ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】2021年(令和3年)8月9日  被爆者代表  岡 信子

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ふるさと長崎で93回目の夏を迎えました。
大好きだった長崎の夏が76年前から変わってしまいました。
戦時下は貧しいながらも楽しい生活がありました。
しかし、原爆はそれさえも奪い去ってしまったのです。

当時、16歳の私は、大阪第一陸軍病院大阪日本赤十字看護専門学校の学生で、
大阪の大空襲で病院が爆撃されたため、8月に長崎に帰郷していました。
長崎では、日本赤十字社の看護婦が内外地の陸・海軍病院へ派遣され、
私たち看護学生は自宅待機中でした。8月9日、私は現在の住吉町の自宅で被爆して、爆風により左半身に怪我(けが)を負いました。

被爆3日後、長崎県日赤支部より「キュウゴシュットウセヨ」との電報があり、新興善救護所へ動員されました。看護学生である私は、衛生兵や先輩看護婦の見様見真似(みようみまね)で救護に当たりました。3階建ての救護所には次々と被爆者が運ばれて、2階3階はすぐにいっぱいとなりました。

亡くなる人も多く、戸板に乗せ女性2人で運動場まで運び出し、大きなトラックの荷台に角材を積み重ねるように遺体を投げ入れていました。解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を前に思わず逃げだそうとしました。その時、「それでも救護員か!」という衛生兵の声で我に返り頑張りました。

不眠不休で救護に当たりながら、行方のわからない父のことが心配になり、私自身も脚の傷にウジがわき、キリで刺すように痛む中、早朝から人馬の亡きがらや、瓦礫(がれき)で道なき道を踏み越え歩き、辺りが暗くなるまで各救護所を捜しては新興善へ戻ったりの繰り返しでした。

大怪我をした父を時津(とぎつ)国民学校でやっと捜すことができました。「お父さん生きていた! 私、頑張って捜したよ!」と泣いて抱きつきました。

父を捜す途中、両手でおなかから飛び出した内臓を抱えぼうぜんと立っている男性、片脚で黒焦げのまま壁に寄りかかっている人、首がちぎれた乳飲み子に最後のお乳を含ませようとする若い母親を見ました。

道ノ尾救護所では、小さい弟をおぶった男の子が「汽車の切符を買ってください」と声を掛けてきました。「どこへ行くの?」と聞くと、お父さんは亡くなり、「お母さんを捜しに諫早か大村まで行きたい」と、私より幼い兄弟がどこにいるか分からない母親を捜しているのです。
救護しながら、あの幼い兄弟を思い、胸が詰まりました。

今年1月に、被爆者の悲願であった核兵器禁止条約が発効しました。核兵器廃絶への一人一人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世代の人たちがそれを受け継いでくれたからです。

今、私は大学から依頼を受けて「語り継ぐ被爆体験」の講演を行っています。

私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います。

2021年(令和3年)8月9日  被爆者代表  岡 信子




m TAKANO@mt3678mt 11時間
歴史に残る名言。
引用ツイート
三木義一@mikiyoshikazu9 15時間
河村は名古屋の恥、維新は大阪の恥、菅は日本の恥、それでも政権交代が見通せる野党連合ができないのは国民の恥。




m TAKANO@mt3678mt 11時間
JOCは、竹田前会長が理事会の承認を受けて招致委理事長の職に就いたことを理由に2億円もの弁護費用の負担を正当化している。だとすれば竹田氏が有罪判決を受けた場合、贈賄行為は組織委ぐるみの犯行ということになる。まさに倫理の汚れたオリンピック、“汚倫ピック”である。




三島由紀夫『英霊の聲』の主題について 

自分のために死んでくれと臣下を戦場に送っておきながら、その後、自分は神ではないというのは、(逆説的ながら)「人間として」倫理にもとることで、昭和天皇は、断じて糾弾されるべきだということ、しかし、その糾弾の主体は、もはやどこにもいないということである。
戦争の死者を裏切ったまま、戦前とは宗旨替えした世界に身を置き、そこで生活を営んでいる点、彼も同罪である。糾弾者自身の死とひきかえにしかその糾弾はなされない。そういう直感が、この作品の終わりをこのようなものにしている。

加藤典洋「その世界普遍性」




「楯の会」について

「醜の御楯」は、天皇のために楯となって天皇を守り、朝敵(外敵)と戦う勇敢な兵士、という意味だけではない。「楯の会」は、非業の死を遂げた、無数の英霊たちの鎮まらぬ天皇御自身への怒りを、天皇の身代わりとなって一身に引き受けるために作られた組織なのかもしれない。戦後日本は昭和元禄という偽りの繁栄にうつつを抜かし、精神性よりも「金銭」と「物質的幸福」だけが物を言う世の中に成り下がった。
そうなると、「神国」を護るために尊い命を捨てた無数の英霊たちの憤怒は行き場を失う。
このまま放置すれば、その怒りが天皇本人へと向かいかねない。だから『英霊の聲』では、「川崎君」が天皇の代わりに死んでいった。

島内景二「第五章 日本文化と戦った三島由紀夫――人間は誰のために死ねるか」




三島の母、三島から『英霊の聲』の原稿を渡された時の回想

「昨夜一気に書き上げた。出来上がってしまったのだ」と渡されたのだが、一読して全身の血が凍る思いがした。どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。
「手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、二・二六事件で死んだ兵隊達の言葉だということが分った」怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、公威(三島の本名)に何かが憑いている様な気がして、寒気を覚えた。

平岡倭文重「暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に」

--

コメント(1)

職業軍人さんは、一応、お国のため(天皇陛下のため?)戦争で亡くなられたのは、職務まっとうであろうが、戦争の最大の悲劇は、原爆や大規模空襲でなくなった、罪もない一般市民だと思う。
軍人さんには、恩給も出ているが、戦争犠牲者の市民は何の保証もない。犬死である。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見 更新情報

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。