となりぐみ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A3%E7%B5%84)を作っていた。】

共同体などという言葉をやすやすとつかうな、ロバート・キャンベルよ。

都市の共同体と、国家によりつくられる中央集権制の共同体とは、同じ共同体でも全く違うのだ。

我が国の寺は、歴史的に、国民統制の機関として機能を果たしてきた。
天皇制による支配、律令体制の象徴としての国分寺だ。(国分寺:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA

第二次世界大戦において、国家の暴力的権力に対して抵抗権を持った寺など一つもない。

我が国国民は、【都市】の共同体というものが、国家が作るタテ社会の統制(国家から国民への社会統制)に対立する概念であることを知らされていない。教えられていない、いまだに。一例が戦争のための要塞としての帝都づくりが東京都の都制。いまだに帝都制度のままだ。
この帝都制度を広めようとしている。

人民が連帯して、『国家という権力に対立する人民の砦』として都市があり、都市は人民にやさしいものだ、という事を知らされていない。
日本には都市がないのだ。



日本国憲法において、『自治体 と 国家が 対等関係である』ということを、
ほとんどの日本人民が知らない。実感していない。それを知ろうとする意志も思考もない。

沖縄を見よ!国家が日本国憲法に反して、自治体を蹂躙しているではないか。
裁判所まで含めて三権が一体となって。
知事は、気持ち気持ちと気持ちばかりを言って、県民を騙しながら、米軍基地建設にあらゆる手段を使って協力している。
作られた国家と自治体(OR 県民)の対立関係を気持で作り、現実で隷従している。

日本のどこに 【国家 と対等関係の 自治体】という憲法で保障された共同体があるのだ。

共同体というのなら、

【国家の支配する共同体】の系か、

【主権者人民の国家に対立する横の連帯の共同体 = 本物の都市】か、

この構図を明確にしないと、

【隣組の共同体】に匹敵する【除夜の鐘】と【餅つき大会】になる。



「除夜の鐘の騒音を拒否」するのか、

「除夜の鐘を仏教の煩悩思想を信仰して法悦の涙を流す」のか、

「花火を見るように風物詩として聞く」のみか、

このどれをとっても、その賛成と拒否の論拠に、
我が国人民は、【国家】に対立する概念としての【都市】というものを念頭にした、【本当の都市の連帯意識】がない。

すなわち、【主権者人民の自然権たる基本的人権を守るために、国家権力から守ために、人民は都市を作った】そうした都市の思想がない。

本当の共同体思想がない。democracy思想がないのだ。



ロバート・キャンベルよ、共同体などと、オブキュスランティズムで締めくくるな。
*−−−−引用開始−−−−*
・・・
 日本文化に詳しい東京大大学院教授のロバート・キャンベルさんは、「餅つきも除夜の鐘も生きるために不可欠ではないが、潤いのある豊かな生活を支えている。中止する前にできることを考えるべきだ。鐘の音が届く範囲には、何かあったときに支え合う緩やかな共同体がある。やめることでその足腰が弱くなるのではないか」と話した。
*−−−−引用終了−−−−*

そんな足腰、初めからありゃしないよ。キャンベルさん。

隣組からさらにさかのぼれば五人組【五人組は、農家5軒一組とし、組内でたがいに見張らせ
たり、共同で責任を取らせたりした制度】がある。

制度の起源は、古代律令制下の五保制(五保の制)。

1597年(慶長2年)豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組をつくり
庶民には十人組を組織させた。

江戸幕府もキリシタン禁制や浪人取締りのために秀吉の制度を継承し、
さらに一般的な統治の末端組織として運用した。

江戸時代の農村の五人組は、領主が農村を支配しやすくするために、
農民同士を相互監視させ、共同責任を取らせ、組内にキリスト教徒がいたら密告させた。
五人組内にキリスト教徒がいることを見つけられたり、犯罪者が出たら、共同で懲罰を受させ、年貢米を納める共同責任も五人組は持たされた。

『除夜の鐘』だけ切り取って、さらに、『共同体』ということばだけきりとって、
「鐘の音が届く範囲には、何かあったときに支え合う緩やかな共同体がある」とは、なにごとだ。
何が支え合うだ。

上からの強制での懲罰を以って恐怖を以って統制した国民統制ではないか。


都市の連帯はそんなものではない。

自治、すなわち、邪悪な国家権力(暴力的権力、非合理な権力)という巨大な権力に対して、
一人の個人の力では自然権たる基本的人権が守れないから、
みんなで連帯して社会を作り、その社会の力で個人の自然権たる基本的人権を守りましょうというものが、
大きな社会である近代社会契約の国家であり、小さな社会である都市だ。それが近代社会契約の社会だ。近代社会契約の社会の約束定義だ。

さらに、国家には強大な権力を信託したけど、その権力を「個人の自然権たる基本的人権を守ること」以外に濫用されてはいけないから、
主権者人民の自然権たる基本的人権を国家により毀損されてはいけないから、
国家と都市は、憲法上対等関係にして、『国家からの国民への社会統制の一方通行』を遮断したのだ。

都市の住民は、こういう基礎的な理念を共有していなければならない。

それが近代社会契約を経た近代憲法を持つ国民の本来の在り方だ。



ロバート・キャンベル氏は実に曖昧主義(オブキュスランティズム)だ。

除夜の鐘も、餅つきも、
【主権者人民の自然権たる基本的人権を守るため】という、国家や都市の目的を確固として認識した上で、
すなわちそういう【認識目的】を根底に持って、
その上で、
【視点】として「除夜の鐘をどう見るか」、「餅つきをどう見るか」、という問題の立て方でなければならない。

【主権者人民の自然権たる基本的人権を守るため】という正しい理念を持つ都市における、市民的平和権力の鐘の音なら、風物詩として「除夜の鐘」賛同に、何ら違和感はなK。

しかし、【主権者人民の自然権たる基本的人権を守るるため】という、正しい理念を持つ都市がないなら、

それどころか、共同体という言葉だけを切り取って、

五人組も隣組も無批判に、本来の正しい都市の横の連帯も一緒くたにして、

「鐘の音が届く範囲には、何かあったときに支え合う緩やかな共同体がある。やめることでその足腰が弱くなるのではないか」というのなら、

そんな言説は戯言だ。



ロバート・キャンベル氏の指摘するような、
隣組や五人組への批判力のない漠然とした【共同体の力】を賛美する、そんな鐘の音は、
危険極まりない発想だ。ファシズムに直結している。

現実には、ほとんどの国民は、共同体の視点で、除夜の鐘など問題にしていない。
無思想。これが大多数。
だから、近くに住む人なら赤ちゃんが泣くから騒音だとか、寝られないから騒音だとか、言うのが出てきて当たり前だし、
逆に、花火を見る風物詩の様で、耳の風物詩で、ああいい音だなぁとなる。
留意すべきは我が国のこの騒音派も風物詩派も、ロバート・キャンベル氏の共同体視点派も、
【主権者人民の自然権たる基本的人権を守ること】という社会の視点など、ない。

そして、今日本は、ファシズム国家が闊歩し、暴力的権力による、国家緊急事態条項を持った憲法が誕生しようとしている。

この先、戒厳令の夜となれば、
「これが国家権力の証だ」と、
「国家緊急事態が発令されているぞ」、「この鐘の聞こえる範囲の者どもは、全員外出禁止だ」
という利用もできる。

その時は騒音派もだまる。文句を言えば特高がやってくる。
何も考えない風物派には、そのときでも煩悩を数えている能天気者がいるのかもしれないが。

そしてロバート・キャンベルの共同体派は、御用学者として、国家総動員法にも、国家緊急事態条項にも賛同の記事を新聞に投稿するのだろう。

現代において、戒厳令の夜に、「今戒厳令が出ているぞ」と「除夜の鐘」など誰が叩くものかと笑うなかれ。

NHKをはじめとするテレビ局のニュースの電波はまさに、「現代の国民統制の寺」の鐘の音ではないか。
「国民統制の寺の遺伝子」をもつ鐘の音だ。
さしずめNHK『ゆく年くる年』は現代の除夜の鐘だ。
NHK『ゆく年くる年』は除夜の鐘をバックに進む。
日本各地の寺院の除夜の鐘を流しながら、年が明ける様子を全国中継しているが、
ここで戒厳令の夜を作る自民党憲法草案の緊急事態条項の悪辣さを放送することは100%ない。

「今年は大変な年になりそうですね。
自民党が戒厳令を復活させる憲法を作ろうとしてます。
1月に違憲である7条解散をして2月ナチス維新と結託したインチキ選挙をするようですよ。
そして改憲をもくろんでいます。
そこで、全国の皆さん、今年の『ゆく年くる年』は、各地の反政府の生の声をお送りします。」
こんなNHKの『ゆく年くる年』をするはずがないではないか。
要するにNHK『ゆく年くる年』は、現代の、「国家による国民への社会統制」として、
「主権者人民の自然権たる基本的人権を守る為に人民が国家を作った」ということや、
「主権者人民の自然権たる基本的人権を守る為に人民が都市を作って、国家に対決する砦としている」などという本当のことは、言わないし、国民に広めないのだ。
国民から国家への逆社会統制をするのが、言論機関の役割であること、
「権力 対 言論」という構図の上に、言論があることなど、微塵も国民に教えず、
国畜として、能天気な国家への隷従国民を作る目的をもって、
「風物詩としての除夜の鐘」をバックに、「風物詩としての放送」をするのみだ。
内におそるべき「国家による国民への社会統制」(無能国民作り、無抵抗国民作りの任務)を秘め、その任務を実行しながら、
NHKは、『ゆく年くる年』という除夜の鐘を叩き続ける。

ロバート・キャンベル氏の曖昧主義(オブキュスランティズム)は見事にそれにマッチしている。

(了)

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