ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

古寺巡礼コミュの修験道について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
学者やその道に長く係ってきている人たちも多く居ますが、一般的に修験道とはを記載したいと思います。
修験道は平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。
平安初期に伝来した密教との結びつきが強く、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。密教との関係が強かったことから、独立した宗教ではなく仏教の一派ともされる。
江戸幕府は、慶長18年(1613)に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないことにした。
明治元年(1868)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令が出され、修験道は禁止された。また廃仏毀釈により関係する物などが破壊された。修験系の講団体のなかには、明治以降、仏教色を薄めて教派神道となったものもある。御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などが主で、教派神道にもかかわらず不動尊の真言や般若心経の読誦など神仏習合時代の名残も見られる。(もっとも、神仏分離令や修験禁止令そのものは、日本国憲法で定められた信教の自由に反するため現在では無効であるとされる)。
 修験道の修派について
 修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される。
当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていった。真言宗や天台宗は皇族、貴族との結びつきが強いが、修験道においては一般民衆との関わりを持っていた点で、修験者(山伏)の役割は重要であった。
現代では、奈良県吉野山の金峯山寺(金峰山修験本宗)、京都市左京区の聖護院(本山修験宗)、同伏見区の醍醐寺三宝院(真言宗醍醐派)などを拠点に信仰が行われている。また、日光修験や羽黒修験のように各地の霊山を拠点とする国峰修験の流れもある。
 信仰の対象
 修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表現形態として、権現(神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(参詣途上で儀礼を行う場所)がある。
熊野信仰においては、三所権現、五所王子、四所宮の祭神が重要な位置を占めており、これを勧請した九十九王子が有名である。山伏と関連するため、山に関連した神格が存在することもある。
 修験道独自の神
蔵王権現(ざおうごんげん) 若一王子(にゃくいちおうじ)
九十九王子(くじゅうくおうじ) 前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)
一言主(ひとことぬし)

 主な霊山と社寺
日本全国とはいかないけれど奥州から九州までに多くの修験宗の寺院や霊山が存在します。
園城寺/三井寺(滋賀県)―天台寺門宗
醍醐寺/上醍醐(京都府)―真言宗醍醐派/当山派
聖護院(京都府)―本山修験宗/本山派
犬鳴山(大阪府)
七宝滝寺―真言宗犬鳴派/犬鳴山修験道
吉野山(奈良県)
金峯山寺―金峯山修験本宗
薬師寺(奈良県)―南都修験
出羽三山(山形県)
月山
羽黒山―羽黒修験
湯殿山
熊野三山(和歌山県)―熊野修験
熊野本宮大社
熊野速玉大社
熊野那智大社
恐山(青森県)
蔵王山(宮城県・山形県)
高尾山(東京都)
箱根山(神奈川県)
富士山(静岡県)
戸隠山、飯縄山(長野県)
御嶽山(岐阜県、長野県)
白山(石川県)
旧加賀国白山寺白山本宮(神仏分離令で廃寺)
旧越前国霊応山平泉寺(神仏分離令で廃寺)
旧美濃国白山中宮長滝寺(現在は天台宗の白山長瀧寺)
立山(富山県)
旧加賀藩芦峅寺(神仏分離令で廃寺)
旧加賀藩岩峅寺(神仏分離令で廃寺)
石動山(石川県・富山県)―石動修験
伊吹山(岐阜県・滋賀県)―伊吹修験
箕面山 瀧安寺(大阪府)
金剛山(大阪府、奈良県)
転法輪寺―真言宗醍醐派/葛城修験道
大峰山(山上ヶ岳)(奈良県)
布引の滝(兵庫県)
旧摂津国瀧勝寺(現在は臨済宗天龍寺派大円山徳光院)
伽耶院(兵庫県)
雪彦山(兵庫県)
後山(兵庫県)
道仙寺
五流尊瀧院(岡山県)―五流修験
伯耆大山(鳥取県)
大山寺
石鎚山(愛媛県)
石鎚本教総本宮石鎚神社
剣山(徳島県)
英彦山(福岡県)
求菩提山(福岡県)
阿蘇山(熊本県)
関西ではこの神仏霊場150所に参加されている寺院も多くあります。
 修験宗の開祖
役行者
 「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、7〜8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7〜8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。もっとも、伝説の多くは、舒明天皇6年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に「没した」のでなく、「昇天した」としています。いずれにせよ、この世の人でなくなった、ということでしょう。
「役優婆塞」とは、平安初期に成立したと目されている『日本霊異記』における役行者の呼び名です。優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味する言葉です。役行者は、僧侶ではなく、在家仏教信者として修行した人です。
このサイトでもっぱら使っている「役行者」という呼称は、
平安期に入ってから使用されだしたもののようです。それ以前の奈良時代には、「役君小角」と一般に呼ばれていたようですが、詳細は不明です。
「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に3年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政11年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。
さて、役行者にまつわる伝説は、大変多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空を、野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
伝説には、奇想天外にすぎて、現代的には到底信じがたいようなものが多くあります。しかし、いずれにせよ、役行者とは、数々の不可思議な事績をのこした偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。
しかし、そのように伝説に彩られた役行者ですが、それが実在の人物であったことを確認できる正史と言われる史料は、非常に限られています。いや、たった一つで、しかもわずか数行でしかありません。平安初期に編纂された、『続日本紀(しょくにほんぎ)』にある記述がそれです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

古寺巡礼 更新情報

古寺巡礼のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング