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古寺巡礼コミュの欣求の道  6番 宝厳寺

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私が苦手なお寺です。西国の札所でもあるのですが船に乗らなくては・・・
滋賀県、欣求の道
(138)竹生島 巌金山 
寶巌寺(ほうごんじ)
住 所 〠 526―0124 滋賀県長浜市早崎町1664
電話番号 電話 0749―63―4410
本  尊 弁才天
開 山 (伝)行基菩薩、聖武天皇(勅願)
創  建 (伝)神亀元年(724)
アクセス JR長浜駅より徒歩10分 → 長浜港、琵琶湖汽船乗船→竹生島
<寺歴・縁起> H/P  http://www.chikubushima.jp/
真言宗豊山派(総本山 大和長谷寺)日本三大弁天
西国33所30 番 神仏霊場138番

 琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方Kmほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長7年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。
 竹生島は神仏が一体化した思想の中で発展してきました。 当時は、「弁天堂」「観音堂」「都久夫須麻神社」などの塔頭を総称して宝厳寺といわれてきましたが、明治時代の神仏分離令により、現在の「宝厳寺」「都久夫須麻神社」に
分かれました。 宝厳寺の本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。この弁才天は8世紀前半に行基が聖武天皇の勅命で彫刻し、堂宇を建立したといわれています。
 本尊が安置される弁天堂は、165段の石段を登った所にあり、建物は藤原時代の様式を踏襲しています。 (現在の弁天堂は昭和17年に再建されたものです。)

弁天堂へ続く石段
 明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868年)に発布された『神仏分離令』により大津県庁より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。
しかしながら、全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。

唐門
 唐門は京都東山の阿弥陀ヶ峰に営まれていた豊国廟の正門(極楽門)だったといわれており、桃山様式を今に伝えています。
唐門を入り観音堂内部にはいると、天井絵にも建造当時の豪華さを感じることができます。内部は千手観世音菩薩を納めた観音堂があり、観音堂、唐門ともに豊臣秀頼の名を受け普請奉行の片桐且元が慶長8年(1603)に移築したものと伝わります。

本堂(弁財天堂)     内陣
弁財天堂:船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ、寺内最大の建物。本尊弁才天像を祀る。昭和17年(1942)に平安時代様式で新築されたもの。

本尊 弁財天

観音堂 内陣
観音堂(重文): 入母屋造檜皮葺き。西国33箇所観音霊場第30番札所で、本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)を安置する。傾斜地に建つため、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)となっている。柱などの木部は総漆塗りで、天井には極彩色で菊、桐などの文様を描く。柱が床下部分まで漆塗りであるなど、各所に移築の痕跡があり、他所から移築されたものである。
札所本尊の千手観音像は秘仏で、開扉は原則として60年に一度である。
唐門とともに豊国廟から移築されたといわれ、今はくすんだ折上格天井には、一枚一枚、桐と菊、牡丹が描かれており、建築当初の豪華さを感じさせます。
本尊の千手観音立像は、秘仏として厨子内に安置されています。正面に合掌手と宝鉢手、左右に脇手各19手を配列する、いわゆる11面42臂の等身の千手観音立像です。 全身に漆箔が施してあり、彫技は堅実で、保守的な作風を示しています。造像は鎌倉時代にさかのぼるものと考えられています。

絹本著色釈迦三尊像
鎌倉時代:法華経を護持する三尊像として描かれたもので、天台の教えを長く伝えた宝厳寺の伝来にふさわしいものです。
法華経を説く釈迦を護持するように左に文殊菩薩、右に普賢菩薩を配されています。山村の衣文の描写などに中国宋朝の影響が見られ、清雅な作風です。














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