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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想㊿

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:利休を描いた海音寺潮五郎著「茶道太閤記」を憲法学者樋口陽一氏が礼賛
2021-05-31


樋口 陽一氏は憲法の第一人者である。昔「ダンディ」という形容詞があったが、仏製の薄いピンクのジャケットを上品に着こなす。2014年「国民安保法制懇」が発足し、樋口氏がその中核で、メンバーの私も会合でしばしば樋口氏の発言を聞く。彼が2017年「ただの大名衆VS.芸道に生きる者」という随筆を書かれているので紹介する。
●海音寺潮五郎の「茶道太閤記」。両大戦間期「大衆文学」のこの傑作は、戦後「純文学」分野の野上弥生子の名作に先んじて、「秀吉と利休」を対等の人格として造形しました。小説は1940年7月から12月まで東京日日新聞(毎日新聞の前身)紙上に連載されたのですが、社からの強い求めで年内完結を余儀なくされましたログイン前の続き。対中戦争開戦から3年余、真珠湾攻撃1年前という「時局」がそれを強いたのです。
 《あの人々は、せんずるところ、ただの大名衆。百年後、二百年後、三百年後、名前の残る人々ではござらぬ。が、拙者は芸道に生きる者、(中略)一言一行、かりそめなことは出来ぬ身でござる。何と申されようと無駄》
 利休の娘を所望する秀吉からの使者が、前田利家や蒲生氏郷も喜んで応じたのでは……、と説得に来たのをきっぱり断る言葉です。この箇所の字づらだけでも、「非常時」のさなか、大胆な言わせようではありませんか。「大名衆」と「芸道に生きる者」の対称から、京大事件、天皇機関説事件、矢内原事件と続く受難のことを知る読者なら、理不尽な権力とペンの抵抗という対称を読み取っていたでしょう。
 しかもその上に、です。利休の自裁で終わる物語は、家康の頼みをあえて引き取って外征を諫止(かんし)しようとし、秀吉の激怒を買う場面で緊張の極に達します。大名たちは「異国征伐」を「よくないと思っているくせに、怒りに触れることを恐れて諫言(かんげん)を奉り得ないでいる」「武勇を建前とする大名衆のえせぬことを、この老いぼれの茶坊主がして行こうぞ」。――20世紀の「異国征伐」が始まって既に3年、更なる「征伐」へと向かう臨戦態勢の中で、驚くべき場面設定と言うほかありません。
 秀吉の権力は有無を言わせぬものでした。日本帝国の権力は「皇軍」を名乗る人々の手に帰していました。21世紀初めの日本は幸いにも、国民の選挙を通して信任を与えられた人たちが権力に着く、という仕組みを持っています。その違いの意味は大きい。一方で、およそ権力によって曲げることの出来ない「芸道」があることは変わらないはずです。表から見えなくとも一人ひとりにとって「これ」と決めた「道」があることに、おのずと思いは及びます。
 「大衆文学」恐るべし。(憲法学者)●
 海音寺潮五郎の「茶道太閤記」は1940年に書かれた。日本が真珠湾攻撃という無謀な戦を興そうとする時代の潮流に、歴史を語りつつ、警告・抗議の書であったことは間違いない。“「大衆文学」恐るべし”は沈黙していた当時の多くの知識階級への糾弾の言でもある。樋口氏自身の随筆も、貴重な憲法がないがしろにされ、日本社会で「反知性主義」が政治の分野で確立されてきた時代を背景にしているからこそ価値がある。

コメント(1)

反知性権力との戦いは、まさしく、現代でも同じですね。
権力は、いつの時代でも暴走する。
今も、国民あるいは、知恵者が、菅の暴走を止められないのか?

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