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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの政治詩 「 毎日が八月十五日 」  ・・・現・日本人の大衆って何を見ているのだろうか?

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政治詩 「 毎日が八月十五日 」

              リーフ作(2016/01/03)

現代はある意味、毎日が八月十五日だ。

毎日が敗戦の日だ。毎日、玉音放送が流れている。

八月十五日、それは、日本で唯一日本の革命をする絶好のチャンスの日だった。

だが、疎開先で食糧探しをしていたのだ。

インテリゲンチャも、若い学生も。


今、我が国は、毎日が 八月十五日だ。

そして、まもなく、第二の治安維持法時代が始まる、このままでは   すでに法律は整った。

あとは改憲一直線で完結する。

束の間の八月十五日が、毎日毎日続いた後、天井が落ちてくる。



(了)


自分以外の事はなかなか見えないものだ。

現・日本人の大衆って何を見ているのだろうか?


20代は、シールズが最先端のようだ。通常の20代は、あのシールズ以下だということだ。

30代から50代は、働き盛りだが、毎日が疎開先での食糧探しなのか?

そして60代以降は、棺桶に片足突っ込んで何を見ているのか?





●『羽仁五郎が、敗戦の日、だれも牢屋に救出に来てくれないことに対して、こういっている。】


(出典:自伝的戦後史 羽仁五郎著 講談社 P.106〜P.107)
*−−−−−−引用開始−−−−−−−*
「八月十五日の淋しさ

 さて、ここであの「八月十五日」の問題に話を進めよう。
 八月十五日には、天皇の放送で国民全体が虚脱状態に陥ったと一般に言われているが、そんなことはウソだ。
 世界のどの国でも、敗戦はかならず革命につながっているのだ。ロシア革命でも、第一次世界大戦のロシアの敗戦からレーニンの革命になった。
 ぼくが留置場にいたときの八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦となって無条件降伏をした。そのときこそ、日本の革命の絶好のチャンスだった。だからぼくは一刻も早く留置場を出たいと思った。また、ぼくといっしょに勉強した若い人たちが、当然ぼくを迎えにくる、つまり釈放を要求してくれることを期待した。当時の警察は、それを拒否する力はぜんぜんなかったのだ。警視庁から玉川警察の留置場に移されたときには、玉川警察の留置場には国文学者の近藤正義君や新興宗教の女性がいた。この女性はなかなか立派な態度だったが、彼らもほかの留置人もみんな出されてぼくひとり警察に残っていた。だれか、ぼくの釈放を要求すれば、警察でもそれを拒否できなかっただろう。
 だから、あのとき、ぼくといっしょに勉強し、ぼくが最も愛し尊敬していた若い青年たち、学者たちがやってきて鍵をはずし、ぼくを迎えてくれたら、革命はできたのだ。なにもぼくがやると言う意味ではないが、当時は歴史的に革命が必然的な状況だったのだ。逆にいうと、日本の八月十五日は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例だろう。これはそうとう深く考えなければならない。
 『思想の科学』で鶴見俊輔が、「語り継ぐ戦後史」というテーマでぼくと対談したとき、ぼくは、戦後史よりもなによりも、八月十五日に自分は何をしていたかが問題だといった。
 ぼくは牢屋のなかに座って、若い連中がぼくを迎えにきてくれると思って、一日中待っていたが、夕方になってもこない。夜になっても、そして翌日になってもだれもきてくれない。そのとき、日本の革命の唯一の絶好のチャンスが失われていくことをしみじみ感じた。いままであんなに淋しい思いをしたことはない。
 外にいた羽仁節子があとで話したのだが、疎開先で食糧を手に入れようと紹介してくれといってきたぼくの若い学友がいた。疎開して食糧探しをしている場合ではないではないかとたいへん淋しい思いをしたというのだ。だから、あの淋しさはけっしてぼくだけの感じでもなかったわけだ。
 これはくり返してはならないことだ。前から話しているように、なにもぼくのあとをついてこいとはいわないが、逃げる必要はないのではないか。
 結局、ぼくを牢獄から救い出してくれたのは、一緒に勉強した若い学徒のひとりではあったが、残念ながら日本人ではない、カナダのハーバート・ノーマンという学者外交官だった。

・・・
*−−−−−−−引用終了−−−−−−*


現代はある意味、毎日が八月十五日だ。

毎日が敗戦の日だ。毎日、玉音放送が流れている。

八月十五日、それは、日本で唯一日本の革命をする絶好のチャンスの日だった。

だが、疎開先で食糧探しをしていたのだ。

インテリゲンチャも、若い学生も


上記手記のなかで、羽仁五郎は、「日本の八月十五日は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例だろう。これはそうとう深く考えなければならない。」そういっているが、

改憲の危機を前に、日本がファシズムのまま、democracy(人民支配、人民主権)に覚醒もせず、どんどんファシズムにながされていくというのは、まさに、その「相当深く考えなればいけない八月十五日とつながっていると思う。

なぜ、八月十五日、日本人民は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例を作ったのか。なぜ、疎開先で食糧探しに、最先端のインテリゲンチャである若者まで堕落し続けていたのか。

【了】

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