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七福神の謎コミュの七福神の謎3(なぜ福耳の七福神は神となったか)

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 七福神も日本人のルーツだと思います。中国福建省から現在も日本へ密航する人(ボートピープル)も多いと思います。つまり揚子江に来て、風に乗れば黒潮が自然に日本へ運んでくれます。古代からこの航路は盛んに利用されていました。相撲取りの武蔵丸の祖先の人もハワイ沖で漁をしていた時、台風にあい流されて九州に着いたのかもしれません。武蔵山は西郷隆盛に似ているといわれました。私は西郷隆盛が武蔵山に似ているのだと思います。西郷さんも福耳です。アイヌ人も福耳です。東北に住んでいた蝦夷は大和王朝に征伐されて北海道に逃げました。つまり後から朝鮮半島から来た渡来人の大和王朝は先住者の福耳の南方系の先住民を退治しました。次回に続く。

コメント(8)

里芋の故郷の話が出ていましたが、私がか奈良県広陵町という所で、「竹取物語」を研究していた時、雲南省の少数民族が満月のお月様にこの里芋をお供えする習慣があることを知りました。
 
 雲南省では中秋の名月の頃は里芋の収穫期で、まずお月様に初物の里芋をお供えをする習慣があるそうです。NHK奈良放送局からなぜ、お月見の時、お団子と里芋をお供えするのか・・と電話があった時、この話をしました。
 
 この雲南省の少数民族の人々は現在の日本と類似点が色々見つけられます。主食はもち米・赤米・赤飯・餅で、刺青の習慣があり、鵜飼、竹馬、こま回し、凧揚げ等も残っています。
 
 もしかして雲南省の人々が、揚子江を下がってそこから東支那海に出れば黒潮に乗り自然に九州につきます。日本人のルーツもこの辺りに見つけることが出来ます。その人達がこのいもを、故郷の芋を偲んで「里芋」と受けたのかもしれません。
お気に入り、で登録して、よく読ませて,いただいて,います。学生の時、児玉先生の文化人類学の講義を受けたことがあります。講義内容は、アイヌ人種と、インカの民の話でした。貴重な文化遺産の多数見せていただき、私の、手にペルーのみいらを乗せ、文化の発展は、若い人が、先人を知る事が、大事ですよ。とお話なされたのです。仙人のお話を読みながら、忘れていた、過去の勉学を少しずつ、思い出しています。余談ですが、私の祖父は、奈良県の十津川から6歳の時母に、手をひかれ来道したそうです。NHKの新十津川物語の時代を生きた人でした。今後悔しています、もっとたくさん話をきいておけばと、、、、、、。
文化人類学の講義を受けられていたとは驚きました。

それと北海道の十津川のことですが、始めは何故北海道に十津川なる地名があるか?と、思いましたが、調べてみると、明治初期に奈良県の十津川村は大風害で,殆どの村が被害を受け、村人は明治になって開発された北海道の現地に新しい村を作り移り住んだとの記録が残っています。

 アメリカにはヨーロッパの地名の町名が多く存在しています。これは四百年程前、新しい天地を求めヨーロッパに住んでいた地名をつけたとのコトです。

 札幌の近くに、広島なる地名があります。これは原爆で広島から北海道に逃れて住み着いた人々がつけた地名だそうです。

 私は始めて 札幌についた野は四月五日でしたが、吹雪が吹き荒れ、中島公園の池は凍っていました。その寒さに驚きました。一ヶ月過ぎて、五月五日の連休に阿寒湖へ出かけましたが、吹雪が吹き、阿寒湖も全部凍っていました。       
 奈良県の十津川から初めて北海道に行かれたときは苦労されたことだったと思います。
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コメント有難うございます!この北国には、日本の各地から、夢もとめ苦難の人生を終えた先人たちが、たくさんいます。私の祖父だけではなく、たとえば、日高の地には、阿波の国の人々が、この北見の地には、土佐の坂本りょうまの一族の人が、新しい人生に夢託して!話が飛躍しすぎとは考えますが、まれびとも遠い、海の彼方から、船に夢満載にして、この日本に、たどり着いたのでは?土着の日本の人には、新しい技術と知識、見知らぬ国の文化は、正に、 宝船!そこから来た人々は、神に等しいと、思います。もうひとつ、まれびと、の子孫たちにも、先人達の苦労と、勇気、を称え、忘れないように、宝船の七福神、と伝承したのでは?情緒的な考えですみません。

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