ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】当地(琉球)にて内地人の威張る有様は

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【色平哲郎氏のご紹介】当地(琉球)にて内地人の威張る有様は、度欧米人の日本に来て威張ると同し釣合にて、利ある仕事は総て内地人の手に入り、引合はさる役廻りは常に土人に帰し、内地人は殿様にて土人は下僕たり、、、是れ優勝劣敗の結果にて、如何ともすへからさる訳なれとも、凡そ亡国の民ほどつまらぬものはなし。

(「沖縄県」の様子、1890年代、日本人旅行者の日記より、
琉球政府編「沖縄県史」第14巻資料編4雑纂1、1965、487p)

==

今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、蝦夷(北海道)を開墾し、諸藩主に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩と同じように幕府に参内させるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢を示すべきである。

「幽囚録」 1854年 現代語訳 吉田松陰

==

戦争の事実は日清両国の間に起こりたりと雖も、其根源を尋ぬれば文明開化の進歩を謀るものと其進歩を妨げんとするものとの戦、、、若しも支那人が今度の失敗に懲り文明の勢力の大に畏(かしこま)るべきことを悟りて、自ら其非を悛(あらた)め、四百餘州の腐運敗霧を一掃して文明日新の餘光を仰ぐにもいたらば、多少の損失の如きは物の数にも非ずして、寧ろ文明の誘導者たる日本国人に向ひ、三拝九拝して、其恩を謝することなる可し。

福澤諭吉 「軍国主義」    通俗国権論 1878年より

==

「いやしくも人類が進歩向上をつづけるとした場合、結局において支配的となるものと期待されなければならぬものは、主人としての資本家と経営に対して発言権を持たぬ労働者との間に成立し得るそれではなく、労働者たちがその作業を営むための資本を共同で所有し、かつ自分自身で選出し、また罷免し得る支配人のもとで労働するところの、労働者たち自身の平等という条件に則った協同(共同)組織である」

JSM  W.トマス著・安川隆司/杉山忠平訳『J.S.ミル』

==

▼教育は生徒の可能性を信じることに始まり、可能性に驚くことに尽きる、と私は思う。同じように教師を信じなければならない。教師が自らの人間観、社会観にもとづいて生徒に語りかけるとき、生徒はその対話のなかから、この社会へ参加する喜びを育てる。

それぞれの教師に片寄りがあっても、欺瞞なく「したい教育」に打ちこめば、相互に調和してよき市民社会が造られる。(p.203)

▼先生を処分で黙らせておいて、生徒に「生きる力」をつけさせるといっても、無理である。(p.210)

野田正彰「させられる教育―思考途絶する教師たち」

==

(1950年、)朝鮮動乱がおこり、警察予備隊、海上保安庁の増員がおこなわれ、8月全労連解散命令、ついで10月にレッド・パージが指令された。レッド・パージとは「共産主義者及びその同調者にして、、、企業の安全と平和に実害のある悪質な、いわゆる積極的なもめごと製造者の追放」であった。
GHQは民主主義の仮面をはいで、官公庁、民間経営から共産主義分子と組合運動者を、解雇するよう命令してきたのである。
院内には、いわゆる該当者は多く、しかも占領軍の強権の発動であったので、連日、ジャーナリズムは、われわれの動向を注目して報道し、一部には動揺がおこった。しかし心ある人びとの支持を信じ、ただちに反対署名運動をはじめた。町村自治体、農協諸団体の代表者は、殆どもれなく、われわれに支持をあたえ、一日、二日と署名簿はつみかさなり、7日間に4万5千に達する署名が集められた。

このレッド・パージ反対の運動は、一ヶ月後に、成功裡におわった。
われわれは心から人びとの支援に感謝した。

1957年発刊 「佐久病院・第1号」 15p

==

・いくつかの佐久病院批判にこたえて  

司会発言 「新医協とかいろいろな学会で批判をうけましたね。」 

若月 、、、今一番大事なのは根本的改革、つまり革命であるというわけです。なによりも政治的運動を展開せねばならぬ。にもかかわらず、問題をそらす役割りをしている。革命の方向に目を向けさせないだけじゃなくて、今のこんなひどい矛盾の社会体制の中でも、これだけの改良をやっていけば何とかいい方向に向っていけるという考えを、積極的に宣伝している。改良主義の典型であって、まさしく修正主義である。それを医療保健の面で実践してる佐久病院を、労働者、農民の名において許すわけにはいかない。そのイデオローグとなってる若月とか佐久病院一派は許せない、もっとも悪質な革命を阻害するパワーだと、こういう考え方のよう
ですね、、、

1975年発刊 創立30周年記念「佐久病院・第2号」 83p

==

(1948年、)GHQの少佐が、二世の通訳を伴い「虚偽の供述をなしたる場合は、いかなる軍事裁判の判決にも服する」という威嚇的な文書をつきつけ、従組(佐久病院労働組合)の思想問題について調査にきたことがあった。
これが伏線であった。
卑劣にもGHQと連絡をとり、その強権を利用しょうとした動きがあったのである。GHQの調査は再三にわたっておこなわれた。

10月、長野市内の某旅館の一室に、(農村工業利用農協連合)会側幹部がいかめしくならび、十一ヶ条にわたる文書を読みあげた。

「一、院内に於て会議を開催する場合は、あらかじめ本会の承認を得ること
二、患者従業員以外の院内出入を禁ずること
三、院内にビラ掲示をしないこと
四、他の労働組合と連絡しないこと
五、メーデーその他の集会に参加しないこと、」

これを承認しなければ、全従業員の新規採用をしない、という。われわれは、この屈従の強要に忿怒に燃えて、立ち上がった。

「断じて撤回して下さい」

はげしい数時間の対決のあと、緊迫した沈黙がみなぎった

「撤回しよう」

文書は火に投ぜられた。夜半十二時。佐久では、従業員が寝もやらずにまっていた。

1957年発刊 「佐久病院・第1号」 12p

コメント(1)

今、台湾戦争が起これば、1950年の朝鮮戦争のように、日本が協力させられ、それ以上に、今度は、自衛隊が、中国と闘わねばならない。
アメリカは自国では、民主主義だとのたまうが、占領国、日本には、民主を導入したふりをして、朝鮮戦争の時のように、レッド・パージをしたり、決して民主国ではない。
日本は、再び、こんなことにならないように、注意せねばならない。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見 更新情報

孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング