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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】佐久病院の礎を築いた「明るい」女性たち

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【色平哲郎氏のご紹介】佐久病院の礎を築いた「明るい」女性たち


187 佐久病院の礎を築いた「明るい」女性たち

日経メディカル 2021年12月29日 色平哲郎

 「佐久総合病院の礎を築いたのは女性たちだった」と言うと唐突に聞こえるだろうか。佐久病院は、戦時下の1944年1月に誕生した。翌年3月に東京大学医学部付属病院分院の外科から若月俊一先生が赴任してくる。「遅れた貧しい」農山村に降り立った若月先生は、患者の家族に手術を見せて「恐怖」を取り除いた。演劇で公衆衛生を説き、出張診療で「農民の中へ」入り、農村医療の近代化を成し遂げた、といった文脈で語られがちだ。

 もちろん間違ってはいないのだが、若月先生の医療運動を支えたのは、実は村の女性たちだったことが、このほど『腰のまがる話(Bent with the Years)』というGHQ(連合国最高司令官総司令部)民間情報教育局が1949年に制作した映画の複写を見てよくわかった。提供してくださったのは徳島県立文書館(徳島市)。

 戦後、日本を占領統治していたGHQは、敗戦国の民衆を「教育」する映画を盛んにつくっている。これらは、使用したNational Company製映写機の略から「ナトコ映画」と呼ばれた。
『腰のまがる話』は、19分ほどのモノクロ映画で、信州の農家が舞台だ。

 ある夜、祖母が孫娘に、村のおばあさんたちの腰が曲がっているのは、「あっちにペコペコ、こっちにペコペコ」お辞儀ばかりして男に追従して生きているからだと語りかける。しまいには「病気にまでペコリ」。ここで孫娘が大病をした場面が追想シーンとして入る。

 高熱を出して横たわる孫娘。若い母親はわが子を医者に診せたい。しかし、父親は「どこにそんな金があるんだ。女房は亭主の言うようにやればいいんだ」と拒み、祈祷師を呼ぶ。部屋の壁に「病魔退散」の紙が貼られ、祈祷師は護摩を焚いて呪文を唱える。父親と家族、近所の人たちも祈祷師と一緒に呪文を唱えるが、とうとう孫娘は高熱のあまり、気を失う。

 若い母親は、わが子を背負うと一心不乱に駆け出した。向かった先は「佐久病院」の看板がかかった建物だ。

 生前、若月先生は、GHQの「民主化」教育の意図を知り、映画づくりに協力したと語っていた。若月先生がモデルらしき男性医師は、母親と、付き添って入院のサポートをする女性たちにこう語りかける。

「こんな病気はね、初めに診てもらえばすぐに治るんだ。それにかえって金もかからなくて済むだろう。子どもの病気のことは男だけに任せておいてはダメ。女がやらなきゃ。それも女がみんな力を合わせてやらなゃ。いつも言うように、村の農業協同組合に診療所をつくりなさい。それまでは保健婦さんを置くんだ。みんなペコペコしないで、、、」


 やがて孫娘は全快し、女性たちが引くリヤカーに乗せられて帰っていく。村の女性たちは、農業協同組合の寄り合いを開き、「婦人部」をつくることを話し合う。ここで若い母親が言った。

 「あたし、いままで意気地なしで、女はみんな意気地なしだと思っとりました。だけど、こんどは女だって一緒になりゃ、力を合わせりゃ、意気地なしでなくなることが、わかりました。これからはけっして男の人に負けません」


 農協の男性職員は不機嫌な顔つきで聞いている。だが、目覚めた女性たちは意気軒高だ。「田植えや稲刈りのときの共同託児所や共同炊事所をやろう」
「地域にまず保健婦さんを置いてほしい」と燃える。ペコペコしなくなった女性たちは、歳をとってももう腰は曲がらなくなる、と祖母は孫娘に教え諭す、、、


#探訪記に描かれた当時の熱気

映画には農村の「民主化」を進めたいGHQの意図が込められており、割り引いて見る必要があるが、単なるフィクションではない。実は、同じころに「佐久病院をたずねて」というルポが『科学と技術』(1948年8月1日号)に掲載されている。佐久病院で働く女性たちは、とにかく明るい。

「、、、それ(明るさ)は、ここじゃあ、男と女の差別をしないっていうところにあるんじゃないかな。おふろなんかへ入るときでも、この辺じゃ男の人がさきにはいるのがふつうなのに、
院長さんにきいてみたら男だって女だってちがわないっていうんだよ」と女性の理容師。当時は、患者さんのために理容師が病院に入っていた。

「ほんとうに自由ですねえ。自由といってもへんな意味じゃなくって、責任ある自由」と看護師。
伸び伸びとした空気の中で、佐久病院従業員が全員加入する「婦人民主同盟」は、「農村に託児所をつくれ」というスローガンを掲げ、役場を動かして実現させている。地元小学校のスペースが託児所に充てられた。ルポはこう記す。

「60人あまりの子供たちが、紫の山々にかこまれたひろびろとした校庭の一隅、青い葉のゆれる柿木の蔭で、がやがやとあつまっている。女子青年団や病院の同志や、保母さんたちの演ずる紙芝居である。テーブルのうえには、ふけたてのおやつのじゃがいもが、木のばけつのなかにほかほかしている」

(注:旧仮名遣いは現代仮名遣いで表記)


ジェンダー平等が叫ばれる現在、『腰のまがる話』を見たり、佐久病院探訪記を読むと、少しも古さを感じない。今と全く同じテーマがそこにある。ということは、「相変わらず、男社会」ということでもあろうか。

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コメント(1)

長野県の教育水準の高さや、民主意識の高さが、こういった佐久病院あたりに原点があるのだろうか?いい話ですね。

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