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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想 街宣右翼、日本武尊、大和魂㊿

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春はベランダ越しに様々な小鳥の声がする。姿が見えないのでどんな鳥かは分からない。時折「「ルルルル」「ピーピー」そして「ホーケキョケキョ」の鳴き声も聞こえてくる。特に日曜日は自動車の騒音も少なく、小鳥の声が響き渡る。
 そうした中、突然大音響のがなり声が拡声器から響いてくる。乱暴な言葉使い、乱暴な声。不思議なことに、彼ら街宣右翼は自分達が最も正当な日本人だと思ってがなりたててる気だがこうした街宣右翼位、日本の伝統と逸脱したグループは存在しない。
 アイヴァン・モリスは著書『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の中で、「日本における英雄像の長い系譜をたぐると、浮かび出てくる哀感をたたえた孤高の英雄の原型は、日本武尊の生涯である」、「皇子の「たけく荒き情」にも魅力があろう。彼が次々に掌中にする数々の華々しい軍事的成功にも魅力があろう」「伝説時代の偉大な英雄、ロマンチックな英雄としての日本武尊の地位が動かなくなるには、今ひとつの要素が必要である。それはほかならぬ詩歌の才である。日本文化のいずれの時代にも共通することであるが、感受性のある男女にとって不可欠の素養が詩歌を作る才能である。西洋の傾向を見ると、典型的武人の関心の中心は酒と女と殺戮に置かれている。日本では武人の関心の中に詩歌が入ってくる。
 次の数行は、皇子が最後の病いに苦しみ憔悴しているさなかに作られたといわれている。
 “尾張に直に向へる一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣着せましを 太刀佩けましを”」。
 更に言えば、「大和魂」という言葉は第二次世界大戦前、及び戦中に盛んに使われ、「軍国主義」と極めて密接な関係があるとみなされている。では、「大和魂」が現存する文献で最も古いとされているのは何であろうか。『源氏物語』第二十一帖 「乙女」に、「なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ(訳一例:やはり学問が第一でございます。日本魂をいかに活いかせて使うかは学問の根底があってできることと存じます)があある。私達は「大和魂」を武人社会と一体にしているが、それは鎌倉時代以降の現象である。
 日本文化が反映し、日本の礎を築いたのは奈良時代であるが、フォスコ・マライーニというイタリア人(一九一二年生まれ。一九三八年来日。一九四一年に京都帝国大学の教員)は奈良時代について次のように記述している。
「(奈良の)宮殿と言っても、中世の要塞から発達した西洋の宮殿の厳めしさとは大きく異なる。東洋において宮殿は常に「軍事的要素」の対極をなすもの、つまり文民的で上品な建築だった。(中略)言うなれば、自然に従い、これを迎え入れ、絶妙な調和を保ちながら、そこに人間味を加えた建築であった。」
 日本は「武」だけの国だけではない。仮に「武」が日本史の中心になった時があったとしても、「文」なき「武」ではない。右翼の方々が称える西郷隆盛にしても、辞世の句は「ふたつなき 道にこの身を 捨て小舟 波立たばとて 風吹かばとて」である。
 言葉の美しさを求めるのが日本の伝統である。それと最も縁遠い人々が「自分達こそ日本人」とがなりたてる。彼らはどんな詩歌を読んできているだろうか。

コメント(2)

櫻井よしこさんに、聞かせたい。この孫崎さんの言葉を!
>>[1]

櫻井よしこさんを私は一冊もまだ読んでいませんが、テレビ番組でも聞くのがしんどいです。

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