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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの公共の福祉 public welfare (パブリック・ウェルフェア ).

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【※ 追記 ちなみに下記リンク先は既に削除されている2016/03/09】
*−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*
公共の福祉 public welfare (パブリック・ウェルフェア ).
http://www.thinkingbirds.jp/culture/review/review2.pdf
(注意;このリンク先の文章は無断転載、無断転用禁止書類だそうです。)
*−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−*

以下は上記文章を読んでの私の感想です。

●まず、パブリック(public)について。

英語のパブリック(public)とコモン(common)、両方とも公共と訳せるのに、かなり意味が違っているという。


この public は、日本語の公共に訳すとかなり本来のパブリックの意味がなくなってしまう。

public の pub( パブ )は「酒場」のパブだそうだ。

渾然一体とした人 々 の集まりを表 しているという。
利害はそれぞれ異なる。

客同士は、一回こっきりその場で居合わせただけのような場合もある。

敵対関係者もいるだろう。

自由気まま。
だけどそこでみんながある時間酒を飲みあい楽しむための暗黙の了解を心得ている。

拳銃撃ち合ったり、テーブルひっくり返したりするのは暗黙のルール違反だ。

混然一体としながらもそこで時間を共有しそれぞれが楽しむために、成文なき暗黙のあうんのルールをみんな心得ている。

public にはこんなイメージがあるようだ。




それに対してコモン(common)は同じ「公共」でも、そこにいる個人個人が、より均質化された集団をイメージするものだという。

価値観的に等質なイメージというのは、たとえば communism(コミュニズム・共産主義)はそうだろう。

コミュニティも原理的にはそういうものですね。
あえて反対意見を言いに行く人もいるでしょうし、それを許容するところもありますが、基本的に何らかのある均質な価値観のグループ。
政治コミュで魚釣りの話などテーマにはしない。フィッシングはフィッシングのコミュに行く。


オリジナルの日本国憲法英語版では、 public welfare( パブリック・ ウェルフェア) と書いた。
それを「公共の福祉」と訳したが、「公共」と訳したその日本国憲法の原本なるものには、コモン(common)でなく、パブリック(public)を使ったpublic welfare( パブリック・ ウェルフェア) と書いている。
すなわち、酒場が語源の pubが根底にある。



●【自民党憲法草案】

このパブリックを「公共」と訳せば、本来のパブリックの持つ酒場の良さのイメージが消失してかなり均質化した集合体の属性のイメージを想起させてしまう。
自民党の憲法草案のように「公の秩序」という文言に「公共」を飛び越していってしまえば
これはもう完全に全体主義的な色彩を帯びてくる。
とてもじゃないが、パブリック(public)じゃない。



●【<パブリック=公共>と訳した時点で失われたニュアンスを再度考えてみたい】

パブリック=公共と訳した時点で、われわれは、非常に重要なニュアンスを失ってないか。

酒場(パブ)でひと時を過ごす人々のイメージを想起できなくなっていることで、

基本的人権の自由、
あくまで個人が個人の主張を持ち続けることへの寛容、
少数意見が暴力によらず、言論で多数意見を忌憚なく攻撃し、少数意見がみんなの「そうだ、そうだ」という多数意見に成長する可能性を保障する制度としてのdemocracy、
そうした本質をイメージできなくなっているのではないだろうか。


酒場の客同士が生きてそこで飲みあっている、そんな人民に主権があるという人民主権の本質がなくなっていはしないか。

「おい、マスター、ボーイよ、保安官に、判事よ、
主権者である俺たちが金を出し合って、主権者である客の俺たちが、おまえらに酒場の切り盛りを任せたのに、
主権者である客の俺たちに『黙って飲まねば逮捕する』だとか、
おまえらが決めた機密に『話題が触れたら逮捕する』だとか、
ぼったくりだとか、

ふざけるな、
お前らはもう必要ない、
別のマスター、ボーイ、保安官、判事に、おまえらを全員入れ替えるだけだ!」

<パブリック=公共>と訳した時点で、ニュアンスが失われ、
叩き出す権利が、客にはなくなっていて、
ただただ、切り盛り役に従っていなければならない暗い重苦しい場になっている。

ロックの<抵抗権による革命>思想などとてもじゃないが出てこない。

「切り盛り役が金を使い込んだり、
ばかげた経営に手を出したり、
マスターや保安官や判事らがめちゃくちゃな逮捕や裁定をしないように三権を分離したのに、
三者でつるみやがって主権者である俺たち客を食い物にするとは何事だ!」

パブリック=公共と訳した時点で、よほど思想的にしっかりとパブリックの本来の意味を押さえてないと、もはや酒場のパブ持つの良さは消え失せている。

ルソーの人民主権の精神などとてもじゃないが出てこない。

酒場のもつ意味合いを失っていつのまにか均質化したイメージの翻訳になって public は全く別のものになっている。

おそろしく全体主義的な、より均質化を要求するニュアンスにどんどん偏っていく。

public は pubの属性を喪失し、均質化した秩序を維持せよという指令用語と成り果てていはしないか。

ファシズムの芽が public のニュアンスを失って訳した時点で内在されてしまっているのではないだろうか。

公共という日本語に、 public の意味を復活させなければならない。
思想の力で、 public のニュアンスをあたえなければならない。そのような public の約束定義を実現することからはじめなければならないのではないだろうか。




●welfare( ウェルフェア)について

welfare( ウェルフェア)を「福祉」と訳している。

しかし福祉と訳したことでこれもかなり喪失した意味があるようだ。
パブリックが酒場のもつ意味合いを失っていつのまにか均質化したイメージの翻訳になったように。

英語の welcome の wel も welfare( ウェルフェア) のwel も同義という。
「 気分良く come に応じる 」 というニュアンスがあるという。

fare( フェア) は 、fair( フェア) ではなく、すなわち 「 公正 」「 公明 」 などの意味ではなく、
fare は 「 運賃 」「 料金 」「 食物 」 などの意味になるという。
動詞 としては 「 旅する 」 などの意味があるという。
快適に旅する、快適に走行するという意味で「快適走行」のニュアンスらしい。

しかし、
自民党の憲法草案の【公の秩序】というもので、気分よく快適走行できますか?
酔いなんか一発で覚めるではありませんか。特高が乗り込んできて、秘密警察がそば耳を立てている社会では。
徴兵制で戦争に送られる社会。
放射性物質を食わされる社会。
消費増税をガンガンふんだくられる社会。
高額医療。TPPで国民保健医療制度壊滅の社会では、・・・

とてもじゃないが快適走行じゃない。

fare は ドイツ 語に同義語の Fahrt( ファールト)があるという。Fahrt( ファールト) には 、「 走行 」「 通行 」 「 旅行 」「 ドライブ 」 などの意味があり 、 女性名詞 というから、


Fahrt( ファールト) には 、女性、 つまり弱い立場にある人が快適に旅 する ( 人生を歩む ) ことができる状態にも援用さ れ るという。
例えば生活保護を称して Wohlfahrt( ヴォー ルファールト ) と呼んだと辞書に書かれているという 。
「 福祉 」 と日本語に訳してしまうと消えてしまう意味が 、 そこには隠されているという。


ああ、なんということだ。

public welfare( パブリック・ ウェルフェア) は、もうずたずただ。

「公共の福祉」としてしまえば、
酒場のひと時を過ごす人々の、利害を超えた、敵対関係も乗り越えた、そこで人々が限られた時間を過ごす自由のイメージもなければ、
弱いものにやさしい快適走行のニュアンスもない。

これで社会契約説の、democracyが成り立つのか。人民主権が成り立つのか。基本的人権が成り立つのか。

弱いものに優しい、限られた人生という時間を、利害を共有しようが対立しようがすべて呑み込んで、
パブでの暗黙のルールで、自由への確信で、楽しくすごせる、
弱いものにもやさしい快適走行
そんな public welfare( パブリック・ ウェルフェア) は、微塵も、「公共の福祉」という硬いことばから発露していないではないか。

それどころか、、「公共の福祉」で、基本的人権を制限できると主張し、「公共の福祉」は「公益」だの「公の秩序」にさらに悪化し、なんでもかんでも縛り上げて、均質な「公の秩序」「国家の利益」のために生きろ、いや死ねとまで、言い出している自民党憲法草案だ。それへの改定とは、
とんでもない話ではないか。


すべては、 public welfare( パブリック・ ウェルフェア)の思想を切り捨てたところから始まっている。


●我々は、いったん、「公共の福祉」なるピンと来ない日本語から逃避しなければならない。
われわれは public welfare( パブリック・ ウェルフェア)の思想に立ち返るべきだ。

社会契約説の本質は、public welfare( パブリック・ ウェルフェア)の思想を理解する人間になればだれもが理解できるようになるだろう。
逆に、
public welfare( パブリック・ ウェルフェア)の思想を理解できない限り、社会契約説は、けっして血肉にはならないのではないか。


こんな居心地のいいパブをめちゃくちゃにする悪漢が仕切り始めたら、そんな奴らはみんなで叩きだして新しいパブリックを作らねばならないというのが、ロックの思想だ。
社会契約説的にはパブリックの思想はパブの思想であり、ウェルフェアの思想に凝縮されていると思う。


(了)

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