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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想 忠臣蔵とウクライナ問題

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【孫崎享のつぶやき】
随想 忠臣蔵とウクライナ問題。江戸時代の人々は何を最も嫌ったのか。暴力行為か。違う。暴力行為に追い込む奸計を嫌ったのだ。
2022-08-30 07:37


 私は今、ほぼ毎日。北桔梗門から入り、東御苑を一周して北桔梗門から出て、そこからジョギングを始めて、清水濠脇を通り、田安門前を通り、千鳥ヶ淵緑道を抜ける運動を行っている。健康のためだ。でもいつまで体がこの日課を許すかわからない。「運動は健康維持のために不可欠だ」は私にとって信仰のようなものだ。

東御苑は様々な様相を持つ。梅林坂、二の丸庭園、雑木林、竹林、茶畑、バラ園、天守台などがある。一角に松の廊下跡がある。あたりは鬱蒼としている。ベンチもある。東御苑で最も静かな一角である。
ここが「忠臣蔵」で有名な「松の大廊下」である。

元禄14年(1701)3月14日、「松の大廊下」で、赤穂藩主の浅野匠頭が吉良上野介に斬りかかる刃傷事件が起きた。
上野介は軽傷であったが、江戸城内での刃傷は禁じられている。浅野内匠頭は切腹となる。赤穂藩は取りつぶしとなり、家臣たちは浪士となる。上野介には御咎めはなく、お家の再興も許可されなかった。浪士が大石内蔵助の頭に仇討を計り、元禄15年(1702)12月15日に吉良邸に討ち入り吉良上野介を殺害した。
この事件は忠臣蔵として、日本で最も愛された物語となっている。

浅野匠頭が切りつけた理由は様々の推測があるが確たるものはない。しかし江戸城中で刀を振りかざし、人を傷つけるのは禁じられている。
さてこの忠臣蔵を考えてみよう。「浅野内匠頭は法を破った。だから、切腹するのも当然だ、致し方ない」とはならない。「悪いのは、浅野内匠頭に刀を振り回すに至らしめた吉良上野介だ」となっている。

つまり杓子定規に「法を破った浅野内匠頭が悪い」とはなっていない。むしろそこに追い込んだ吉良上野介が悪いとなっている。江戸時代の人々は、表向き蛮行を行った者よりは、蛮行に追い込んだ人物を憎んだのである。これが当時の日本人の感覚である。
さて、今日の政治を見てみよう。

ロシアはウクライナに侵攻した。そして日本ではほぼ連日ロシアが如何に悪いかを報じている。なぜロシアが侵攻したかの考察はない。
法を破った人は許せない。暴力をふるった人は許せない。それがすべてである。
江戸時代の人々は異なった。忠臣蔵を愛したその後の人々は異なった。彼らは人を暴力に追い込む奸計を何よりも嫌ったのである。

コメント(1)

私は、1941年12月14日生まれ、まさに忠臣蔵の日に生まれました。日本人の倫理観は、時代とともに変わってきますが、武士道の精神(実は、上野介が悪い)は、持ち続けたい。
ウクライナ戦争の表面的理解(アメリカに毒されたもの)でなく、アメリカの謀略も理解したいと思っています。

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