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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの「新党大地」の鈴木宗男のナチスぶり

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「新党大地」の鈴木宗男は共産党とは選挙協力しないが、ナチスには手を貸すってか?小沢一郎をみならえ!ボケ。お前も所詮ナチスだ。自民党に復党しろ。うろちょろするな!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1949475600&owner_id=38378433

来たコメントが二つあった。その展開を編集後に掲示。



【1】Tさんのコメント 2016年01月12日 20:11

ニュースから失礼します。日本共産党が嫌なのは、日本共産党の綱領でしょぅ。わたくしも辺野古反対で翁長知事を支持すれど・・・日本共産党には投票したくないです。また 新左翼にも投票したくないです。武力革命を組織でお持ちなので平和な市民生活をおびやかされたくない
党の綱領を変えてほしいと思ってます。多党制での社会主義なら武力革命は必須ではないと考える。格差是正の解決策にもってきても手段の一つの考え方です。



【2】アステローペ・リーフのコメント 2016年01月12日 20:32

> Tさん 党綱領のどこに武力革命なんて書いてあるのですか?読んだことないでしょう。これがそうです。http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/


民主主義革命をするというのは、議会で選挙で多数を占めるということを経て、民主的政府を作る。それのあとに、国民が成長して国民の総意があれば、社会主義に向かうということです。民主連合政府も作れないで、民主連合政府で、政治が成功して、そのあと、国民が社会主義を支持をして初めて社会主義になるのです。支持しなければ、資本主義制度のなかでの民主的政府ができたままそこのでの政治がつづく。そういうことです。

革命という言葉が嫌いなら、それは偏見です。産業革命もある。マルコスを追い出したフィリピンのpeople革命もある。政治を一新するというのが政治革命です。別に、機関銃や爆弾持って殴り込みをかけるのじゃありません。 ソース:フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2(ソース:http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/e3fc8132e2b5f7f3b17f833765063ba5)

しかし、日本共産党の民主主義革命というは議会で多数占めるという普通の選挙のやり方ですから、 フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2(ソース:http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/e3fc8132e2b5f7f3b17f833765063ba5) ですらない。

フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2(ソース:http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/e3fc8132e2b5f7f3b17f833765063ba5)のエッセンスはここです。

引用開始→ マルコス大統領とイメルダ夫人は、国民感情が自分たちから離れていることに気づき、状況を打開するため、シン枢機卿に自分たちの側について国民を説得してくれるよう依頼しましたが、枢機卿はこれを丁重に拒否。大統領と夫人に対して、マルコス打倒を叫んでエドサに集結していた群衆に対して武力行使を行わないようお願いしました。にもかかわらず、大統領は軍に対してデモ制圧のための武力行使といった強権を発動したのです。
 戦車と兵士の一隊がデモの大群衆に接近した時、デモに参加していた民衆はその場にひざまずき、ロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いました。これを見た兵士たちは、マルコス大統領の武力制圧の命令を拒否したばかりでなく、一部は逆にデモ隊に加わりさえしたそうです。 ←引用終了

このpeopleパワー革命は、銃口一つ火を噴かなかった。市民の意志がマルコスを追い出した画期的な革命です。しかし、日本共産党はこれすらやらない党綱領です。

武力革命というのは、起こらないです。市民の共感を得ないで銃口で何もできはしない。それより、そういう宣伝を真に受けて、民主政府を作らず、ファシズム政治を続けることの方がはるかに暴力的権力の政治です。

全国の機動隊 = 3万人 (参考http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse132.html
陸上自衛隊(予備を入れて20万人)この武器集団相手に、なにができるというのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A
http://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/kousei/index.html

ピープル・パワー革命は、無血democracy革命です。しかしこれは、共産党ではなく、日本国人民が、自発的に市民運動として、peopleパワー革命として、フィリピン「ピープル・パワー革命」25周年 Vol. 2(ソース:http://blog.goo.ne.jp/isshin3_jph_m/e/e3fc8132e2b5f7f3b17f833765063ba5)のように起こす以外、無血democracy革命はあり得ない。

ピープル・パワー革命はにような無血democracy革命を起こす起こさない、起きる起きないというのは、共産党の問題ではないです。国民一人一人の意識の問題です。投票の問題ではない。



【3】 Eさんのコメント 2016年01月12日 23:54

単純な話、共産党と組んだら選挙に勝てないと思ったんでしょ。
大阪市長選挙では共産党がナチス自民党に協力して大惨敗してたしw
鈴木さんはあざといですから選挙の勝負には敏感なのです。



【4】 アステローペ・リーフのコメント 2016年01月13日 04:48

> Eさん

おっしゃる様に同日選挙になったとき負けるという認識をもっています、本人が言ってますから
(ムネオ日記:1月12日:http://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12116269838.html
*−−−−引用開始−−−−*
野党統一候補と耳障りの良いバラ色の足し算だけの話を進めても、衆・参同日選になったらどうなるのか。引き算もしておかないと計算が合わなくなると私の経験則から考えるものである。
*−−−−引用終了−−−−*
一方こうも言ってますね。
(ムネオ日記:1月11日:http://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12116269838.html
*−−−−引用開始−−−−*
私は、昨年の北海道知事選挙でも佐藤のりゆき候補に共産党の影が見えてきたとき、明確に引き下がらせて頂いた。

北海道5区の補欠選挙でも「市民の会」なるものが、国家間、世界観、政治理念、政治信条が全く違う共産党を加えての統一候補には、新党大地 鈴木宗男は断じて乗れないし、乗るわけにはいかない。

私は信念を持って生きてきたし、これからもより強い信念をもって生きていく。
*−−−−引用終了−−−−*
結果的に、ナチスに加担する。

選挙に挑む認識目的は、己が生き延びる(選挙に勝つ)という本能的な認識目的を持っている。
そこには、ナチスを倒すという認識はない。どこかにあるのかもしれないが、非常に低い。
改憲して基本的人権を「法律の留保」にし、完全なる国家中央集権制になったらなったでそこに便乗して生きていくという典型的なタイプです。


【「市民の会」なるものが、国家間、世界観、政治理念、政治信条が全く違う共産党を加えての統一候補には、新党大地 鈴木宗男は断じて乗れないし、乗るわけにはいかない。 】という表現に、日本国人民の基本的人権を守るという認識はない。democracy(=人民支配、人民主権)政府を作るということに反対するというもの。

【基本的人権を守る、人民支配、人民主権】を実現するというのが、それが日本国憲法の意志。
近代社会契約に立脚した近代憲法たる日本国憲法の意志。
日本共産党が、それを、【日本国人民の基本的人権を守る、人民支配、人民主権を実現する】を実現しようとしている限り、
democracy(=人民支配、人民主権)政府を実現しようとしているわけで、
共闘できないというのは、完全なる政党エゴイズム。敵対行為。日本国人民の基本的人権を守る、人民支配、人民主権を実現するに対する敵対行為。


私的には、日本共産党自体は理想のdemocracy理念を実現した理想のdemocracy政党ではない。しかし、そんな理想のdemocracy理念を実現した政党などを待っていては、ファシズムに制圧されるだけだ。

生活だって社民党だって理想のdemocracy理念を実現した理想のdemocracy政党とは言い難い。民主党や維新に至ってはなおの事。しかし、ファシズムを倒す、人民の基本的人権を守る、人民支配、人民主権を実現する、この方向性でいくなら、
象徴的に、これをファシズムを防ぐと表現するなら、
さらにその象徴としての戦争法を防ぐと表現するなら、
反自公政権で一丸となって選挙する以外ない。

ここに乗れないいかなる政治政党も、贋物だ。


政治政党の問題は無論あるが、それと匹敵して、あるいはそれ以上に、日本国人民が、日本国憲法の明文中の「国民」レベルに達していない、非常に劣化した「国民」である事こそが、この国の致命的なところです。


まず、日本国憲法は、 近代社会契約に基づいた近代憲法であり、
近代社会契約の理念(国家の約束定義、国家権力の約束定義、人民主権の約束定義、その他)は、近代市民革命以降、人類普遍の原理となった【democracy】(=人民支配、人民主権)という用語にしみ込んでいる。

国家の約束定義は、
「国家は人民が作った。人民の基本的人権(自然権)を守る為に人民が国家を作った。」とするもの。
これが国家に対する社会契約(=歴史的に人類が市民権を獲得した約束定義、平たく言えば理屈。)。
この理屈を、「国家」というものの約束定義を、出発点にしなければ、近代社会契約も近代憲法も近代も成り立たない。

国家が、「人民が、自然権たる基本的人権を守る為に人民が作ったものである」に、まず、自民党は反逆している。
自民党憲法草案は、「基本的人権は、法律に書いて、国家が与えたり剥奪したりできるものであって、自然権ではない」、というものですから。
これでは、現日本国憲法のちゃぶ台返しどころか、近代へのちゃぶ台返し。中世になる。
明治憲法とおなじく「法律の留保」という考えですから。

この出だしからしてもう、正当性はない。

基本的人権を自然権ではなく、すなわち、初めに基本的人権ありきではなく、初めに国家ありきでは、国家が自在に基本的人権をハンドリングできる。すなわち、人民主権の停止。それは、国家中央集権制と直結。アンチdemocracy(=アンチ人民支配=アンチ人民主権)です。

人民主権の停止というのは、ヒトラの全権委任法と同じ。議会制民主主義(間接民主制)で、democracy(=人民支配、人民主権)を停止する、というのですから。

日本国人民は、【日本国憲法の中の明文中の「国民」】が、
【国家は人民が作った。人民の基本的人権(自然権)を守る為に人民が国家を作った。】
とする約束定義で国家を認識していることを理解し、
それを空気の様に当然のこととして感知するレベルに己を引き上げる必要がある。
この【「国家」の約束定義を認識する】という一点をもって、ファシズムに対抗できる。
簡潔に言えば「人民の視点」を持つということ。

自公政権にも、戦争法にも、消費増税にも、鈴木宗男の共闘拒否にも、大阪維新にも、民主党の前原らある勢力にも、この「人民の視点」はない。

出発点が、「初めに(自然権たる)基本的人権ありき」ではない。近代社会契約ではない。出発点が反近代憲法になっている。反日本国憲法になっている。噴飯もの。
こんなのが日本の国家権力を掌握し、こんなのを選挙で選んでいる「国民」というのは、悲惨極まりないレベルです。
日本国人民は、日本国憲法の「国民」に己を引き上げるべき。
でなければ、邪悪な政治勢力に完全に制圧される。その最終章が、改憲。戦争法。

【了】

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