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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの■□■ 共謀罪ができたらゼネストができなくなる。今ならできる! ■□■ 羽仁五郎bot  ヘのコメント

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https://twitter.com/reef100/status/772463977846546432
*-------編集後 引用開始 ---------*

●羽仁五郎bot ‏@gorohani

「大人しくしていればひどいことはならない」これは全くの間違いだ。アウシュビッツで死んだ400万のユダヤ人達は、武装蜂起など計画せず、ヒトラーの言うままにみな大人しくアウシュビッツに入れられ殺された。「大人しくなんかしていたら殺されてしまう」のが、現在の独占資本の段階の本質なのだ。

18:26 - 2016年9月3日


●アステローペ・リーフ ‏@reef100

■□■ この羽仁五郎botの言葉は切れが悪い。 ■□■ 

切れが悪いのはなぜか?出典を明示しないから本当の羽仁五郎の言葉か、botが自分で言い換えた改造語かが不明。後者は論外。前者ならもっと具体的な表現をどこかでしているはずだ。抽象的大まかすぎる。本質を外してる。嘘になっている。

botが表現している部分を、実際の著述(いろんなところで何度も言ってると思うが、アウシュヴィッツの時代P.68から引用するとこうなる。
「現在共産党は、学生があばれるからそれでファシズムを徴発しているのだ、なんて言っている。これがいかに不勉強であるかということは、ユダヤ人はなにもあばれなかったことをみればわかる。ユダヤ人はゲバ棒なんて持ち出しはしなかったのです。火焔びんも投げなかったのです。ユダヤ人はナチスのいうとおりに、家をたためというからたたんだ。汽車に乗れというから乗った。それでどこへ行ったかというと、アウシュヴィッツに入った。あの中に行ってまで、なんにも抵抗しない。あの中で、一ぺんぐらい暴動をやったらいいんだ。しかしそれをやらない。そして最後にガスで殺されてしまった。」

上記botの表現とくらべて随分日常会話言語でわかりいい。字数制限があって一呟きのスペースにおさめるなら、ここからのエッセンスの部分をさらに絞って載せることができる。別に、スペースをまたいでもいいではないか、その真髄を伝えるなら。

わずかこれだけの文章だが、それを現代日本に投影すればいろんなことが浮かび上がってくる。
何に投影するかによって、それぞれ、いろんなことが論理となって浮かび上がってくる。

そのすべてに共通する源泉は、「抵抗の哲学」だ。

■□■ 抵抗の哲学 ■□■

機関銃を持って武装しろとか、
爆弾持って武装しろとか、
武器を調達して武装民兵軍を作れとか、
それで武装するのが革命であるとか
言ってるのではない。
ユダヤ人が武装蜂起してナチスヒトラーの軍に勝てはしない。
武装そのものができはしない。
アウシュヴィッツの中ならなおさらだ。

犬や猫でも叩き殺そうとすれば抵抗して噛みついてくる。
それが生命の原理だ。
無抵抗でただ殺されていくという姿は、現日本人に投影することができる。
国民のデモはあるが、国民の抵抗はあるが、安倍晋三はびくともしない。
国民的な抵抗になっていないのだ。

このままでは、憲法発議から、国民投票で、最悪の改憲ロードマップが実行されていく。
一度に全面改訂はしない。
だが、外堀を埋めるように、真綿で首を絞めるように、一つ一つ着実に縛り上げられていく。
まるで、アウシュヴィッツに送られていくユダヤ人のようだ。

上記羽仁五郎の文節を現代日本に投影すれば、われわれがユダヤ人ということだ。



■□■ 新治安維持法と抵抗 ■□■

新治安維持法が完成する。植草一秀さんのブログより
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7fd5.html
「 2016年8月29日 (月)
刑事訴訟法改悪+共謀罪=治安維持法
安倍政権は、重大犯罪の計画を話し合うだけで罪に問えるようにする ・・・」

そうなれば手錠をはめられて列車に強制的に乗せられたようなものだ。

そして行き着く先は、緊急事態条項加憲だ。この発動で、全面改憲は朝飯前となる。
自然権たる基本的人権は完全に縛り上げられる。
あとは殺戮の戦争もあれば、地獄の黙示録の世界だ。

だが、日本共産党志位さんは、この現状に対して、次期衆議院選の民進党との共闘の話をしている。https://twitter.com/shiikazuo/status/771175075722649600 … 
国民投票が終わって、即ち、アウシュヴィッツで身動きできなくなっていて、次期衆議院選挙などもう正当な選挙になどなりはしない。

※志位さんの呟き(。https://twitter.com/shiikazuo/status/771175075722649600
*---引用開始---*
志位和夫 @shiikazuo
「民進新代表とも共闘=共産委員長:時事ドットコム」
国政選挙で「できるかぎりの協力」を行うことは公党間の合意事項。民進党の新しいリーダーにどなたがなろうとも、この合意の線で進むと思います。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016083100608&g=pol
*---引用終了--*


■□■ サラリーマン化した共産党、社民党(社会党)、労働組合 ■□■

羽仁五郎は共産党がサラリーマン化したと言っていたが、社民党(社会党)もサラリーマン化した。労働組合も革新政党もサラリーマン化してしまった。
主権者国民自身が、政党や労働組合を踏み越えて、抵抗の哲学を実践する以外ない。


■□■ 政党か国民か ■□■

野党第一党などすでに無くなっている。
ナチス与党に対し、民進党はナチスの外堀与党となっている。
緊急事態条項の「き」の字も口にしない。

羽仁五郎の時代は、野党第1党、社会党があった。
今はない。
要するに、政党を馬車の馬、客車に国民、御者台に、馬の化身が座って行先をお任せしている時代は終わったのだ。
国民自身が御者台に上り、政党という馬をひっぱたいて行先を国民が決める時代だ。具体的に言うなら、
通常の選挙においては、政党が公約を出して国民が政党を選ぶのではなく、主権者国民連合が要求を出し、それに応じる政党のみ支持するという構図が必要だ。
立候補の区割り調整は主権者国民連合がする。応じなければ支持しない。
まさに御者台に国民が座るスタイルだ。これは通常時の抵抗権の行使の話だ。非常時はどうか?

非常時の手段が必要だということだ。


■□■ 非常時の手段 ■□■

次期衆議院選までの間に、親治安維持法は可決され、ナチス憲法草案が発議され、国民投票ではカルト(日本会議、創生「日本」、神道性連盟、創価学会)という熱狂的な組織票軍団が圧倒的に動く。一般人は棄権。ボイコットが半数。
勝ち目はない。
最低投票率規定がなく、投票した票(有効票)の半分を取れば勝ち。
だが、この危機に際し、次期国政選挙で民進党らと共闘しましょうでは、完全に途中(改憲発議に国民投票)が抜けている。非常時だ。

非常時だからといって、tそこで武装蜂起などというのは、ない。そんなものない。

急がば回れだ。
短絡的行動は、破滅する。
まず最も重要な事は脳内革命だ。
情緒的に「がまんなるか!」で情熱を発散しているような軽い脳みそでは、近代市民革命など実現しなかった。
全ての人が理解したわけではない。
しかし、そこには、ちゃんと理論的な確固とした軸を持っていた。


■□■ 非常時の手段のための、脳内革命 ■□■

近代社会契約の国家の約束定義がそれだ。これが源泉だ。
近代社会契約の国家の定義とは、これは、約束定義だ。

定義理論上、定義は三つに大別できる。

1.用法定義、

2.本質定義(経験的意味定義)、

3.約束定義

約束定義は別に、神代の時代からこれが真と決まっているというなものではない。

こういうものであるということを、みんなで約束して受け入れましょう、みんなでオーソライズしましょう、という約束定義だ。


現代の民主主義民主主義と世界中で飛び回っている民主主義は、
即ち、democracyは
近代市民革命を通して近代社会契約として樹立したものだ。

democracyの源泉は、

【国家は、people(人民)が作った、人民の自然権たる基本的人権を守るために人民が国家を作った】という、近代社会契約で樹立した国家の約束定義だ。


■□■ 近代社会契約の国家の約束定義 ■□■

国家は天皇が作ったのではない。
王が作ったものではない。
【国家は、人民が人民の自然権を守るために作った。】これが国家の、近代社会契約における【約束定義】だ。

難しくはない。
これだけだ。

ここにはナチスに対抗する核心がある。

ナチスは、ナチス橋下も、ナチス安倍も、ナチス日本会議も、前提に【自然権たる基本的人権】が欠落している。論理的推論において、前提にない要素は結論にも起こりえないのだ。これは当然の帰結だ。ナチスは、効率を視点にする。そのためには、人権など敵なのだ。

ナチスの論駁は簡単だ。
自然権たる基本的人権という要素が前提にないところを突っ込めば崩壊する。

そのために、近代社会契約では、【国家は、人民の自然権を守るために、人民が国家を作った】と、自然権たる基本的人権、天賦人権を最も重要なものとして位置付けている。

日本国憲法は近代社会契約の上に立脚した近代憲法だ。

ナチス自民党憲法草案には、自然権たる基本的人権はない。人権は法律による留保(国家が法律に書いて与えたり奪ったりするもの)としている。

我が国民の闘争の歴史に最も欠落していて最も重要なものは、
近代社会契約の国家の約束定義だ。

近代社会契約の国家の約束定義により、
神話の天皇が日本を作ったなどという作り話などもいっぺんに吹っ飛ぶ。
自民党の繰り出すあらゆる法律は、自然権たる基本的人権に敵対するものだ。憲法違反のものだ。幾ら成文法をつくっても、【自然権たる基本的人権】に勝てない。無効だ。


■□■ 日本はナチスが政権についている ■□■

自然権たる基本的人権など全く国民は意識していないからだ。 

ドイツはナチスを掃討した。
だから、ナチスでない一般市民にナチスというのは最大の侮辱だ。

だが、日本はナチスが政権についているのだ。

「ナチスの手口をみならえ」とまで言っているナチスが国家権力を握っている。
自然権たる基本的人権など全く国民は意識していないから、こんなナチスが大臣、首相になる。

近代社会契約の国家の約束定義を空気の様に国民が血肉化すれば、
すなわち、近代市民革命で樹立したエッセンスのエッセンスを脳みそが通過すれば、
すなわち、脳内革命さえ起これば、
放っておいても、以後、日本人民の伝統になる。


■□■  非常時の手段 ■□■

だが、そんな悠長な時間はない。
すでに、アウシュヴィッツ行の列車にわれわれは並ばされている。

緊急事態条項加憲 →緊急事態条項発動 →憲法停止 →全面改憲 の悪だくみが
すでにはっきりと読み取れる。


ナチスに破壊されない為に、
すなわち、
近代社会契約の国家の約束定義【国家は、人民の自然権を守るために、人民が国家を作った】を実現する為に、今や、【非常時の手段】が必要だ。


結論から言うと、近代社会契約の国家の約束定義を実現する【非常時の手段】は
【ゼネストという平和革命】、そして、【人民の津波による平和革命】だ。

【ゼネスト】も平和革命の範疇だ。

近代社会契約の国家の約束定義を実現する【通常時の行動】は、正当な選挙だが、
近代社会契約の国家の約束定義を実現する【非常時の手段】は【ゼネストという平和革命】、そして、【人民の津波による平和革命】だ。


■□■ 【革命】には二つある。【暴力革命(武力革命)】と【平和革命】 ■□■

政治形態の移行の方法として、

【1】.武力による権力の奪取を目指すという立場
    即ち、暴力革命(=武力革命)という立場

【2】.議会制民主主義の制度を採用している中で、選挙での多数勢力獲得を通じて政治の変革を実現するという立場

この二つに絞ることは、一般的に常識化している。


【1】についていえば、
革命と聞くと日本人はほとんどの人が暴力革命(=武力革命)をイメージする。

そして、暴力革命に反対だという理由で、革命に反対だという。
そして、【議会制民主主義(間接民主制)により議会の多数を獲得して平和裏に政権を移動する】ことを、支持するという。

だが、【革命】には二つある。【暴力革命(武力革命)】と【平和革命】
【暴力革命(=武力革命)の対義語】は、議会制民主主義(間接民主制)でも、多数決でもない。【平和革命】だ。

【2】についていえば、
【議会制民主主義(間接民主制)により議会の多数を獲得して平和裏に政治形態を移行すれば、平和裏にその政治形態が続く(暴力による反革命の心配はない)】というのも間違いだ。

【議会制民主主義(間接民主制)により議会の多数を獲得して平和裏に政治形態を移行しても
クーデター(反革命)が有りうる。】

チリのアジェンデ政権は歴史上はじめて選挙でできた社会主義政権だが軍事クーデターで転覆させられた。
ホワイトハウスの支援と黙認の下で武力により国家転覆をした。

かつて自衛隊の三矢研究というのが発覚した。
非常時に乗じた、シビリアンコントロールを破棄した動きの研究だ。
その意味ではクーデター研究だ。

その後も自衛隊幹部は、NHKテレビで、にやけながらこう答えていたことがある。
アナウンサーが、もし共産党政権ができたら従うのかの質問に
「我々は従わない」と明言していた。クーデターをするというわけだ。

【平和裏に、選挙での多数勢力獲得を通じて政治形態の移行(政治の変革)を実現する】というのは
【平和裏に移行したら、平和裏に継続する】という思い込みがあるなら、
してみると妄想ということになる。大きな誤解だ。そうは問屋が卸さないということだ。


じゃあ、日本共産党綱領の、
「五、社会主義・共産主義の社会をめざして
・・・
その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。」は風前の灯だ。絵に描いた餅ということになる。

選挙で多数勢力獲得したから、それでい政治形態の移行が平和裏に行われるなどという保証はない。
いつでも反革命でひっくり返る可能性を大変大きく内在している。
暴力装置があり、その暴力装置が人民の暴力装置でないなら、いつでもクーデターでつぶされるということだ。

たとえ自衛隊という暴力装置が無くても、暴力的権力、非合理な権力がある限り、暴力で反革命を起こし得る。


■□■ 反革命を起こさせない方法はあるか?ある ■□■

国民に、近代社会契約の国家の約束定義【国家は人民が、人民の自然権を守るために作った】があり、
それを国民が伝統としてもっていれば、即ち国民が血肉化していれば、
その国民を暴力的権力がひっくり返しても国民を従えることはできなくなる。

銃口、対、抵抗。拷問、対、抵抗。
脳内革命で近代社会契約の国家の約束定義を血肉化した国民を、
その抵抗権の行使を、
銃口も拷問も覆すことはできない。
無数の国民が後に続く。
屈服しない国民を制する事はできない。

日本共産党は、「出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、」と言ってるが、
社会主義・共産主義への熱狂的な支持など起こらない。

国民は、自然権たる基本的人権を守られることが、一番なのだ。
近代市民革命を経て、そこで近代社会契約を樹立し、
近代社会契約の国家の約束定義やdemocracyを、理念としてきて現代に至る人類史の証明するところだ。

その血肉化には温度差があるが、すくなくともdemocracyという用語は、万国共通概念になっている。
【自然権たる人権】も世界人権宣言をみるまでもなく、万国共通概念になっている。
その概念を国内に実現していなくとも、この概念の正当性を、世界の衆目を集める場で否定できるものはいない。

国民が、近代社会契約の国家の約束定義【国家は人民が、人民の自然権を守るために作った】
それを血肉化していれば、その矜持を持った国民を、暴力的権力は従えることはできない。
たとえ反革命でひっくり返しても、国民は従わない。
そんな反革命は、とん挫する。


■□■  非常時の手段にもどり、掘り下げてみたい ■□■

革命権の行使は、抵抗権の行使ともいえる。
一新することが革命とするなら、抵抗権の行使で、一新すれば革命と言える。

平和革命は絶対に流血がないということではない。
不幸にして流血もありうる。
しかし、議会闘争・平和的デモなど、相対的に平和な方法で流血を極力避けつつ政治形態の移行を実現することが平和革命。

無論通常時の抵抗権の行使である選挙も大きくは平和革命の一つ。、
非常時の平和革命の手段は二つある。ゼネストと、人民の津波。

平和革命は、過去に例がある。

ソース:フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2
(ソース:http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/e3fc8132e2b5f7f3b17f833765063ba5 … …)
※添付写真参照
*引用開始*
マルコス大統領とイメルダ夫人は、国民感情が自分たちから離れていることに気づき、状 況を打開するため、シン枢機卿に自分たちの側について国民 を説得して くれるよう依頼しましたが枢機卿はこれを丁重に拒否。大統領と夫人に対して、マルコス打倒を叫んでエドサに集結していた群衆に対して武力行使を行わな い ようお願いしました。にもかかわらず、大統領は軍に対してデモ制圧のための武力行使といった強権を発動したのです。戦車と兵士の一隊がデモの大群衆に接近した時、デモに参加していた民衆はその場にひざまずき、ロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いました。これを見た兵士たちは、マルコス大統領の武力制圧の命令を拒否したばかりでなく、一部は逆にデモ隊に加わりさえしたそうです。
*引用終了*


フィリピンのピープルパワー革命はキリスト教が広くいきわたっている国の枢機卿の権威、シスターの尊敬されるべき実像、そうしたものが先頭に立ち遂行された。
近代社会契約の国家の約束定義「自然権を守るために国家を人民が作ったという」が血肉化されたわけではない点で異質だ。
日本では起こりえない。
だが、日本に日本国憲法がある。
日本国憲法の土台を掘り下げ、近代社会契約の国家の約束定義に開眼し、それを血肉化したオーソドックスな近代市民革命の系譜を、そのエッセンスを、クリティカル・パスとして突き進む王道がある。


平和革命の、ドラスチックな方法のもう一つは、ゼネストだ。

ゼネストについては羽仁五郎が興味深い指摘をしている。

(アウシュヴィッツの時代P.43〜44)
「法律は守らなければいかんなんていうと、しろうとはそうかと思うのだ。あれも狼のこしらえた話です。
法律は守らなければいかんなんていうことは、憲法のどこに書いてある。憲法の中には、明らかにこの憲法に違反するような法律・命令・その他一切の政府の行為は無効であると書いてある。つまり、体制のやることが無効である場合があるといっているではないか。
だから体制が無効なことをやった場合には、裁判官は体制に抵抗しなければならんということを、憲法は命令しているのだ。

(途中、リーフ注:憲法98条の【政府】は広義には統治に関わる立法・司法・行政すべての機関および機構の総称を指し、狭義には、行政を司る内閣とそれに付属する行政機関(執行機関)から成る行政府を意味する。しかし、狭義としても、裁判官は憲法第99条でこの憲法を守れと命令され、かつ、憲法76条で「憲法に拘束される」と明記している。

憲法98条違反に対し、
即ち、明らかにこの憲法に違反するような法律・命令・その他一切の政府の行為は無効である場合、
「裁判官は体制に抵抗しなければならんということを、憲法は命令しているのだ。」
という指摘は当然である。

なにも憲法98条、憲法99条、憲法76条を持ち出すまでもない。

近代社会契約の国家の約束定義【国家は人民が人民の自然権を守るために作った】

同・国家権力の約束定義【国家権力は人民が国家に信託したもの。国家に国家の使命ヲ果たさせるために】

同・憲法の約束定義【憲法は国家に強大な国家権力を信託したことと引き換えに、国家に人民が約束させたもの。人民が国家を縛ったもの】

からしても

明らかにこの憲法に違反するような法律・命令・その他一切の政府の行為は無効である場合、
「裁判官は体制に抵抗しなければならんということを、憲法は命令しているのだ。」
という指摘は当然である。)

現に最近、第一線の若い裁判官の中に、全逓なり国鉄なりあるいは日教組なりが、争議権というものを元来もっているものなのだ、それを法律上制限しているのは最小限に限らなければならない、と主張している人たちがいる。学校の先生がストライキをやったからといって、それで世の中がひっくり返りはしない。世の中がよくなるのです。国鉄だって、全逓だって、もっとストライキをやれば日本はずっとよくなるのだ。やらないから悲惨なことが起こるのです。だから法律で争議権を奪っているということは、憲法違反なのであって、公共企業体の労働者、教育公務員も全部争議権をもっているのだという自覚を失っていることにこそ問題があるのだ。この人たちがゼネストさえやれば、軍国主義は阻止できるにきまっている。」

現在、残念ながら国鉄は解体された。
教育公務員は組合の組織率が基本的にいちじるしく低下した。
かつ、組合が分断化している。
組合が教育公務員のゼネストを統理する状態にはないだろう。

ここで注目すべき言葉は「…この人たちが争議権を回復し、ゼネストさえすれば、軍国主義は阻止できるに決まっている」というくだりだ。

民主党政権ができ時、公務員の労働基本権の回復を公約にし、
「国家公務員の労働基本権(争議権)に関する懇談会」も発足したが菅政権下で「政府は、今回は争議権を付与せずに今後の検討課題にすることにしました。」(http://kato-toshiyuki.com/policy/post-86.html …)で消えた。

(アウシュヴィッツの時代P.45〜46)

・・・

軍国主義といかに闘うかというのは、労働組合やゼネストができれば簡単です。いまの沖縄返還協定というものを阻止する。これは総評もいっている。いっているのならば、何も学生にまで苦労をかけないで日本でゼネストをやったらいいではないか。電気をとめてしまえばいいのだ。電話もとめてしまえばいいのだ。なにも長いこととめてくれとはいわない。長いこととめておくと、国民のみなさんにごめいわくだから、二十四時間ぐらいでいい。二十四時間でいいから電話をとめてもらいたいのだ。電気もとめてもらいたい。そうすれば佐藤栄作なんてやつは、倒れてしまうのだ。

・・・

沖縄返還協定を阻止するためには、総評が労働組合だというならば、事実の法のない成文法なんておそれずに、ゼネストをやればできるのだよ。

・・・

ゼネストとか革命というのはやればできるのだ。一九一七年にできたものがどうしていまできないのだ。一九一七年といえばもう五十年も前の話だよ。

よくマルクス主義は古くなった、というやつがあるが、そのとおりだ。マルクス主義やレーニンなんぞはもう古くなっちゃったのだ。だからいまはレーニンやマルクスがやったようなことは、簡単にできるはずなのだ。古くなったというやつは、そういう意味で、古くなったのだ。

マルクスやレーニンのときは、あれはたいへんなことだった。世界ではじめてやった。もう古くなったからどこでもできるのだ、あんなことは。キューバでもできればどこでもできるのだ。日本でも三里塚でやっている。

革命というのは、なにも全国でやらなければならないという法律はどこにもない。

・・・

つまり三里塚でいま争われていることは、国民が、何のために殺されるのかわからないという状況に対する抵抗なのだ。われわれが、何のために誰に殺されるのかわからないという不安、それが現代の不安なのだ。」


(コメント欄に続く)

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