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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの 【色平哲郎氏のご紹介】 「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」後半

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4 平凡さのための平和

 東洋には「乱世に英雄が生まれる」という言葉があります。しかし、乱世こそ平凡な
人々が自分の人生を自ら開いていくことのできない時代です。英雄は生まれますが、平
凡な人々は不幸に陥る時代です。
 中国の古典「史記」の「孫子呉起列伝」にこんな一節があります。「人曰、子卒也、
而将軍自吮其疽、何哭為」。人いわく「息子が卒兵なのに将軍が自ら息子の腫れ物の膿
を口で吸い出してくれた。どうして泣いているのですか」。泣く必要はないのにどうし
て泣いているのかという意味です。母親は、息子が将軍の行動に感激し、戦場で必死に
戦って死ぬのではないかと思って泣いたのです。「史記」にはその母親の夫も同じこと
を経験して必死に戦い、死んだと記されています。
 「史記」の著者の司馬遷は将軍・呉起の立派な行動を伝えようとしたのですが、この
話は夫を失った妻のふびんな境遇が行間に潜んでいます。私たちの好きな英雄譚(たん
)には、常に自らの運命を奪われた平凡な人々の悲劇が隠されているのです。
 韓国の分断の歴史にも、平凡な人々の涙と血が染みついています。分断は個人の人生
と思考を反目に慣れさせました。分断は既得権を守る方法、政治的な反対者を葬る方法
、特権と反則を許す方法として利用されました。平凡な人々は分断という「乱世」の間
、自分の運命を自ら決められませんでした。思想と表現、良心の自由を抑圧されました
。自己検閲を当然のものと考え、不条理に慣れていきました。
 この長きにわたる矛盾した状況を変えてみようという熱望は、韓国人がろうそくを掲
げた理由の一つでした。民主主義を守ることで平和を呼び込もうとしたのです。ろうそ
くが平和に向かう道を照らさなかったなら、韓国は今も平和に向けて一歩も踏み出せず
にいたでしょう。ろうそく革命の英雄は、極めて平凡な人々の集団的な力でした。「乱
世に英雄が生まれる」という東洋の古言は「平凡な力が乱世を克服する」という言葉に
変えるべきでしょう。
 私は、季節が変わりゆくように人間社会の出来事にも過程があると信じています。東
・西ドイツ間の鉄のカーテンが欧州を貫く巨大な生命の帯「グリーンベルト」に完全に
変貌したように、朝鮮半島の平和が東西を横切る非武装地帯(DMZ)にとどまらず南
北に拡大し、朝鮮半島を超えて北東アジア、欧州まで広がっていくことを期待していま
す。朝鮮半島全域にわたり長く固着している冷戦的な葛藤と分裂、争いの体制が根本的
に解体され、平和と共存、協力と繁栄の新秩序に置き換わることを目指しています。韓
国ではこれを「新朝鮮半島体制」と名付けました。
 「新朝鮮半島体制」は朝鮮半島の地政学的大転換を意味します。朝鮮半島は地政学的
に大陸勢力と海洋勢力が衝突する断層線にあります。欧州のバルカン半島と似ています
。このため、歴史的にたびたび戦争の受難を経験しました。特に、朝鮮半島の南と北が
非武装地帯を境界に分断されて以降、韓国は事実上、大陸とのつながりが断たれた「島
のような存在」でした。
 朝鮮半島に新たな秩序を築くことは、島と大陸をつなぐ橋を築くことです。昨年4月
、私は南北軍事境界線がある板門店で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長
(朝鮮労働党委員長)と会いました。北朝鮮の最高指導者が朝鮮戦争以来で初めて、韓
国側の地へ越えてきた歴史的な瞬間でした。私たちはそこで、互いに対する軍事的な敵
対行為をやめようと約束しました。
 その最初の措置として、非武装地帯の監視所の一部を撤去し、周辺地域の地雷撤去作
業も実施しました。非武装地帯内に南と北をつなぐ道路が敷かれ、13柱の遺骨も発掘
され故国に戻りました。こうした作業を進めていたところ、昨年11月にはそれぞれ南
側と北側を出発した軍人が朝鮮戦争の最後の激戦地だった矢じり高地で鉢合わせする出
来事がありました。彼らは互いに銃口を下ろして握手を交わし、予想外の遭遇を楽しみ
ました。朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にして、このように非武装地帯に春が訪れ
たのです。
 朝鮮半島の春はドイツのベルリンから始まりました。私は2017年7月、金大中(
キム・デジュン)元大統領による2000年の「ベルリン宣言」に続き、ろうそく革命
の熱望を込めてベルリンで朝鮮半島の新たな平和構想を語りました。当時、多くの人々
は単なる希望事項にすぎないと考えました。朝鮮半島の冬はなかなか去る様子はなく、
北朝鮮は核実験とミサイル発射を繰り返して危機を高めていました。周辺国も制裁を次
第に強化し、「4月危機説」「9月危機説」が飛び交い、韓国人は本当に戦争が起きる
のではと心配しました。
 ドイツのウィリー・ブラント元首相は「一歩も進まないより、小さな一歩でも進む方
がいい」と言いました。私の考えも同じでした。何かを始めなければ、国民の熱望をか
なえることはできませんでした。「小さな夢を見てはいけない、それは人の心を動かす
力がない」というゲーテの文章を思い出しました。冬を抜けて春の新芽を芽生えさせる
には、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という大きな夢を語る必要がありました。国民ら
と一緒に成し遂げられる、大きな夢でなければならなかったのです。
 北朝鮮は2018年1月の新年の辞で南北関係を改善する用意があると表明し、韓国
の大きな夢に応えてきました。続けて、平昌冬季五輪への参加の意向を伝えてきました
。周辺国と欧州の国々までもが朝鮮半島の雪解けに支持と声援を送ってくれました。韓
国の国民は、平昌五輪を平和五輪にするため心を合わせました。
 「ベルリン宣言」で、私は北朝鮮に「簡単なことからやろう」と呼び掛け、四つのこ
とを提案しました。平昌五輪参加、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の再
会事業、互いに対する敵対行為の中断、そして南北間の対話と接触の再開です。驚いた
ことに、この四つは2年が過ぎた今、全て現実のものになりました。昨年2月の平昌冬
季五輪の開会式で、南北の代表選手団は世界の人々が見つめる中で朝鮮半島旗(統一旗
)を掲げて合同入場しました。離散家族が再会し、今やいつでも映像を通じて再会でき
るシステムを備えています。何よりも朝鮮半島の空と海、陸地で銃声は消えました。私
たちは北朝鮮の地、開城に共同連絡事務所を開設し、日常的に互いが対話し、接触する
チャンネルをつくりました。朝鮮半島の春が、こうしてにわかに近づいてきたのです。
 これまで私が残念に思っていたことは、韓国の国民が休戦ラインの向こうをもはや想
像できないことでした。朝鮮半島で南と北が和解し、鉄道を敷き、人と物が行き交うよ
うになれば、韓国は「島」ではなく海洋から大陸に進出するための拠点、大陸から海洋
に出ていくための関門になります。平凡な人々の想像力が広がるということはすなわち
、理念から解放されるという意味でもあります。国民の想像力も、生活の領域も、思考
の範囲もはるかに広がり、これまで耐えねばならなかった分断の痛みを癒やせるでしょ
う。
 今や南北の問題は理念や政治に悪用されてはならず、平凡な国民の生命と生存の問題
に広げていかねばなりません。南と北はともに生きていくべき「生命共同体」です。人
が行き来できない状況でも病虫害が発生し、山火事が起こります。目に見えない海上の
境界は操業権を脅かしたり、予想外の国境侵犯で漁民の運命を変えたりします。こうし
た全てのことを元に戻すことが、まさに恒久的平和なのです。政治的、外交的な平和を
超え、平凡な人々の生活のための平和です。
 「新朝鮮半島体制」は受動的な冷戦秩序から能動的な平和秩序への転換を意味します
。かつて、韓国国民は日帝の占領と冷戦により自身の未来を決められませんでした。し
かし今、自ら運命を切り開こうとしています。平凡な人々が自分の運命の主人になるの
です。
 朝鮮半島と北東アジアの既存秩序は、第2次世界大戦の終戦と同時に北東アジアに植
え付けられた「冷戦構造」と深く関わっています。戦後処理の過程で韓国人の意思とは
異なり分断が決まり、悲劇的な戦争を経験せねばなりませんでした。このとき、韓米日
の南方3角構図と、これに対応する北朝鮮と中ロの北方3角構図が暗黙のうちに定着す
ることになりました。
 こうした冷戦構図は1970年代のデタント(緊張緩和)と1990年代のソ連解体
、中国の市場経済導入でかなり解消されましたが、朝鮮半島でのみ、今なおそのままで
す。南北は分断されており、北朝鮮は米国、日本と正常な国交を結んでいません。こう
した状況で、南北は昨年、「板門店宣言」と「平壌宣言」を通じて敵対行為の終息を宣
言することで、恒久的な平和定着に向けた最初のボタンを掛けました。同時に、北朝鮮
と米国は非核化問題とあわせて関係正常化のための対話を継続しています。朝米(米朝
)が対話によって完全な非核化と国交を実現し、朝鮮戦争の休戦協定が平和協定に完全
に置き換えられてはじめて冷戦体制は崩れ、朝鮮半島に新たな平和体制が築かれるでし
ょう。
 平和はまた、共に豊かに暮らす国に発展するための基盤となります。「新朝鮮半島体
制」は平和経済を意味します。平和が経済発展につながり平和をより強固にする、好循
環の構造を指します。南と北は恒久的な平和定着を促進するため、共に繁栄できる道を
思い悩んでいます。すでに、断ち切られた鉄道と道路の連結に着手しました。韓国の技
術者たちが分断以来で初めて北朝鮮の鉄道の状況を調査しました。鉄道と道路の連結事
業の着工式も開催しました。
 南北経済交流の活性化は、周辺国と結びつきながら朝鮮半島を超え東アジアとユーラ
シアの経済回廊に生まれ変わることができます。南北とロシアはガスパイプをつなぐ事
業について実務的な協議を始めています。昨年8月には、北東アジア6カ国と米国でつ
くる「東アジア鉄道共同体」を提案しました。私は「欧州石炭鉄鋼共同体」をモデルに
「東アジア鉄道共同体」を北東アジアのエネルギー共同体、経済共同体に発展させたい
と考えています。この共同体はさらに、多者(多国間)平和安全保障体制に発展してい
けるでしょう。
 韓国が推進している「新南方政策」と「新北方政策」により、朝鮮半島の平和経済は
一層拡大するでしょう。新北方政策はユーラシアとの経済協力に道を開くものです。北
朝鮮は昨年6月、ユーラシアの国々が全て加わっている鉄道国際協力機構への韓国の加
盟に初めて賛成しました。釜山からベルリンまで鉄道で移動できる日が来るでしょう。
韓国は南北和解を基に北東アジアの平和の促進者となるでしょう。
 新南方政策は朝鮮半島が東南アジア諸国連合(ASEAN)、西南アジアとともに新
たな戦略的協力を模索するものです。韓国は人(People)、平和(Peace)
、繁栄(Prosperity)の共同体を中核価値と見なし、周辺国と人的・物的交
流を強化していきます。アジアが持つ潜在力をともに実現し、共同繁栄の道を模索して
いきます。
 韓国国民は、平凡な人々の自発的な行動が世の中を変える最も大きな力だということ
を示しました。こうした力は最後に残った「冷戦体制」を崩壊させ、「新朝鮮半島体制
」を主導的に築いていく原動力になるでしょう。重要なことは、1人の平凡な人が自分
の意思と関係なく不幸になる状況を防ぐことです。平和の実現も、結局は平凡な国民の
意思によって始まり、完成され得るということを世界に示せるよう望みます。

5 包容的世界秩序を目指して
・・・

6 平凡さの偉大さ
・・・

 今、世界が危機だと捉えていることは平凡な人々が解決していくべきことです。これ
は一国では解決できない問題であり、1人の偉大な政治家の慧眼では成し遂げられない
ことです。苦しんでいる隣人を助け、ごみを減らし、自然を大切にする行動が積み重な
っていくべきです。こうした行動を取る人が1人しかいなければ「何を変えられるだろ
う?」と懐疑的になるかもしれませんが、この小さな行動が積み重なれば流れが大きく
変わります。
 そして結局、私たちは世界を守り、互いに分かち合いながら、平和な方法で世界を少
しずつ変化させられるようになるでしょう。平凡な人々の日常がそうであるように、ゲ
ーテが残した警句のように「急がずに、だが休まずに」。

*同寄稿文は韓国語の原文を聯合ニュースが翻訳したものです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190507-00000001-yonh-kr

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