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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 強い者と弱い者の争いから関係がないと手を引くのは、強い者に味方することを意味する、中立ではない

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内田聖子/Shoko Uchida@uchidashoko 1時間
今、参議院本会議でスーパーシティ法案(国家戦略特区法改正案)が可決されました。コロナ禍の中で十分な審議もなく可決したことはまったくひどい。以前からこの問題を発信してきた者としても力不足を感じます。
やっとネット上で話題になっていたところ、残念です。今後は各自治体での動きが重要です。
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ーーパウロ・フレイレは有名なブラジルの教育者です。
彼の重要な本、『被抑圧者の教育学』が出版されて30周年が近づいています。
フレイレはこう言っていました。
「強い者と弱い者の争いから関係がないと手を引くのは、強い者に味方することを意味する、中立ではない」。
わたしはそれに同意しますし、それが自明の理とみなされるようになることを願っています。だってそうなのですから。
フレイレは非常に重要な人物でした。
彼が書いていたのとほぼ同じ時期に、ブラジルとラテンアメリカ全体の教会は自分たちの過去を考え直し、教会が弾圧者の側に立っていたことを認め、手を引いて中立になるだけでは十分ではないと認めて「貧しい人たち優先」へと方針を転換しました。
彼らは住民の大半を占める貧しく弾圧された人々の努力と苦闘に
加わらなくてはならなかったのです。
その努力の一部は、人々の意識高揚でした。
フレイレが教育の場で興味深く論じていたような種類のものです。
司祭と尼僧、あるいは平信徒が拠点となる共同体を作り、ゴスペルをとなえ、自分の状況について何をするつもりかを考え直すのです。
そして彼らは組織しました。
こうしたことはみな同じ精神だったと思いますし、しかもまさに正しい道筋に沿っていたと思います、、、
ーー教育システムの大部分は成績、他の生徒をテストで打ち負かすこと、教室の前に出て先生から褒められることに基づいた報酬システムのまわりに築き上げられています。
そうです。
それは特別な種類の訓練です。
それは非常に反社会的な行動の訓練で、人間にとって非常に有害です。
それは教育には必要ありません。
ーーどんなふうに有害なのですか?
その人間を、他人の業績を喜ぶのではなく、他人の敗北を見て喜ぶような人間にしてしまいます。
偉大なヴァイオリニストを見たら、その人が偉大なヴァイオリニストでわたしはそうではないという事実を楽しむのではなく、その人のヴァイオリンを壊す方法を考え出そうとするような人間になるのです。
それは人間を怪物に変えます。
これは絶対に教育に必要ではありません。
教育に害を与えると思います。
わたしは個人的にこのような経験をしていますが、それは一般化できると思います。
日々の状況にどう対処するかというのは複雑な問題ですが、学校に関する限り、12歳まで行っていた学校には競争がありませんでした。
わたしは中学校に行くまで自分の成績がいいかどうかわかりませんでした。
わたしは飛び級して他の子はしませんでしたが、それに意味があるとは思っていませんでした。
ただ、そうなっていたのです。
全員が最善を尽くすように、そしてほかの人が最善を尽くすのを助けるように励まされました。
その通りにやれば褒められました。
成績のための競走などというのは、町の進学校に行くまで知りませんでした。
その時から教育のレベルは落ち始めたのです。
ちなみに、この45年の教育の経験は、それはMITでの経験ですが、競争的な環境ではありません。
科学の学部では、一応は成績をつけなくてはなりません。
形式としてそうせざるを得ないのです。
しかし、人々は一緒に学問をしています。
隣の人よりもうまくやろうなどとはしません。
共通の目標があるのです。
これを理解したいんだ、一緒に勉強しよう、となります。
教育あるいは研究を進めるにはそれがいちばんいいやり方でしょう。
ーー教育システムを通り抜けるあいだに、競争原理、ナンバーワンになること、人より前に出ることを内面化してしまうと、職場にたどり着く頃にはほとんど元に戻せなくなってしまうような気がします。
そうかもしれません。
もしそうなら、気の毒なことです。
職場では手を取り合って働くべきなのに。
たとえば、すくなくとも学部の科学研究講座などでは、そんなふうになることもあり、そうなるとまったく破壊的です。
ましな講座ではそうはなりません。
反対にみんな一緒に勉強します。
共通の目的があるからです。
ほかの人の実験を失敗させようなどとはしません。
【ノーム・チョムスキー「グローバリズムは世界を破壊する」2003年 309ページ】
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ノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センによる非常に興味深い研究があります。
ノーベル賞受賞の理由となった研究の一部はインドと中国の比較でした。
(Amartya Sen, "Indian Development: Lessons and Non-Lessons" 1989)
非常に興味深いものです。
彼が受賞したとき、わたしは気をつけていましたが、
研究主題に触れている記事はありませんでした。
インドと中国はよい比較ができます。
センが指摘しているように、二つの国は
植民地時代が終わった1940年代後半にはほぼ同程度の発展状態でした。
そして違った道をたどります。
インドは資本主義的民主主義のコースをたどりました。
合衆国では、インドは社会主義と言われていますが、冗談でしょう。
インドは他の資本主義的民主主義の国となんら変わりがありません。
中国は1979年まで毛沢東主義に従い、そのあと複雑な道筋をたどって「改革」に進みました。
ですからこの二つを比較するのは興味深いものです。
センが行なった比較の一つは有名です。
ここ数週間、『ニューヨーク・タイムズ』を初めあらゆる新聞に出ていました。
『共産主義黒書』という本が出て、共産主義の大きな犯罪について述べています。
新千年紀が始まった今、これまでは無視されてきたこうした罪に、
わたしたちはいよいよ直面する勇気を持たなくてはならない、というのが大意で、わずかに誇張も入っています。
『黒書』は共産主義のせいで死んだ人の人数が1億人である
という衝撃的な数字を挙げています。
それは正しいとしておきましょう。
数については議論しないことにします。
殺害の最悪の例、この1億と言われる数の最大の要素は、1958年から1960年にかけての中国の飢餓でした。
これは『ニューヨーク・タイムズ・リヴュー・オブ・ブックス』のミレニアム新年号や2週間後の別の号で大きく取り上げられていました。
その飢餓ではおそらく3千万人が死んでいます。
センはそれを研究し、インドではイギリス統治下でたくさんの飢餓を経験してきたが、独立後はそのような飢餓は経験していないと指摘しています。
ですから、中国と同じくらいの人が死んだ1950年代初めの大きな飢餓以来、インドに飢餓はなくなったというのです。
センは説得力のある理由を挙げています。
これは、インドの社会経済、政治、思想的発達の特別な形態に関係がある、と。
インドは多かれ少なかれ民主主義国です。
自由な新聞があり、底辺から頂点までのいたるところから情報が来ます。
飢餓の兆候があれば、中央の当局はそれがわかるし、飢餓に対する抗議もあるでしょう。
全体主義的な国家である中国では、情報が中央に戻っていきませんし、どんな抗議も叩き潰されてしまうでしょう。
それで大きな飢餓になってしまった、と。
これは共産主義の犯罪であり、制度の性質に帰することができるものだというのです。
ここまでがセンの言ったことの半分です。
彼の調査のもう半分は、注目を免れたようですが、もう一つの比較に関するものです。
1940年代後半に中国は、民衆向けのいろいろな計画と同時に、農村の健康と教育計画を開始した。
一方インドは、我々のルールに従ってゲームをし、そのようなことは何もしなかった。
それは、たとえば死亡率などの結果に現れている。
死亡率は中国では1950年から1979年のあいだに急激に低下した。
それから低下が止まり、いくらか上昇し始めたといいます。
上昇し始めたのは改革の時期なのです。
全体主義的な時代、1950年から1979年くらいまで、死亡率は低下していたのです。
インドでも死亡率は低下しましたが、1979年までは中国よりはずっと低下の速度は遅かったのです。
それからセンは言います。
こうした毛沢東スタイルの計画や、民衆のための措置を実行しなかったために、つまりあまりイデオロギー的でなければ改革と呼ぶもののために死んだ人の数を数えてみると、年に400万人近くになると考えられる。
つまり、インドでは8年ごとに、中国の恥ずべき飢餓によって死んだのと同じ数の死者を隠していたことになるわけです。
期間全体を通して見ると、資本主義的民主主義の期間に入ってからのインド1国だけで、約1億人の死者が出ているのです。
ーーそれはセンがジャン・ドレーズといっしょにやった研究ですか?
アマーティア・センが同僚のジャン・ドレーズと一緒に書いた本の中に出ています。
これは秘密ではありません。
よく知られた本です。
社会の大勢に認められています。
センはなんと言ってもノーベル経済学賞を受賞していますし、
国立芸術科学協会からも本を出してもいます。
見落としようがありません。
共産主義の犯罪を正確に数え上げるのに利用したのと同じ計算をするとしてみましょう。
南側で最も大きな、実際は人口の点で言えば世界で最も大きな資本主義民主国家では、その1国だけで1980年くらいまでに約1億人の死者を出しています。
20世紀のすべての共産主義国家が出したとされる死者の数と同じです。
そして、それはもちろん手始めにすぎません。
同じ根拠に基づいて同じ計算を西側に支配されていた地域の他の国々に当てはめてみましょう。
天文学的数字に達することになります。
しかし、このような話は受け入れられないのです。
こうした事実を詳しく書いた『黒書』はあり得ません。
まったく忌まわしいソビエトの記録と西側支配下にあった国、たとえばブラジルの記録とを比べるのは現実的とは言えないのと同じことです。
なにしろブラジルは、著名人や尊敬すべき学者によれば、資本主義にしっかりと基づいた「工業開発の現代的科学的手法のための実験地域」となったのですから。
大半の国民には喜ぶべきことの何もない結果をもたらしてはいますが。
ですから、それがインドのもう一つの側面です。
インドの発展は重要で建設的なやり方で行われたと同時に、センとドレーズが指摘したとおり、イデオロギー的、政治的、社会的制度の一部として、非常に破壊的なやり方でもあったのです。
中国の飢餓がその全体主義の結果であるように、インドの破壊は導入された制度の結果に他なりません。
センとドレーズとその同僚が調査した他のケースを検討すれば、要点はさらに明らかになります。
インドの最も貧しい州のひとつケララ州は、非常に貧しいけれども他の地域よりも非常に高い健康と生活の質を維持していたという点で、むしろキューバに似ています。
その基準は重要な点に関しては豊かな先進国にも引けを取らないものでした。
その理由は、資源の利用法に帰することができます。
健康、識字能力、女性の教育などに使われたのです。
その政策は共産党州政府のもとで導入され維持されました。
これは他の州でも行われました。
その計画が人気を集めたからです。
中国の場合、死亡率の減少は1979年前後に止まり、その後おそらくは悪化しています。
ここに物語のもう一つの部分があります。
インドの改革後の話と違いはありません。
国民の大半にとっては中国ほどの進歩もないうちに事態は悪くなり始めたのです。
とは言っても、いわゆる改革前にはいくらかの進歩はありました。
こうしたことはすべて研究され、理解されるべき物事です。
それほど簡単にはいかないでしょうが。人間社会のような複雑なシステムはすべて、たくさんの要素が絡まりあっているからです。
しかし、概要は、センとドレーズが指摘したように、かなり驚くべきものです。
西欧の力を支持し、西欧エリートの自己イメージに都合のいい半分だけではなく、物語のすべてを知るべきなのです。
ーーこれは主流のメディアでは読むことのできないものです、、、
『黒書』についての解説は共産主義の恐ろしい口にできないような犯罪を糾弾して、愚かにもこのような非難がなにか新しいものであるかのように言い立てています。
それは共産主義を、黒一色に染まり、将来よくなる望みもなく、想像を絶する犯罪、その最悪のものが中国の飢餓ですが、に満ちたものとして描いています。
たしかにそうした犯罪はわたしたちのような文明人には理解できないものです。
恐怖に茫然としたまま立ち竦むしかありません。
西欧の犯罪、資本主義と民主主義の犯罪について言えば、おそらくいくつか小さな欠点はあるでしょう。
たとえば、ほかの連中の犯罪には非常にすばやく反応するといったような欠点です、、、
最も基本的な道義的原則に基づけば、反応は正反対でなくてはなりません。
わたしたちは、自分たちの犯罪についてならたやすく何かができるからです。
しかし、こうした自明の理を持ち出すとかならず怒りを引き出すか、さもなければわけがわからないという目で見つめられるだけです。
【ノーム・チョムスキー「グローバリズムは世界を破壊する」2003年 262ページ】
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国際法の原則があって、それは、100年以上も前に合衆国がキューバを「解放した」とき、つまり1898年にキューバがスペインから独立するのを防ごうとしてキューバを征服したときという意味ですが、合衆国が考え出した法律です。
当時、合衆国がキューバを引き継いだとき、合衆国はキューバがスペインに対して持っていた債務を破棄しました。
この債務はキューバ国民の同意なしに押しつけられたものだから無効だという妥当な根拠を主張したのです。
この原則は後に、これもまた合衆国の主導で、「不正な債務」と呼ばれる原則として国際法で承認されました。("Odious Debts" 1991, "Rogue States" 2000)
力によって押しつけられた債務は原則として無効だというものです。
第三世界の債務は不正な債務です。
これは合衆国のIMF委員、国際経済学者のカリン・リサカーズでさえ認めています。
彼女は2年ほど前に、もし不正な債務の原則を適用すれば、第三世界の債務のほとんどは消失するだろうと指摘したのです。
(Karin Lissakers, "Banks, Borrowers, and the Establishment" 1991)
これはすべてイデオロギー的な決定です。
経済的な事実ではないのです。
金が貸し出され、誰かがそれを借りているというのは経済的な事実ですが、誰がその債務を負っているのか、そして誰がリスクを引き受けるのか、それは権力による決定であって、経済的な事実ではありません。
【ノーム・チョムスキー「グローバリズムは世界を破壊する」2003年 184ページ】
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聖アウグスティヌスは次のような話を伝えている。
アレキサンダー大王が海賊を捕らえて尋ねた、「なぜ海の安寧を乱すのか。」
海賊は答えた、「あなたこそなぜ世界の安寧を乱すのか。
私は小さな船一掃でやるだけだから盗賊と呼ばれるが、
あなたは大規模な海軍を使ってやり、帝王と呼ばれる」。
海賊の反撃は「秀逸で、あざやかだった」と聖アウグスティヌスは記す。
【N・チョムスキー「海賊と帝王」その冒頭より】
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ロジェ・バスティード(Roger Bastide)によれば、一般的に認められる数として、南北アメリカに生きたまま到着した奴隷は2000万人である。
これに対して、L.S.サンゴール(Senghor)は、白人によって奴隷化されたアフリカ人の数を2億と見積もる。そのなかには、アフリカでの奴隷狩り中に死亡、および移送中、あるいはアメリカ大陸到着後3カ月以内に死亡した数も含まれる。
【ジャン・ジグレール「私物化される世界」 339ページ】
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暗殺および非業の死による年間の犠牲者数が1万5000を超えた場合、国連は「低強度戦争(low-intensity warfare)という用語を用いる。
【ジャン・ジグレール「私物化される世界」 330ページ】
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白のオーバーオールを着た整備員が機体の検査を始めた。
左側の車輪格納部から人間の手の指が3本、飛び出していた。
機体の縁をしっかりとつかんでいる、、、
それはギニアからやってきたフォデ・トゥンカラとヤギン・コイタで、15歳と14歳だった。
二人が身につけていたのは半ズボンとシャツとサンダルである、、、
ボーイング747は巡航速度に達すると高度約1万1000メートルを飛行する。
この高度の外気温は少なくとも摂氏マイナス50度になる。
二人の少年はおそらく途中着陸したギニアのコナクリで車輪格納庫内によじ登ったのだろう。
フォデのシャツのポケットに丁寧にたたまれた1枚の紙が発見された。そこにはたどたどしい文字で次のように記されていた。
「ぼくたちが自分の命を危険にさらして、その結果命を失ったことがわかったら、(次のような理由であることを理解してください)それはぼくたちがアフリカでひどく苦しんでいるからであり、また貧困と闘うために、そしてアフリカでの戦争を終わらせるためにあなた方を必要としているからです。
それでもぼくたちは学びたい。
だから、アフリカのぼくたちがあなた方と同じようになれるように私たちを助けてくれるようにお願いします、、、
最後に、この手紙をほかならぬあなた方に、あえてたいへん尊敬するあなた方に宛てて書いたことをどうか許してください。
でも忘れないでください。
私たちの力が足りないのはひとえにあなた方の所為(せい)であることを」(ジャン・ジグレール「私物化される世界」 その序文より)
"So if you see that we are sacrificing ourselves and risking our lives, it is because people are su
ffering too much in Africa and need you to fight against poverty and put an end to the war in Afric
a. But we want to study and we ask you to help us to study so that we can be like you in Africa. La
stly: we beg you very much to excuse us for daring to write you this letter because you are very im
portant people that we have to respect a lot. And don't forget it's you we have to blame for our we
akness in Africa. Written by two Guinean children. Yaguine Koita and Fode Tounkara".
E/CN.4/2000/52 25 February 2000 
handwritten letter from two Guinean children
https://bit.ly/2X65P3I
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アリランの歌
1940年の夏、わたしはふたりの仲間とともに朝鮮半島北部の山岳地帯を旅行した。
それはわたしにとって、はじめての異文化との接触であった。
東海岸の朱乙温泉を出発して、冠帽峰連山をこえ、摩天嶺山脈を横ぎり、鴨緑江上流へでた。
それから白頭山にのぼり、第二松花江源流をたどり、安図にでたのである。
そのほぼ全行程が朝鮮語をはなす人たちの居住地域であった。
当時、朝鮮半島は日本の統治下にあり、日本語は学校で強制的におしえられていたから、かなり普及はしていたが、それでも山村の住民たちには、朝鮮語しかわからないというひとがすくなくなかった。
梅棹忠夫(1920ー) 岩波新書「実戦・世界言語紀行」1992年、その冒頭より
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自らが自由だと誤って信じる者ほど、絶望的に奴隷化されている者はいないヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
敵の脅威を強調するのは、国家の常套手段である。「小さな政府」を支持している日本のひとびとは、この点に口をつぐむ。社会保障制度を破壊し、教育を崩壊させる一方、 この「小さな政府」論は、着々と軍備の増強を推し進めるのである。一方で国家の機能を縮小させ、他方で国家の機能を拡大させる。これは偶然ではない。これこそが「小さな政府」論の正体である。新自由主義は、新保守主義と手をたずさえて成長する。
「自由の国アメリカ」は幻想である。
1982年と83年に、米国は単独で、教育・労働・保健・適切な滋養・民族の発展などは人権であるという宣言に反対票を投じている。それから13年経った後にも、米国はこの態度を「軟化」させてはいなかった。1996年、国連主催の「世界食料サミット」で、米国は、サミットが「すべての人が安全で栄養のある食料にアクセスする権利」を認めたことに異議を唱え、「食料への権利」を認めないと主張した。米国政府は、その代わりに、飢餓の根元にある貧困を撲滅するための手段として自由貿易を提唱し、また「食料への権利」を認めると、貧困国から援助や特別な貿易条件を求める裁判が提起される可能性があるとの懸念を表明した。(312−313頁)
、、、
本書の巻末に収められている、訳者による解説をここで引用しよう。かつてガンジーはこう述べた。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない」。そして、その理由は次の言葉で明らかにされている。「そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。
https://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200805/article_6.html

コメント(1)

今日的課題、問題点をずばりついてますね。グローバリズムは人類を幸せにはしません。
資本主義は修正されなければならない、それが共産主義かどうかは、別にして。

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