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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの20150910_【センチメンタリズムは、体験したものが死んだら終わりだ、継承しない。論理は継承する】

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●【センチメンタリズムは、体験したものが死んだら終わりだ、継承しない。論理は継承する。】

センチメンタリズムは、体験したものが死んだら終わりだ、継承しない。

だが、論理は継承するのだ。

論理は、何十年、何百年たっても、常に、人民の脳みそのなかで輝き続けるのだ。

論理は、社会にフィードバックして、ますます、歴史的に輝きを放ってくるのだ。

論理は、アウフヘーベンされ、さらなる崇高な有効な人類を幸福にするアイテムになっていくのだ。

歴史に耐えてきた、耐えていく、論理を持て!


(了)

(ソース:http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-5631.html)
*−−−−−−−−−以下 詳細−−−−−−−−−−−*
第15-803 まだ甘い!巨泉は。センチメンタリズムでアジって、それで終わっている。センチメンタリズムは、体験したものが死んだら終わりだ、継承しない。論理は継承するのだ。

2015/09/10 18:22

■安保法制反対 大橋巨泉の「こんなモノいらない!」
(dot. - 09月10日 11:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=3608990

●【まだ甘い!巨泉は。センチメンタリズムでアジって、それで終わっている。】

センチメンタリズムは、体験したものが死んだら終わりだ、継承しない。

だが、論理は継承するのだ。

論理は、何十年、何百年たっても、常に、人民の脳みそのなかで輝き続けるのだ。

論理は、社会にフィードバックして、ますます、歴史的に輝きを放ってくるのだ。

論理は、アウフヘーベンされ、さらなる崇高な有効な人類を幸福にするアイテムになっていくのだ。

歴史に耐えてきた、耐えていく、論理を持て!




大橋巨泉はまだ甘い!。

センチメンタイリズムでアジって終わっている。

それでは、この国の国民はセンチメンタリズム以上の矜持をもてない。論理を持てない。





● 【近代市民革命にも、日本国憲法にも【論理】があるのだ。】

確信があるのだ。

【基本的人権を守るのが国家であるという論理】が原点に必要なのだ。

ここを認識しなければナチスに勝てない。】


センチメンタリズムは、体験したものにしか実感できない。


だが、論理は、継承するのだ。

社会科学として、論理は、継承してきた。

【ここを蹴飛ばせば、あそこが飛び出る】という事実の連関は、社会科学だ。

この社会科学の最高峰に、近代市民革命が存在している。

社会契約説のもっとも進化した領域が、思想的に、近代市民革命をリードした。

情動、センチメンタイリズムで、爆発しただけでは、あんな近代市民革命など実現しなかったのだ。



我が国の憲法は、近代市民革命をリードした、社会契約説の最高峰の領域の思想が法哲学としてある。

この社会契約説の中心核心は、【人民主権】と言われている。

だが、人民に【主権(政治を最終的に決定する権利)】があるという、この【人民主権】が、

democracyの本質であると、ほとんどの日本人は理解していない。

democracyが多数決だと思っている。

democracyは人民支配であると理解していない。


もっとも、私に言わせれば、【人民主権は核心中の核心ではない】。

【国家は、人民が人民の基本的人権を守る為に作ったものだ】これが、この国家の定義こそ、

核心中の核心だ。


【国家は、基本的人権を守るためにある】のだ。

人民主権(democracy)は、基本的人権を守る為にあるのだ。

人民支配(democracy)は、基本的人権を守る為にあるのだ。

民治主義(democracy、民主主義の正しい訳)は、基本的人権を守る為にあるのだ。




安倍晋三の手にする、国家権力は、基本的人権を守る為にあるのだ。守っているのか?

法律は、基本的人権を守る為にあるのだ。守っているのか?

特定秘密保護法は、基本的人権を守っているのか?

マイナンバー制は基本的人権を守っているのか?

原発を是認する法律は、基本的人権を守っているのか?

警察も検察も、基本的人権をまもるためにあるのだ。守っているのか?

戦争法は、基本的人権を守るのか?



国会議員も国家も、基本的人権を守る為にあるのだ。守っているのか?

霞が関は、行政は、基本的人権を守る為にあるのだ。守っているのか?

裁判所は、判決は、裁判官は、最高裁事務総局は基本的人権を守る為にあるのだ。守っているのか?



基本的人権を守らない、国家に国家の資格はない。

基本的人権を守らない国家権力に国家権力の資格はない。・




【国家は、人民が人民の基本的人権を守る為に作ったものだ。】この一節が原点だ。

核心中の核心だ。これが【人民の視点】だ。

democracyも、人民主権も、この人民の視点で見なけれな本質をつかめない。

全権委任法が、democracyで誕生したなどという、頓珍漢な主張がまかり通る。

democracyは時間がかかるなどという曖昧主義(オブキュスランティズム)がまかり通る。
基本的人権も守らない法律の議論に、時間などかからない。
基本的人権を守らない法律など、一目瞭然だ。却下だ。

基本的人権を守る政策の議論はバリエーションをもたせて、
話し合いを継続する余地が無論ある。
そこには少数意見もあるだろう。
少数意見が言論で忌憚なく多数意見を攻撃し、少数意見が多数意見に成長する可能性を保障する必要がある。

だが、基本的人権を守らない法律の議論など、時間などかからない。一目瞭然却下だ。
それがdemocracyの視点だ。
人民の視点だ。

戦争法な、一目瞭然却下だ。



現日本の国会は、事実上の全権委任法状態だ。

人民の視点がまかり通らず、ナチス首相とナチス自公が、占領している。

こんな多数決の場など、democracyと何の関係もないただの多数決だ。



選挙もメディアも、全権委任法状態の国会を生み出している。

【国家は、人民が、基本的人権を守るために作った】この原点はまったくない。

基本的人権を毀損する為に、選挙もメディアも国会も内閣も司法も機能している。

そして、事実上の全権委任法国会を実現している。

全権委任法状態であることを、国民が理解していないだけだ。



●【国家が人民の基本的人権を守らないとき、どうすればいいのか】

そんな資格無き国家権力、国家は、リセットするのが、

【国家は、人民が人民の基本的人権を守る為に作ったものだ。】という原点から出てくる行動原理だ。やるべきことは決まっている。

そんな資格無き国家権力、国家は、リセットする、これしかないのだ。

無血democracy革命は、

【国家は、人民が人民の基本的人権を守る為に作ったものだ。】という原理の当然の帰結である。

前提にないものは結論にも出てこない。

前提に、【国家は、人民が人民の基本的人権を守る為に作ったものだ。】という要素を持て!

結論が変わる。




(了)


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<追記>

●まず、主権者人民は、幾つかの基本的な知識を血肉化しなければならない。
そうでなければdemocracyは実現しない。
すなわち、ナチスに勝てない。

近代市民革命で樹立した、社会契約説の最高峰の領域を認識する必要がある。

1.国家とは、主権者人民が、主権者人民の基本的人権を守る為に作ったものだ。

2.主権とは、政治を最終的に決定する権利だ。この権利は人民にある。

3.国家権力とは、国家に、主権者人民の基本的人権を守るという国家の使命を果たさせるために、主権者人民が国家に信託したものだ。

4.もし、国家が、主権者人民の基本的人権を毀損するなら、主権者人民はいつでも、そんな資格無き国家権力を取り換える権利を持つ。それが抵抗権であり革命権だ。抵抗権も革命権も極めて正当な権利だ。

5.憲法とは、主権者人民が国家を縛ったものだ。それが正しい意味での憲法だ。

6.立憲主義とは、憲法で国家を縛ることだ。


近代市民革命で樹立した、社会契約説の最高峰の領域を認識するが、
日本を無血democracy革命で日本国憲法を守る国にすることの原動力となる。

この認識を国民が自覚したとき、ナチスは滅びる。通用しなくなる。

【関連日記】
第15-799 この国の実態は、自公が全権委任法を獲得しているに等しい。安倍も菅も、自民も公明も創価学会も橋下もナチスに匹敵。
http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-5627.html

(了)

*−−−−−−−冒頭記事 引用開始−−−−−−−−*

安保法制反対 大橋巨泉の「こんなモノいらない!」
2015年09月10日 11:51 dot.
.
 安倍晋三首相(60)が成立に追い込みをかける安保関連法案。8月30日には国会前など全国各地で大規模デモが開かれ、「NO!」の声が続々。タレントの大橋巨泉氏(81)も、「ハイアン!」と叫び続けようと主張する。

*  *  * 
 何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。

 特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。

 それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。これまで主として反対してきたのは、われわれ戦争を体験してきた世代であったが、すでに80の坂を越え、日に日に少数になってゆく。井上ひさし、菅原文太、愛川欽也と毎年消えてゆく。この10年間で4回のがんを体験したボクも、いつ彼らの後を追ってもおかしくない。焦りは日々つのる。

 ボクらは「忠君愛国」「滅私奉公」と教わって育った。国のために命を捨てるのは当たり前と信じていた。だから特攻や人間魚雷は、崇高な行為だと思った。ところが戦後学んでみると、こうした行為を米国では、「日本人の狂気」と言って恐れていたという。

 ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」 どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである。

 竹槍こそ使わなかったが、本土決戦を本気で考えているうちに、東京大空襲から広島・長崎まで、何十万人という市民の命が、無意味に失われた。そして300万人の貴重な犠牲の上に、われわれは平和を手に入れ、戦争のできない憲法のもと、70年の繁栄を享受してきた。

 いかに戦争が悪で、平和や自由が尊いか。若い人もようやくわかってくれたようだ。8月30日の大集会はインパクトがあった。こうした若者に対し、自民党の武藤貴也衆院議員が、「戦争に行きたくないので反対」というのは「利己的個人主義」と批判(※1)したのには驚いた。この人は36歳、若者である。ここにはすでに「滅私奉公」のメンタリティーが感じられる。デモの若者たちの発言は、「殺人したくないから反対」というのと同じだということがわかっていない。もう日本人は崖っぷちに立っているのだ。空気に流されやすい日本人は、戦争法制ができあがったら、後戻りできまい。何とか参議院で廃案にできないものか。それは「ハイアン!」と叫び続けることだ。継続こそが力なのである。

※1 7月30日、自民党の武藤貴也衆院議員(8月19日離党、現在無所属)が自身のツイッターに、学生団体「SEALDs」について、<「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは(略)、非常に残念だ。>と書き込んだ。

※週刊朝日 2015年9月18日号
*−−−−−−−冒頭記事 引用開始−−−−−−−−*

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