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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想72 禅語「漁夫生涯竹一竿」と千宗室

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【孫崎享のつぶやき】
随想72 禅語「漁夫生涯竹一竿」と千宗室
2021-11-29 07:215


私は、禅を学んだ訳でありませんが、「禅の言葉」とされるものにはしばしば出会います。 「行雲流水」「柳緑花紅」「日々是好日」「下載清風」「風従花裏過来香」「鶏寒上樹 鴨寒下水」「看々臘月尽」「明珠在掌」「誰家無明月清風」等

 こうした「禅語」の中に「漁夫生涯竹一竿」というものがあります。「漁夫は竹の竿一本あれば、生涯生きてゆける」が最も簡単な意味ですが、私が千宗室著『昨日のように今日があり』(2006年発行)を見た時、彼はこの本の冒頭に「漁夫生涯竹一竿」の掛け軸の書を置き、「はじめに」でこの禅語の解説から始めています。

******************************:
 竿が一本あればいい。
 それも手に馴染んだ、ひと振りの竿さえあれば。
 禅語イコール難解、そんな声が聞こえてきそうだが、とりたてて構えることはない。
 なぜなら、禅語は樹木のようなもの。

 今日まで生きてきたその人の体験すべてを幹とするならば、その語意は枝葉が生ずる様に伸びていく。だから、その語と相対して自分が何を感じるか、それに耳をすませればいい。
 といっても,何でもありなのではない。考えなくてよいのではない。

 さて、ということでこの七字。「漁夫生涯竹一竿」
 これは「山僧活計茶三畝」というに続くものである。修行してる僧には三畝程の茶畑。漁夫にはお気にいりの釣り竿一本。それさえあれば、心豊かに暮らせるのだという教えである。
 道を一筋に見つめること、脇目もふらずその道一筋を辿れば、巡ってくる毎日に素直に向き合えるということ。私は、この語をこのように解釈している。

 人生とは日々、多くの欲望や不平不満を、さながら重ね着をするようにまとい続ける“緩慢な自殺行為”であるとも言える。しかし、その中で自分の分際というものを冷静に見つめる足かな目を持てば、とりあえず今不要なものは脱ぎ捨てることができるのでないか。

 生きることに欲望はつきものだ。見栄もつきものだ。すべてを捨て去ってしまえば、それは死んだ人間も同然だ。だが、袖を通している着物の上にまた別の着物を羽織ろうとする自分。袖を通さなくてもいい着物を何枚も重ね着している己の姿には、誰もが気づかなくてはなたない。

 私の頭の中にはいつも小さな庵が浮かんでくる。自分ひとりがすっぽり入る、目には見えない庵である。何か迷いそうになったらスットそこに入る。静かに息を整える。
 季節に気づく。
 流れる時間に気づく。
 せわしない日々に紛れていたものがゆっくりと立ち現われ、己の心を解き放つ。自分の中に佇むそんな庵こそ、私にとって“赳一本”なのである。

*******************************
 様々な人に様々な竿一本。竿一本を基礎に、広がる人生がある、

コメント(3)

私も、自然体で余生を行きたいのですが、医者から、強い薬を飲まされて、とにかく生きている
という実情です。情けない!
>>[1]

内服薬・・・おなじです!!
すーちゃんさんは情けの豊かなかたですよ。
>>[2]

櫻井さん、そういわれると、恥ずかしいです。

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