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古寺巡礼コミュの豊楽の道 大阪3番 阿倍野神社

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阿倍野神社は明治天皇のお計らいで別格官幣社に格上げされた神社で古戦場跡に鎮座されています。
(44)建武の中興15社
阿倍野神社(あべのじんじゃ)
住 所 〠 545―0035 大阪市阿倍野区北畠3―7―20
電話番号 電話 06―6661―6243
御 祭 神 北畠親房公、北畠顯家公
開 祀 明治18年(1885)
アクセス 南海本線「岸里玉出駅」下車、東へ徒歩約5分
<神歴・縁起> H/P  http://www.abenojinjya.com/
旧別格官幣社 建武の中興15社の一つ

 北畠親房公は殊に後醍醐天皇のご信任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸のあとは、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した。
後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられ多が、正平9年(1354)4月17日、病にて薨じられた。御年62歳であった。
北畠顕家公は親房公の御長子で、元弘3年(1333)8月陸奥の守に任じられ、同10年、義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽はたちまちにその威風に靡いた。延元元年(1336)、足利尊氏が謀反を起こすと、上洛して九州に敗走させたが、延元3年(1338)京都回復のため再度上洛して5月22日、21歳で戦没された。現在の神社の鎮座地は顕家公が足利軍と戦った古戦場で、明治15年(1882)1月阿部野神社と号して別格官幣社に列せられ、同18年(1885)に創立、同23年3月鎮座祭が斎行された。現社殿は昭和43年(1968)に再建されたものである。

拝殿
 阿倍野神社付近は隣に阿倍野幼稚園があり、境内まで園児の声が聞こえてくるがその他は静かな住宅地である。
付近では旧家を取り壊しマンションを建てる計画があるようで反対運動の看板があちこちに立っていました。

西側入口        鳥居
 南海本線より参拝すると西側の入り口と第1鳥居が迎えてくれます。
境内に入るにはこの前の石段を登る事になるが、左側に坂道がある。寺で云うところの階段は男坂、坂道は女坂と云ったところか。

語り合う神馬像
石段を登ると狛犬ではなく神馬が出迎える、なぜ馬なのかは聞いていないので不明。鳥居の側には、祭神・北畠顯家公の銅像が立っている。
同じく北畠顯家公を主祭神とする福島の霊山神社にも同じような銅像がある。
帰り道散歩されてる古老に聞いた話であるがこの石段は旧制住吉中学(男子高)の運動部員や学生が今で云うトレーニングでよくこの石段登りをしていたとか。
石段下には第一鳥居から車は入れないようにしてあるので近所の小学生たちが遊んでいました。

御魂振之宮(奥宮)
昭和20年3月14日、阿部野神社は大東亜戦争の戦火により灰燼に帰しました。戦後の復興は同年12年に開始され、御祭神は仮社殿に奉祀されました。
同時にこの御魂振之宮の神々もお祀りされ、復興成就の祈願がなされ、
その不思議なる霊験あらたかな御深慮によって幾多の試練を乗り越え、
昭和43年11月4日に社殿が竣工致しました。毎月9日には御魂振之宮祭を執り行い、御深慮に対する報恩感謝の祭典をご奉仕しております。お社の名前の由来はその信仰は本来より持っておられます素晴らしい魂を奮い起こし、願い達成に力強い息吹を与えるものと存じます。戦後、当神社の三代にわたる宮司と氏子・崇敬者が社殿の復興を念じ続けられ、その願いを果たされました。それ故にこのお宮を「一願一遂の宮」とも呼ばれています。
 勲之宮
「陸奥守」兼鎮守府大将軍源顕家公は、村上 
天皇の具平親王12世の孫准后親房公の「第 
1子」であられます。延元2年、顕家公は
勅命を奉じられ、逆賊足利高氏を討って京 
都を奪回しようと奥州「54」郡の精兵を率
いて再び西上の途に就かれました。各地を
転戦し、賊軍を破られましたが、翌3年3
月16日、摂津阿倍野の戦いに惜しくも敗
れられてしまいました。わずかな残兵を率
いられ和泉国の観音寺に拠られ、やがて5
月16日賊将高之師直の軍が堺の浦に陣を敷いたので、22日官軍は進撃して数刻にわたって激戦されました。しかし、
顕家公をはじめ多くの武将が石津地で壮烈な戦死を遂げる結果となってしまいました。顕家公は御年21歳でございました。この勲之宮は石津の戦いで顕家公とともに戦死された甲州波木井梅平の城主南部師行公とその一族郎党108名の方の御霊をお祀りしているお宮です。
 旗上稲荷社
我国最古の文献の一つとされている山城国風土記の逸文には、稲荷を「伊奈利」と誌しています。イナリとはイネナリ、イネニナルのつづまったもので、我々日本人の生活の根源である稲によって天地の霊徳を象徴した古語とされています。当社では豊受稲荷大明神、高倉大明神、白鷹大明神の御霊験ある三柱の神様を旗上稲荷大神と総称してお祀りしております。尚、旗上げとは命をかけて精進・努力する証を表しています。

 土宮

阿部野神社の土地を守護されている神様を 
お祀りしたお社です。大土地主之神(おおと
こぬしのかみ)または白姫大明神とも言われ
ている神様です。

 
 
 
 





旗上芸能稲荷社

稲荷信仰には、五穀豊穣、商売繁盛を願うほかに芸
能上達の守護神として古くから信仰されています。
当社では大宮能売大神(天宇受売命)を御祭神とし
て、この旗上芸能稲荷社にお祀りしております。


 


 祖霊社

人は帰幽すると、その御霊は御祖の霊神と共に霊界 
に留まり、累代の祖霊社に鎮祭されて、一家の守護
神となります。当社の今日あるのも祖先の賜物であ
って、日々の営みも社頭の励みも子孫の教育も、総
て祖霊の加護によらなくてはなりません。そのため
当社では篤くその高恩を謝し深く心に銘じてその
祭祀の厳修を怠らないように歴代宮司・奉賛会会長
及び氏子総代会の方々の御霊をこの祖霊社にお祀
りしております。


神仏霊場 ご朱印

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