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古寺巡礼コミュの豊楽の道 大阪22番 総持寺さん

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今昔物語にも登場する寺であり、西国33所の札所でもあります。
大阪、豊楽の道
(63)補陀洛山 
総持寺(そうじじ)
住 所 〠 567―0801 大阪府茨木市総持寺 1丁目6―1 
電話番号 電話 072―622―3209
本  尊 千手観音
開 山 藤原山蔭
創  建 元慶3年(879)頃
アクセス 阪急電車京都線 総持寺駅下車 徒歩5分
<寺歴・縁起> H/P  http://www.sojiji.or.jp/
高野山真言宗(総本山 金剛峯寺)西国33所22番 摂津国88所47番
摂津西国33所27番 ぼけ封じ、近畿十楽観音6番 
神仏霊場 巡拝の道 第63番

 総持寺縁起絵巻(亀に乗った観音様)で名のある総持寺は平安時代、中納言藤原山蔭卿により開かれました。亀の恩返しにより開かれた総持寺の御話は、今昔物語や源平盛衰記等にも紹介されていますが、総持寺には、お寺の創建についての縁起絵巻が残されています。
 第一段

 山蔭卿の父である高房卿が太宰府に赴任の途中、淀川を船で下っていますと、漁師達が一匹の大亀を捕らえていました。高房卿は、「今日は十八日で観音様の縁日です。どうかその亀を私に譲ってください。」と自分の着物と交換し、大亀を河に放してやりました。

 第二段

 その夜、河口で夜を明かした高房卿は、継母のたくらみにより最愛の子である山蔭を河に落とされます。嘆き悲しんだ高房卿は「観音様、今一度我が子山蔭に、亡骸としてでも会わせて下さい。」と、常日頃より信仰している観音様に祈念されました。
すると昨日助けた大亀が元気な山蔭を背に乗せて現れたのです。
 第三段

 観音様の御恩に感謝した高房卿は観音様の造像を発願します。
高房卿より中国での香木購入を依頼された遣唐使は、買い求めた香木の持ち出しを禁止され、香木に銘を書いて海に流しました。
 第四段

 その後、高房卿は亡くなり山蔭卿が太宰府に赴任しました。
ある日浜辺で、中国より流れ着いた香木を発見。驚きと歓喜に包まれ、父高房卿の遺志継続を決心するのです。
 第五段

 任期を終え都に帰った山蔭卿は、仏師を探すため奈良の長谷寺に籠もり祈願を重ねました。
ある朝、観音様のお告げにより童子の姿をした仏師に巡り会いました。山蔭卿は都の屋敷に来るよう童子に告げて、長谷寺を後にしました。
 第六段

 山蔭卿の屋敷を尋ねた童子は、いぶかる家来達の前で、見事な十一面観音を刻み一同を驚嘆させました。
その後、彼の香木を与えられた童子は「仏様を彫刻する千日の間は誰もこの仏舎に入らぬ事。また、山蔭卿自身で私の食事を作ること」と申しました。
 第七段


 造仏を初めてより千日目の早朝、「長谷の観音様はどちらに」と声が聞こえると仏舎より「行基菩薩よ、今帰るところよ」との答えがあり童子は空に飛び立ちました。
山蔭卿が急いで仏舎に駆けつけると、千日間の食事を御供えされた千手観音様が亀の座に立った御姿で、お奉りされていました。
 第八段

 山蔭卿の三回忌には7男7女が協力し、五重塔、多宝塔、金堂、講堂、食堂、鐘楼、僧坊、宝蔵、浴室、四面回廊、大門、脇門等、総持寺の伽藍が完成しました。
 総持寺伽藍の落慶法要は寛平2年(890)2月4日と伝えられ、それ以来千百有余年を経て、信仰が伝えられています。
総持寺の千手観音様は、亀に乗った観音様として有名で、子育て観音様、火除け、厄除け観音様と呼ばれています。また、開山中納言山蔭卿は本尊像立に際し、千日間に亘り料理を御供えした縁により包丁道の祖として、祀られています。毎年4月18日には、中納言様の後賓前に於いて、包丁式が行われます。

仁王門

本堂
 本尊 千手観音を安置してある。秘仏であるが年1〜2回開扉がある。

神仏霊場 ご朱印

金堂

           西国33所 御詠歌 ご朱印

大阪、豊楽の道

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