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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】2022-04-26 07:158

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【孫崎享のつぶやき】
歴史:1941年雑誌『みづゑ』で軍少佐は「言ふことを聴かない者には配給を禁止してしまふ。飯の食い上げだから何でも彼でもついて来る」。これに松本竣介は「芸術に於ける普遍妥当性の意味を私達は今日ヒューマニティとして理解、芸術の超国家性、超民族性が成立つ」
2022-04-26 07:158


1941年は日本軍が中国でどの沼にはまり、そして12月真珠湾攻撃が行わる年である。
軍部が日本を支配している。誰も逆らえない状況である。
 こうした中、雑誌みずえに一少佐が我々に逆らえば飯が食べられない、我々の支持に従わざるを得ないと述べた。その時松本竣介はざしみずえに軍の考えを否定する論評を発表している。
軍部情報部企画による1941年の『みづゑ』1月号の座談会「「国防国家と美術 ―画家は何をなすべきか―」
鈴木少佐発言
・私は新開雑誌方面で、紙は商品にあらずといふことを説いた一人である。単なる商品にあらず、思想戦の弾薬なり、同じことが映画に出て来た。ヒルムは単なる商品にあらずといふことを言ひたいと思ふ。今度はもう一歩行くと絵具は単なる商品にあらずといふこと青ひたいと思ふ。言ふことを聴かないものには配給を禁止してしまふ。又展覧会を許可しなければ よい。さうすれば飯の食い上げだから何でも彼でも駄いて来る。
松本竣介「生きてきてゐる画家」
・「芸術に於ける普遍妥当性の意味は私達は今日ヒューマニティーとして理解してゐる」
・「 アジアの民族が、文化を求めるに、日本に来らず、アメリカ乃至ヨーロッパに奔つたとするならば、武力的にアジアの統一ができても高度国防を本質的に形成することは不可能であらう」
 芸術に於ける普遍妥当性の意味を、私達は今日ヒューマニティとして理解してゐる。作品そのものに於て、ヒューマニティは、国家民族性とともに表裏をつくり、その内包量となるものであるが、芸術一般に於けるヒューマニティは普遍妥当性を持った外延量となるのである。この意味で、ヒューマニズムのみを固執するとき、芸術の超国家性、超民族性が成立つのである。
 如何に国家、民族性を強ひようとも、ヒューマニティの浦図家がなければ、内包量の拡大は望まれない。
・高度国防国家を狭義に解した場合、美術というものは国家社会の前衛性を持ったもの以外は不可といふことになるのであるが。それは私達にもよく理解されるのである。
 性格は全く異なっているが、かつてのプロレタリア前衛美術と軌を一にするものである。
然し高度国防国家を広義に解した場合には異なる。国家百年の計をもって、世界における理想国家完成のため、芸術家としての私達の営みは、人間としての本源的な問題に向けられなければならないのである。(みづゑ 昭和16年4月) 日本が日本文化を軸に大東亜共栄圏を創ろうとする時での論評です。当時の世相を考えると凄い勇気と思います。
 1947年彼は「ある一つの力、または典型に、意識的に奉仕し、あるいは追随する美術は民主的美術とタイルツする」と記述しています。まさに、一人、「立てる像」を貫いた人生であったと思います。


コメント(4)

戦前、まさに、大東亜戦争の直前にも、たいした芸術家がいたものですね。
>>[1]

大勢が戦争賛美の道を歩いた時でさえ、そのような芸術家や国民もいたのですね。哲学畑でも三木清や戸坂潤、古在由重なども。
>>[2]

さすがに、よく覚えておられますね。私も、名前を聞いたことある人々ですが。

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