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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの差別はこの世の中にたくさんあるのですが。他の差別と分けて考えることの方が良くわからない。

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差別はこの世の中にたくさんあるのですが。他の差別と分けて考えることの方が良くわからない。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948305327&owner_id=38378433&org_id=1948304459

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●【差別はこの世の中にたくさんあるのですが。他の差別と分けて考えることの方が良くわからない。】

差別はこの世の中にたくさんあるのですが。

部落民への差別、在日朝鮮人、在日韓国人への差別、人種差別、貧困者への差別、ホームレスへの差別、非正規労働者への差別、親のない子への差別、施設に入っている子供への差別、学歴差別、性の問題に関する差別、etc。

「同じ人間なんですよ、だから、」の後の主張が、

1.「障がい者をかわいそうだと思うな」、という主張は、心の中の情緒的価値の問題としてのもの

2.待遇の問題は、社会政策、国家政策の問題

1.と2.では、違う。




●さらにいえば
【基本的人権を守るということと、人間がかわいそうだと思う心を批判するのとでは、意味が違う! 人間がかわいそうだと思う心を矯正することは、基本的人権に反する。】

「かわいそうだと思う=蔑視 禁止する!」になるなら、人間の感情を矯正しなければならない。
人間の感情から、【こういう場合はかわいそうだと思ってはならない】という感情矯正が必要になる。
それができない時は?

こういう場合はかわいそうだという感情が発生しないように、人間の脳みそに一人一人外科手術を試み、ロボトミーの手術をする思想や、遺伝子操作でかわいそうだと思わないようになる研究も必要になるのかもしれない。それこそ恐ろしい。そこまで行かなくても内心の矯正が必要になる。
だが、それが強制で人の心を矯正することに値する矯正なのか?

基本的人権を守るということと、人間がかわいそうだと思う心を批判するのとでは、意味が違う! 人間がかわいそうだと思う心を矯正することは、基本的人権に反する。



●さらにいえば
【原発の放射能被害で赤ちゃんが障がい者になる可能性どころか現実が起っている。幼児や子供だけではない。大人も。甲状腺は実は大人の方が被害が大きいと言う報告もある。このような、被害を生まないように政治を変える、社会を変えることは、人類の障がいを生まない政策だが、これも障がい者に対する差別か?
これが差別でないなら、どういう合理的な説明で、一方は差別で、一方は差別でないというのか?
一方は蔑視で、一方は蔑視でないというのか?

一方は優越の視点のある見方で、一方は優越の視点のない見方だと言うのだ】


人間の感情、情緒を、強制で固定化することは、間違いだ。

やるべきは、基本的人権を国家がまもるという政策の問題だ。

基本的人権は、基本的人権をまもるという国家を作ることでしか解決しない。

かわいそうだと言う人間の個人的感情を鋼鉄のロープでぐるぐる巻きに縛り上げる考え方は、基本的人権に反する。

情緒的価値判断の問題として解決すべき問題ではない。


●【基本的人権を守りたいなら、何で、基本的人権を守る政治に変換しようとしないのだ。】

democracy(人民支配、人民主権)の実現を考えているのか?

社会契約の実現を考えているのか?

無血democracy革命をする決意を持っているのか?

それとこれとは話が別だと言うのでは、ご都合主義だ。


●腫れ物に触るように、騒ぎになった発言者の首を切り、メディアも、演歌を歌って、みんなで演歌を歌って、一件落着?何も解決していない。


●演歌を歌って終わりにすれば、センチメンタリズムに流して終わりにすれば、すべて曖昧のまま終わる。ナチスはナチスのまま生き延びる


(了)




<追記>
奥山さんの側に立って、批判する意見というのは、

1.障がいを持つ人を手厚く迎える環境、行政、社会、そうしたものを求める。

2.それを実現するべき行政が、歴史的に断種法につながると受け取られるような発言、もしくは、障がいを持つ人が社会のお荷物であると(金がかかる)、受け取れる発言をした。発言する側は、断種法は連想してないだろうが、お荷物で金を使いたくないという認識は滲んでいる

そういう主張ではないかと思います。

もし、そうだとすればの前提の話ですが、

a.どうすれば、障がいを持つ人を手厚くむかえる国家、自治体、社会、行政になるか、この視点と、

b.障がい者を蔑視しているという情緒的価値判断とが、混在していると私は思います。

結論から言えば、解決の方法は、「都市」(日本には正しい意味での都市がない。基本的人権(なかでも殊に自由)を実現した都市自治体というものがない。無論、基本的人権というものを実現した国家がない。
都市を、国家を実現しなければ、解決しない。都市、国家を実現すれば解決する。そういう事実の連関を持った問題だと思います。

これは、歴史的にもそうなっている。



1.<障がいを持つ人を手厚く迎える環境、行政、社会、そうしたものを求める。>

についていえば奥山さんと同じスタンスです。

しかし、奥山さんには、解決の方法がない。

2.について言えば、1.を解決することが重要であり、2.をとがめても脱線していく。

私はそう思います。1.を実現する道が、2.を矯正する道、市民権を得る価値観を敷衍する道になると。


1.を解決するには、政治的に解決する以外ない。

基本的人権を守る本物の都市自治体をつくる、基本的人権を守る国家を作る。

そう思います。

そのためには、democracyに覚醒し、社会契約に覚醒するのか、

それは、あまり関心ないのか

そういうことだと思うのです。

関心なければ解決しない。

そういう問題だと私は思うのです。

情緒的に怒りまくっても、解決にはならないと。



沖縄の辺野古基地にも共通した問題だと思います。

翁長 雄志支持と翁長 雄志の怒りの拳、しかし、問題解決と逆方向のクリティカル・パスを、翁長 雄志は確信犯として歩んでいる。

奥山さんは、別に確信犯なんかでは無論ないです。

しかし、民衆は、翁長 雄志の、暗黙のクリティカル・パスを見ようとしない。

奥山さんにとっては、無血democracy革命やdemocracy(人民支配、人民主権)、社会契約、基本的人権、自由、都市、そうしたものへの関心がどの程度なのか・・・、表面に出てこない。

本気でdemocracyの市民組合を組織しないと、個別に猫パンチの運動しても政治力にはならないと思うのですが。


【関連日記】
「優劣を認めない」 という情緒的価値判断について
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948312738&owner_id=38378433

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