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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの20150723_【デモや反対集会を軽視する天木直人氏の主張はまちがっている】

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●【デモ参加者を見下す天木直人氏の間違い】


天木直人氏は、「なぜデモや反対集会【だけ】では安倍政権を倒せないのか」という。

デモにも反対集会にも参加しないで、

ときには「左翼的なデモだけでは話にならない」という主張もし、(天木直人氏のメールマガジン2015年1月9日第21号)

デモや反対集会を、蔑視している天木さんが、さもデモや反対集会を積極的に評価しているような文言「・・・【だけ】では」 などという。

デモや反対集会を積極的に活用し、自らも参加している人が言うならわかる。
デモや反対集会を積極的に蔑み、そんなことしても無駄だと見下している天木さんが
「デモ【だけ】では」 という文言を使うのはいかがなものかと思う。

はっきりとこれのみ言えばいいじゃないか。「デモなどしても無駄だ」と。「反対集会などしても無駄だ」と。

天木さんの文章ははっきりとそう言っているではないか。「デモなどしても無駄だ」と。「反対集会などしても無駄だ」と。

いかにも官僚の作文の文言だ。
「デモだけでは」などと、さも、デモを積極的に評価している人間が使う文言「・・・だけでは」などというのは。

天木さんの主張は、「デモや反対集会なんかに参加しても何の値打もない」といっているのだ。

言葉で濁す表現はやめた方がいい。

天木さんはいつもの持論でこういう。

(「天木直人のブログ」: http://new-party-9.net/archives/category/%E5%A4%A9%E6%9C%A8%E7%9B%B4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0
*−−−−−−引用開始−−−−−−−−*

なぜデモや反対集会だけでは安倍政権を倒せないのか


 これだけ若者や主婦や一般市民のデモが報道され、学者や映画監督や有識者などの反対集会、抗議集会が報じられているというのに、なぜそれが安倍首相を追い込む動きに発展しそうもないのか。

 まだその規模が足らないとでもいうのか。 【←※リーフ注:ぜんぜん足りない。ここがすでに間違いだ。】

 違う。

 その動きが政治に結びつかないからだ。

 なぜ政治に結びつかないのか。

 それは、支持する既存政党治、政治家を彼らが明らかにしないからだ。

 なぜ明らかにしないのか。

 もし明らかにすれば、その動き自体が既存の政治、政治家の応援となり、動きが雲散霧消するからだ。

 もし彼らが、政治と関わりたくないというのなら、それは自己矛盾だ。

 抗議デモや抗議集会自体が立派な政治行動であり、そうである以上、安倍政権に安保法制案を断念させるところまで行かないと自己満足に終わる。

 もし彼らが既存の政党、政治家との関係を断ち切れないのなら、既存の政党、政治家とともに安倍政権と対峙するほかはない。

 しかし、もし彼らが本当の意味でどの政党、政治家とも関係が無いのなら、あらたな政党をつくって政治的影響力を行使するしかない。

 みずから政治の中に入って安倍政権を倒すしかない。

 新党憲法9条は、本当は、彼らこそが提唱し、実現しなければいけないのである(了)

*−−−−−−引用終了−−−−−−−−*

これは二重の意味で、間違いだと思う。

自らはデモや反対集会を無価値と見下す主張でありながら、「・・・だけでは」などと、さも積極的にデモや反対集会を評価しているごまかしの文言の使い方だけの間違いだけでははない。


デモや反対集会に参加している人々によって、政治が変わらないのは、デモや反対集会に参加している人々が一つの政党に結集しないからだと、デモや集会参加者のせいにするのは完全なる間違いだ。

デモや反対集会に参加している人々は、自民党から共産党までそして支持政党なしまで、国民レベルでは串刺しで、手をつないでいるのだ。それを掬い取る政党がないのだ。
唯我独尊党ばかりで。
新党憲法9条など典型的な唯我独尊だ。

日本の政界が、国民レベルで手をつなげる問題に対して、国民の悲願を掬い取るべく、主権者人民の政党は一つということで、一つの強大政党を誕生させないからだ。


日本共産党は唯我独尊であり、社民党も、社民党で固まっており、その他は、第二自民党、第三自民党で、二重三重に独占資本の手下政党が自民党公明党を取り囲んでいる。

どこにも、主権者国民の要求は一つであるという主張のもと、暴力的権力に対して、市民的平和権力、市民的平等権力が、一つになる動きもその気もない。

どこに投票するか、一つの政党に決めないデモ参加者が悪いのではない。
暴力的権力に対する、主権者人民の政党は一つであるとの信念のもとに、
主権者人民のための市民的平和権力の政治勢力が一つにならないことに問題がある。


一つになる方法はある。

政党そのものが自ら進んで一つになる能力はないということだ。

しかし、主権者人民のレベルでは、一つになれるということだ。

これは、主権者人民のレベルの連合、いわば国民の組合ができれば解決するのだ。

主権者国民連合と仮に呼ぼう。ここには政党のエゴイズムはない。

市民的平和権力、市民的平等権力の主権者国民の政党は一つという信念のもと、

主権者国民連合を作り、基本的要求を幾つかに絞り、それに呼応する政党に投票するという事になれば、おのずと政党は収束する。

日本の政界に最も必要で、全くない組織が主権者国民連合だ。


1.これは、どうすればできるか。


2.これは、どんな形態になるのか。



まず、「1.これはどうすればできるか」

ということだが、

基本は主権者人民のdemocracyの啓蒙がなされて、主権者人民のdemocracyレベルが一定の高水準に達することが不可欠だ。

戦後70年間、左右両党とも一度も主権者人民にdemocracyの啓蒙してこなかった。

理由は左右両派とも、己が政党のエゴイズムだ。

これは、新党憲法9条も同じだ。

天木さんがターゲットにする「良質の保守」と天木さんが形容する国民は愚民である。

政治嫌い、政治に近寄らない、愚民そのものだ。

どこが良質なものか。要するにロボットだ。右向けと天木さんが言えば右向くような。

典型的な官僚官治主義についてくる愚民だ。

こんな愚民を一定のdemocracyのレベルに引き上げることこそ、本来の「新党憲法9条」の重要な役目かと思いきや、「新党憲法9条」は、名だたる唯我独尊党であった。

笑うしかない。

いずれにせよ、集合の要素たる主権者人民のdemocracyのレベルアップは必須だ。




2.主権者国民連合の組織はいかにあるべきか。


いくつも泡沫組織ができたのでは話にならない。二大組織になってのでは話にならない。

主権者国民連合は、一つだ。

政党主導の組織でも困る。

政党主導の組織がいくつもできたのでは、それぞれの政党の支持母体ができるようなものだ。

一つだ。



組織無き組織でいいのだ。組織無き組織のアゴラでいいのだ。ネットワークの広場でいいのだ。

主権者国民の要求を糾合するものがいるのだ。



特定の政党の支持団体でも、特定の政治家の支持団体でもなく、ただ国民の基本的要求を政党に突きつけるもの。

従わなければその政党には投票しない。



これは、主権者国民のdemocracyレベルが高くならなければ実現しない。

しかし、主権者国民のdemocracyレベルを引き上げなければ、政治は基本的に何も解決しないのだ。

高徳の官僚のイエスマン愚民国民など、まったくはなしにならない。

国民がdemocracyレベルに覚醒したら、日本国憲法の理念も正しく理解できる。正しく政治を直視できる。

宗教団体としての政治参加など、しない国民になる。

主権者国民のdemocracyレベルを啓蒙して引きあげ、

主権者国民の為の政治権力は一つであるという信念のもと、暴力的権力、非合理な権力に対峙する合理的権力、市民的平和権力、市民的平等権力の組織無き組織を作り上げることは、

何よりも大切なことなのだ。

それが政党のエゴイズムを乗り越える事実しての社会科学だ。論理だ。




本来ならば、新党憲法9条は、政党としてではなく、主権者国民連合・憲法9条として、旗揚げすべきものだったのだ。

ソーシャル・ネットワークを活用するというのなら、その道以外なかった。

己の主観に合わない支持者のメッセージをカット改竄して載せたり、無視したり、その言い訳ばかりするのではななく、すべての主張を戦わせ、忌憚なき言論で、少数意見が多数意見に成長する可能性を保障し、主権者人民の要求を掬い取る主権者国民連合こそ、最も必要なものだ。

そのための啓蒙をすべきだ。



新党憲法9条は、出だしから腐っている。

だから期待しない。




デモ、集会、これをどの政治勢力が混入して行おうが問題ではない。

合理的な権力、市民的平和権力、市民的平等権力は一つなのだ。

後は国民が、合理的な権力、市民的平和権力、市民的平等権力は一つだと認識するレベルにdemocracyのレベルと引き上げることだ。

共産党でなければならないとか、そういう党活動をどんなに組織員がしようが、

そんなもの、democracyが啓蒙された国民にレベルアップすれば、全く問題でない。

主権者国民連合として一つになり、そこで要求を政党に突きつけ、それを飲む政党を支持する。

立候補者は調整する。

こういう動きに、主権者国民がdemocracyに覚醒すればそうなる、そうならなければ、合理的な権力、市民的平和権力、市民的平等権力は一つであるという事を実現できないのだから。

(了)


【関連日記】
第15-661 議会制民主主義というのは、democracyのことではない。多数決のとり方に過ぎない。議会制民主主義だからナチス政権でしかたがないというのは大谷の完全なるでたらめ。
http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-5488.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944359595&owner_id=38378433

第15-639 日本国人民は最低限この認識を持て!
http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-5466.html

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