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古寺巡礼コミュの欣求の道  16番 西教寺

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近くには日吉大社もある門前町の風情が残る所に有るお寺です
滋賀県、欣求の道
(148)戒光山 
西教寺(さいきょうじ)
住 所 〠 520―0113 滋賀県大津市坂本5丁目13―1
電話番号 電話 077―578―0013
本  尊 阿弥陀如来(重要文化財)
開 山 (伝)聖徳太子 中興 真盛上人
創  建 (伝)飛鳥時代 中興 文明18年(1486)
アクセス JR湖西線『比叡山坂本駅』下車江若バス西教寺下車
     京阪電車『坂本駅』下車、江若バス西教寺下車
<寺歴・縁起> H/P http://www.saikyoji.org/index.html
天台真盛宗総本山 琵琶湖108霊場湖西11番
神仏霊場148番

 西教寺は正しくは、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といいます。
聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。
 天台系の本山寺院のうち、延暦寺や園城寺(三井寺)が密教色が濃いのに対し、西教寺は阿弥陀如来を本尊とし、念仏(阿弥陀如来の名を称えること)を重視するなど、浄土教的色彩が濃いが、これは中興の祖である真盛の思想によるところが大きい。真盛によって始められた天台真盛宗の宗風は、「戒称二門」「円戒念仏」等と表現される。「戒称」の「戒」は戒律、「称」は「称名念仏」、つまり阿弥陀仏の名を一心に称えることを言う。「円戒」は「円頓戒」の略であり(「円」は「円満な」すなわち「完全な」の意、「頓」は「速い」の意)、天台宗の僧侶や信者が守るべき戒律(正しい生活を送るために守るべき規範)を指す。具体的には、「梵網経」に説かれる十重四十八軽戒という、10の重い戒と48の軽い戒のすべてを守ることである。
つまり、真盛の思想は、「戒律」と「念仏」の両方を重視する点に特色があり、この点が、同じ念仏でも法然の唱えた「専修念仏」、親鸞の唱えた「悪人正機」の教えとは異なる点である。
 元亀2年(1571)、織田信長による比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失した。本堂は焼失の3年後に復興し、焼失した旧本尊の代わりに、甲賀郡(現・滋賀県甲賀市あたり)の浄福寺という寺から阿弥陀如来像を迎えて本尊とした。
この阿弥陀如来像は現存し重要文化財に指定されているが、この像がもとあった浄福寺については詳細不明である。また、現存する本堂はその後改築されたもので、江戸時代中期の元文4年(1739)の上棟である。
上記の信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築いた。光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。また、境内には光秀の供養塔が立っている。
 天正18年(1590)、後陽成天皇は綸旨を発し、応仁の乱後、荒廃して廃寺となっていた京都・岡崎の法勝寺をその末寺である西教寺に合併させることとした。法勝寺の寺籍は西教寺に引き継がれ、法勝寺伝来の仏像、仏具等も西教寺に移された。寺の別名を「兼法勝西教寺」というのはここから来ている。現在、西教寺客殿の仏間に安置される、秘仏・薬師如来坐像は、法勝寺の遺物とされている。
西教寺は、天台宗の中にあって念仏と戒律を重視する独自の一派をなしていたが、近世には他の天台系寺院同様、日光輪王寺の支配下にあった。
近代に入って宗派独立の動きが強まり、明治11年(1878)から天台宗真盛派を名乗るようになる。昭和16年(1941)には国策によって天台宗、天台宗寺門派、天台宗真盛派の3派は合同したが、第二次大戦後の昭和21年(1946)3派は再び分離し、天台宗真盛派は天台真盛宗として独立した。

総門(山門)
坂本城から、光秀が移築したと伝わる城門であるが、老朽化のため、昭和59年に、当時の姿のまま復元したものです。

勅使門
 総門から参道を一直線に進むとこの門に行き当たる。後ろの石垣の上に、
本堂や客殿が在る。

本堂
 重要文化財に指定されている建築物。現在のものは、信長の叡山焼き討ちで焼失した後、元文4年(1739)に第20世真際上人の時に、信者より浄財を集めて出来た建物です。

客殿
 重要文化財。通称桃山御殿と云われ、伏見城のものを移築したと伝わる建物。内部は多くの部屋に分れて、上座の間や、こだわりの部屋、狩野派の襖絵等、観るものは多い。

宗祖大師殿唐門







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