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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 2番 御香宮神社

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古くから良い水、美味しい水が頂ける神社として今直近所の商店主や住民が汲みに来られる神社ですが、清和天皇からの宮中と深い繋がりがある神社であります
京都府、楽土の道
(82)式内社 山城國紀伊郡
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
住 所 〠 612―8039 京都市伏見区御香宮門前町176
電話番号 電話 075―611―0559
御 祭 神 神功皇后
開 祀 貞観4年(862)9月9日
アクセス 京阪電車 伏見桃山駅下車 徒歩5分
<神歴・縁起> H/P  http://www.kyoto.zaq.ne.jp/gokounomiya/
式内社 山城國紀伊郡 御諸神社 旧府社
御祭神
神功皇后
相殿 仲哀天皇 應神天皇 宇倍大明神 瀧祭神 河上大明神
相殿 高良大明神 仁徳天皇 菟道稚郎子尊 白菊大明神

 日本第一安産守護之大神として広く崇められている、神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭る。初めは、『御諸神社』と称したが、平安時代、貞観4年(862)9月9日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。豊臣秀吉は天正18年(1590)、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し社領300石を献じた。その後、
徳川家康は慶長10年(1605)に元の地に本殿を造営し社領300石を献じた。慶応4年(1868)正月、伏見鳥羽の戦には伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが幸いにして戦火は免れた。10月の神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来『伏見祭』と称せられ今も洛南随一の大祭として聞こえている。
又一説に筑前国香椎宮を勧請したので御香宮と称すという説があるが社伝では、境内に清泉が湧いてその芳しさが四方に広がって、病気平癒などの様々な奇跡が起こることから、貞観4年9月、清和天皇より「御香宮」の名を賜ったという。
もとは御諸神社といい、式内社、神社の論社とする説がある。室町時代には、伏見荘の鎮守社として崇敬され、事ある時は、伏見住民が集結する場所であった。
 豊臣秀吉は、伏見城築城の際、当社を大亀谷に遷したが、徳川家康が、元地に戻したという。ということで、重要文化財の表門は伏見城の大手門、
拝殿は車寄を、徳川頼宣・頼房が寄進したもの。主祭神は神功皇后だが、相殿の神々には詳細不明の祭神が多い。

表門(伏見城 大手門)
重要文化財
 元和8年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。3間1戸、切妻造(きりもやづくり)、本瓦葺、薬医門(やくいもん)、雄大な木割、雄渾な蟇股、どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫禄を示している。特に注目すべきは、正面を飾る中国24孝を彫った蟇股
で、向かって右から、楊香(ようこう)、敦巨(かっきょ)、唐夫人、孟宗の物語の順にならんでいる。楊香という名の娘が猛虎より父を救った。敦巨は母に孝行するために、子供を殺して埋めようとした所、黄金の釜が出土、子供を殺さずに母に孝養を盡した。唐夫人の曽祖母は歯が無かったので、自分の乳を飲ませて祖母は天寿を全うした。孟子は寒中に病弱の母が筍を食べたいというので、雪の中を歩いていると彼も孝養に感じて寒中にも拘らず筍が出てきた。以上、中国24考の物語の蟇股である。また、両妻の板蟇股も非常に立派で桃山時代の建築装飾としては、24考の彫刻と併せて正に時代の代表例とされている。

拝殿
 拝殿 寛永2年(1625)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進にかかる。
桁行7間、梁行3間、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の割拝殿(わりはいでん)。正面軒唐破風(のきからはふ)は、手の込んだ彫刻によって埋められている。特に五三桐の蟇股や大瓶束(たいへいづか)によって左右区切られている彫刻は、向かって右は『鯉の瀧のぼり』、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写している。この拝殿は伏見城御車寄(くるまよせ)の拝領と一部誤り伝えられる程の豪壮華麗な建物である。平成9年6月に半解体修理が竣工し極彩色が復元された。

御香水
 当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の7名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、この水を産湯として使われた。
絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした『社頭申曳之図』が懸っている。
明治以降、涸れていたのを昭和57年復元、昭和60年1月、環境庁(現、環境省)より京の名水の代表として『名水百選』に認定された。
近所の商店からこの名水を求めて列が出来ていた。ポリタンクに入れたり、色々な容器を持ってきていた。おいしいかどうかは飲んでみることです。

本殿
 本殿 国に指定重要文化財
 慶長10年(1605)、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立された。(本殿墨書銘による)大型の五間社流造で屋根は桧皮葺(ひわだぶき)、正面の頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)や蟇股(かえるまた)、向拝(こうはい)の手挟(たばさみ)に彫刻を施し、全ての極彩色で飾っている。また背面の板面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵を描いている。全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和60年5月18日重要文化財として指定された。現社殿造営以降、江戸時代社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川三家の御寄進金を氏子一般の浄財でもって行われた。大修理時には、神主自ら江戸に下って寺社奉行に出願して徳川幕府直接の御寄進を仰いだ例も少なくなかった。
平成2年より着手された修理により約390年ぶりに極彩色が復元された。

神仏霊場 ご朱印

桃山天満宮        大杉大明神
境内にはその他摂社が数多くあります。

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