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反改憲!【条約より憲法が上】コミュのナチス晋三のやろうとしていることは完全なるナチス国家だ。社会契約の国家ではない。タコ部屋だ。暗黒警察国家だ。

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■<憲法改正>安倍首相が創設を目指す「緊急事態条項」とは?
(THE PAGE - 02月13日 15:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=3850239

●【ナチス晋三のやろうとしていることは完全なるナチス国家だ。社会契約の国家ではない。タコ部屋だ。暗黒警察国家だ。】

1.やるべきことは、法律や、憲法の改定ではない。

一刻も早く、ナチス安倍晋三、ナチス自公政権をパージすることだ。


2.国家暴力団のもとで、どんな法律を作っても、ギャング法になる。

日本国憲法ですら、ギャング自公政権の下では、正しく運用されてない。


3.だからやるべきことは、暴力的権力、非合理な権力をパージし、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力を樹立することだ。

そのような政権を樹立することだ。
法律や、憲法を変えることではない。

一刻も早く、ナチス安倍晋三、ナチス自公政権をパージすることだ。


4.社会契約に基づいて、日本国憲法は成り立っている。

(1) 国家とは、基本的人権を守る為に、人民が作ったものだ。

それが社会契約の国家の定義だ。

(2) 国家権力とは、国家に、人民の基本的人権を守るという本分を果たさせるために、人民が国家に信託した権力だ。

(3) もし、国家が、人民の基本的人権を毀損するなら、そんな資格無き国家は、取り換える権利を主権者である人民は持つ。それが、人民主権の主権(政治を最終的に決定する権利)だ。

日本国民はこのいろはのいを理解していない。

5.democracyというのは、多数決で決することではない。

democracyというのは、議会制民主主義という間接民主制のことでもない。

democracy=人民支配、人民主権 のことだ。

選挙も多数決も、人民支配、人民主権を実現するための、道具の一つの種類に過ぎない。

ナチスだって、多数決を用いるのだ。ヒトラーそれを使ってdemocracyを停止し、全権委任法を成立させたのだ。

抵抗権、革命権はれっきとしたdemocracyだ。


6.いかなる法律も、ナチスを倒すためのdemocracy(=人民支配、人民主権)を封印する正当性はない。


7.暴力というのはすべて悪いわけではない。

強盗が短刀を突きつけているのに、「ちょっと待ってください、今おまわりさんを呼んできます」
で通用するか?!

そういうときは、【暴力の行使】が必須なのだ。
暴力は人民の基本的人権を守る正しい暴力だ。

国家がナチスに占領され、がんじがらめになり、緊急事態となったときには、「選挙まで待っててください」で通用するか?

ムサシの【インチキ八百長選挙マシン】が日本の選挙を支配している。
ゆえに自公国家暴力団政権が続く。
こういうがんじがらめにされて、主権者人民の基本的人権を守るという、正しい国家ができなくなっているときは、非常時なのだ。
非常時には非常時の手段が必要なのだ。

8.非常の手段

【主権者人民の基本的人権を守る為の暴力革命】は、究極の抵抗権の行使であり、究極の革命権の行使であり、究極のdemocracyそのものだ。

【主権者人民の基本的人権を守る為の暴力革命】は、良いか悪いかの問題ではない。

【主権者人民の基本的人権を守る為の暴力革命】は、可能かどうかの問題だ。)



(1)物理的な行動として、

まず、憲法に反する法律は守らないこと!

憲法に反する裁判所の判断には従わないこと!

これらは日本国憲法98条が言っていることだ。
近代社会契約の国家、国家権力、人民主権の近代において当たり前のことなのだ。
近代社会契約の国家、国家権力、人民主権の日本国憲法下において当たり前のことなのだ。

憲法違反する法律にも、憲法違反する行政命令にも、憲法違反する裁判所の判断にも従わない、それが抵抗権であり革命権の行使だ。

(2)物理的な行動としての最後の最後の手段は、【人民の基本的人権を守る暴力】が自然権として保障されている。どんな小さな動物でも、絶壁に追い詰められたら、猛獣に向かって走り出し、その間隙から逃げていく。
魚だって、人間に追い詰められたら、人間のいる方向に向かって突進して、その間隙から逃げ去っていく。
それしか生きるすべがなければ、相手が何者だろうと立ち向かっていって、その先に開けている生きることのできる世界に突進していくのは、すべての生物の生命の原理だ。

犬だって猫だって、どんな凶悪な人間が取り押さえようしても、必ず、絶対に、牙をむき、大声を発し、噛みつき、抵抗し、逃げようとするのだ。勝てるか勝てないかではない。それが生命の原理だ。

国家暴力団の暴力に対して、暴力の行使しか人民の基本的人権を守る手段がない時には、
暴力を以って資格無き国家、資格無き国家権力を打ち倒す道が人民の自然権として保障されているのだ。
そのような暴力はすべての生命あるものにとって正しい暴力なのだ。自然権だ。
人間にとってはれっきとした人民主権の行使だ。すなわち、democracy【人民支配、人民主権】だ。基本的人権の行使なのだ。

暴力革命が絶対にいけないなどというのは、だから、間違った、ナチスの洗脳フレーズだ。

国家暴力団が暴力を使い、それに対してもはや暴力を以ってしか人民の基本的人権を守ることができない時には、暴力を以って資格無き国家、資格無き国家権力を倒し、人民の基本的人権を守るというのは、当たり前の人民の権利なのだ。

そのことを、日本国人民は理解する必要がある。

暴力には、正しい暴力と正しくない暴力があるのだ。

人民の基本的人権を守る為の暴力は正しい暴力だ。
人民の基本的人権を守らない暴力は、正しくない暴力だ。

(3) ただ、それで、残虐な国家の、プロレスラーのような暴力に、
人民の正義の暴力が勝てるかは別問題だ。
強大な国家権力を持つ、武器を持つ、銃口を持つ国家と、人民の暴力の対決は、まさに、プロレスラーと、子供の闘いのようなものだ。
話にならない。
だから、通常は暴力では解決にならないのだ。

(4) だが、最後の最後、人民の怒りが究極に達したときには、・・・

子供を守る母親の怒りが人民の総意となって物理的力となって、国家権力に歯向かう必要がある。
それが生物の自然の摂理だ。究極の抵抗権であり、究極の革命権だ。

棒を持って髪の毛を逆立てて立っている女に、
暴力は止せと叫ぶ前に、
見よ!その女性の後ろに幼子がいて、その女性の前には狼がいるのだ。

暴力には、正しい暴力と正しくない暴力があるのだ。

人民の基本的人権を守る為の暴力は正しい暴力だ。
人民の基本的人権を守らない暴力は、正しくない暴力だ。

最後は、人民の基本的人権を守る正しい暴力の行使で政府を倒す権利が、主権者人民の基本的人権にはあるのだ。天賦人権にはあるのだ。

基本的人権を守る為にもはやそれしかないときには、一億総結集して、政府を倒す権利が
人民の基本的人権にはあるのだ。
そのような正しい暴力の行使を行う覚悟を主権者人民が心の根底に持つことは、非常に重要な心の準備だ。

【主権者人民の基本的人権を守る為の暴力革命】は、

究極の抵抗権の行使であり、

究極の革命権の行使だ。

それはまた、究極の人民主権の行使であり、

究極のdemocracyだ。


【了】

<追記>
歴史的には、もはや、暴力革命をする非常事態に、日本国人民は位置している。暴力革命というのは、良いか悪いかの問題ではない。成功するかどうかの問題だ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950310811&owner_id=38378433


『今、日本国人民がやるべきことは改憲ではなく、安倍晋三を憲法99条違反の【稀代の憲法破壊犯罪者】として投獄することだ』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1949339119&owner_id=38378433

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