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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 水:価格と人権     筆者:高橋一生

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「水」 井上ひさし選、日本ペンクラブ編、光文社文庫、2003

2002年8月末から9月初めにかけてヨハネスブルグで開催された
持続可能な開発のためのサミットで、水資源が史上初めて世界の主要課題の
一つとして認知された。
国連事務総長が、ヨハネスブルグ・サミットの五つの主要テーマの一つ
として水の問題について協議するように提案し、執行計画の主要事項の一つ
としてコンセンサス合意が成立したのである。

しかし、水資源に対する見方は大きく分かれている。
一方で、21世紀は、水資源が枯渇し、人類は、水争いを繰り広げる時代
を迎えつつあるのかもしれない、という見方がある。
他方で、たしかに、水をめぐり、予断を許さない状況があらわれるかも
しれないが、それは、水をめぐって、人類のさらなる協力システムの強化
を築きあげる良い機会になるであろう、という見方もある。
また、さらに、水を経済資源として明確に位置付けるのみではなく、
水に対しては、充分な価格をつけ、企業経営の対象とすることが
最も合理的な開発と配分を担保することになる、という見方がある。
他方において、水は人間の命の源であり、したがって、人権の問題である、
というとらえ方もある。

・・・
統合的水管理の現状と見通し

利用可能な淡水の70%ほどは農業用水であり、その他の主要な分野は
飲料等の生活用水、工業用水および自然保全水である。
これらの利用を通じて水が消えるわけではない。
地球全体からみれば、水の量は、人類のタイム・スケール(数百万年)では、
ほぼ不変とみてよい。
農作物として形を変えたり、工業用水として物の一部になったり、汚染されたり、
また、人間の身体の新陳代謝の一部となったり、動・植物の生命プロセスの
一部となったり、蒸発したりする。
これらはすべて、広義の水循環を構成している。
20世紀は、人口が3倍になり、水の消費が7倍近くになったが、それは、
この水循環に、7倍の負荷をかけた、ということであり、水が7倍消失した、
ということではない。
まず、必要なことは、この水への負荷の減少をはかることであり、
その中心課題は水利用効率の向上をはかることである。
その目的のために1940年代に米国のホワイト博士(G. F. White)によって
統合的水資源管理が提唱された。

現在、水資源の効率的利用は、ほぼ統合的水資源管理と同義語にさえ
なっているといってよいであろう。

・・・
水の価値論

水の価値について、世界各地で、多種多様な伝統が築かれてきたが、
最も一般的なのものは、早い者勝ち制度であり、この制度のもとでは、
水に対して価格はつけられていなかった。
水の価値論が大きなテーマになってきたのは、この10年ほどのことである。
それは、1980年代に、OECDにおける、ますます貴重な存在に
なりつつある水について、一方において、利用効率を上げ、
他方で、利用できるような水資源にするための投資の増加の必要性
という二つの側面に関する協議に端を発している。
1992年のリオにおける環境と開発サミットの際、
水についても準備会合が開催された。
1992年1月のダブリンにおける水のための準備会合の一つの焦点は、
このOECDにおける作業を、世界全体に広げるかどうか、ということであった。
この会合の結論は、水を経済財として位置づける、ということであった。
この作業結果がそのままリオ・サミットで採択された「アジェンダ21」
の第18章「水」の基本原則となった。
この時点以降、水を経済財として位置づける見方が一般化しはじめた。

しかし、統合的水資源管理の実施状況が、世界各地で異なり、かつ、水資源
の多面性について、経済財として、どのように具体的に考えたらいいのか
ということについて、明確なガイドラインが見出せなかった。
この時点においても、OECDにおいてのみ、経済財の具体化に関する
協議が行なわれた。
「21世紀の水に関する世界委員会」が世界水協議会によって1998年に
設立されたとき、経済財としての水をどのように考えるのか、
ということが一つの重要な課題であった。

この世界委員会の作業によって、先進国の水問題は、大きな問題をかかえながらも、
何とかなるが、途上国の水の量、配分、質の問題を扱うには、今後20年以上
にわたって、毎年1800億ドルの投資が必要であることが示された。
世界のODAの全額が500億ドル台である状況から
(現実に、水分野には30億ドル弱)、多くの部分を民間資金に頼らざるを
えないことは明確であった。
そこで、ダブリン原則の「経済財」という概念を、さらに、一歩踏み込んで、
コストをすべて回収しうる価値(full cost pricing)
という案がこの委員会で議論された。
この委員会の作業によって、さまざまな要素が明確になった。
一つは、世界の水資源管理の5%ほどが民間によってなされ、その半分以上が
英仏の3つの企業によって行なわれている、ということ。
第二点として、企業側としては、地方自治体が、長期の安定した体制を制度化
すれば、投資を大きくのばす用意があること。
第三点は、年スラムの住民は、トラックやリヤカーで販売する水を、
なけなしの金で買い、住宅地の住民の6倍から15倍の値段を、
実際に払っていること、などである。

委員会内部での議論は、かなりフル・コスト・プライシングに傾いた。
しかし、筆者を含む2、3名の委員は、28億にのぼる巨大な貧困層と
フル・コスト・プライシングとは相容れないと強く主張し続けた。
結論としては、「貧困問題に配慮しつつ、フル・コスト・プライシング
を導入すること」が重要であるという提言になった。
この委員会の「21世紀水ビジョン報告書」が2000年3月のハーグ
における第二回世界水フォーラムに提出されると、この部分が大きな
論議をよぶことになった。
多くのNGOが、フル・コスト・プライシングというところだけを
取り上げて反対意見を表明した。
同時に開催された閣僚会議の採択した宣言でも、
フル・コスト・プライシングというところは、かなり薄められることになった。

2000年から2001年にかけて、グローバル水パートナーシップは、
精力的にフル・コスト・プライシングの導入キャンペーンを行なった。
実際に、このアプローチをとる地方自治体が着実に増加した。
しかし、このアプローチは、2001年末頃から、二つの点から
ほころびが生じはじめてきた。
第一は、統合的水資源管理が徐々に進み、
フル・コスト・プライシング・アプローチがとられつつあったが、
水利用の色々な側面でフル・コスト・プライシングの適用が困難なことが
わかってきた。
とくに、下水については、それが明確になった。
利用者は、単純に支払いを拒否するわけである。
第二は、2001年9月11日のニューヨークとワシントンに対するテロ攻撃
とその後の米・英によるアフガニスタンに対する攻撃と、さらにテロ連鎖
という状況の影響である。
フル・コスト・プライシングの導入を通じて、水資源管理の民営化を促進
しつつあった地方自治体の多くが、安全性の考慮から、このプロセスを停止した。

現在は、したがって、フル・コスト・プライシングの導入に関して、
大きな方向転換が起こりつつある。
それは、公と企業のパートナーシップの可能性の追求である。
それは、公のもたらす安全性と企業のもたらす資金とマネージメント手法を、
どのように結びつけることが、中・長期的視点からの水資源管理にとって
最良なのかの模索である。

・・・
水と人権

水のフル・コスト・プライシングの対極にある考え方が水の人権論である。
水の多様な人間とのかかわりのうち、特に飲料水に関して、水の人権論が
強調される場合が多い。
水は生命そのものであり、人間の生命維持のための水を確保することは
人権以外にとらえようがない、ということが水の人権論である。
貧困、紛争、自然災害等で厳しい状況に置かれても、水さえあれば命を
長らえることが可能である。
その水に価格をつけ、商売の対象にすることは許されるべきではない
という主張が、水の人権論のエッセンスである。

この議論は、2000年3月の第二回水フォーラムで、多くのNGOが
強く主張した。
また、政治的にもアピールのきく主張でもある。
したがって、政治文書やNGOのドキュメントには多く見られる主張である。
1977年の国連水会議でも、この視点が取り入れられた。
1992年に水を「経済財」と定義するにいたるまでは、基本的には、
国際社会は水を人権としてとらえていたといってよい。

水の人権論には二つの大きな問題がある。
第一は、この人権をいかにして確保するか、という方法論の欠如である。
現状では貧困層が普通の人たちの6倍から15倍の価格を支払っている。
したがって、水資源を開発しなければならないが、途上諸国だけで
年間1800億ドルの投資が必要である。
この資金をどのように確保するのか。
第二は、水資源の利用効率を上げることによって、水不足に対処する
ことが重要な課題である。
そのためには統合的水資源管理アプローチが一番重要であるが、その全体の
中で一部分のみを取り出して、それを人権論の対象にすることは困難を伴う。

この二つの問題を解決しないと水の人権論を実施することはむつかしい。
しかし、現実には、水の人権論は、フル・コスト・プライシングの
歯止めの役割を果たしている。
たとえば、貧困者に特別の考慮をするという点について、この人権論が
後押しをする効果がある。
したがって、飲料水の最低限度(例えば1日2リットル)まではただにする、
あるいは一定量の水のクーポン券を貧困層に配布する等、対貧困層対策
として具体的な方法が考えられているが、これらの政策を後押ししているのが水の人権
論である。


21世紀における水の課題

以上、水の課題をまとめると以下のようになる。

(1)水の現状は、まだ解明されていない部分が多い。
政策手法(統合的水資源管理)も、まだほんの一部で実施されはじめたばかりである。
したがって、21世紀の水の第1の課題は、自然・社会科学分野の両方
における研究活動を活性化することである。
とくに、水の多面性に光をあてるためには、研究活動における国際協力が重要である。

(2)水は幅の広い、極めてインターディシプリナリーな性格の強い分野である。
今までは土木工学、化学、経済学等々別々の分野から専門家が養成されてきたが、
今後の課題は、インターディシプリナリーな水のプロの養成である。
水のプロフェッショナル・スクールを世界にいくつか作ることも必要であろう。

(3)水問題は主として途上国にあり、解決も途上国のイニシアティブが期待される。
先進国では水は多省庁で扱われ、一元的管理はほぼ不可能である。
しかし途上国では水を中心とした官庁を持つ国が相当ある。
それらの官庁が中心になり、途上国がイニシアティブをとった国際機関をつくる
可能性のある分野である。
分野ごとの官庁を結びつけるという機能主義という発想のもとに設立されてきた
国連の専門機関が、途上国のイニシアティブで水分野に関して設立されても
よいのであろう。
水問題を通じて国際社会の中に途上国を中心にしながら協力体制を強化する
ための現実的基盤がある。

水との関係で35億年も生命活動は展開してきた。
・・・
人間は、いまだににあまりにも水のことを知らなすぎることに、
漸く気が付きはじめた。
21世紀は水の世紀とも言われはじめている。
その水について、地球規模の課題として、ただし、われわれ一人一人の身近な
テーマという視点をもちながら、できるだけ多くを知ろうとすることから、
この世紀をはじめる必要を感じる。

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