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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】非正規社員の賃金が低いのは、日本だけ!

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空は汚れている、衛生観念が低く公衆道徳に欠ける、という思い込みだけが


視標 「専制主義一辺倒」 貧弱な中国像  北京大学教員 馬場公彦

2、3年前の中国に関するメディアの話題と言えばニセモノの横行、微小粒子状物質「PM2・5」による大気汚染、中国人旅行客のマナーの悪さだった。事後どうなったかの検証記事は乏しい。その結果、北京の空は汚れている、中国人は衛生観念が低く公衆道徳に欠ける、という思い込みだけが、多くの日本人の脳裏に沈殿している。

さらにニセモノについて言うと、確かに中国の出版業界も海賊版が後を絶たない実態に頭を痛めている。だが、著作権侵害については6月1日から施行される著作権法第3次改正で賠償額が大幅に引き上げられることになり、法務担当者の期待を集めている。

この背景に自国オリジナルの知的財産を開発して保護し、積極的に海外展開を図ろうという国策がある。これまでは外国の先進的成果を輸入することに主眼が置かれてきたが、知的財産権保護の国際ルールに合わせながら、いよいよ輸出戦略へとかじを切ろうとしているのである。
今年1月1日から施行された民法典においても「民事主体は法によって知財権を保有する」
(第123条)とされている。

この民法典は中華人民共和国建国以来初めて施行されるもので、1260条からなる、現行の中国法最大の法典である。中国民法典には独立した一編として生命権、肖像権、プライバシー権など9種の権利からなる人格権の条項が設けられ、高度情報通信社会における人身権と財産権を保障するための制度設計が施されている。

意外なことに民法典には、「社会主義」の字句は二つの条にしかない。また、民事紛争を処理する際は法律、法律に規定がない場合は公序良俗に反しない習慣に従う(第10条)とされ、国策やイデオロギーは根拠として立てられていない。確かに中国は三権分立ではないが、民法典には行政と民事の境界線が明確に引かれているのである。

     ◆      ◆

中国は絶対貧困層の撲滅を完遂したとしている。これからは金持ちだけでなく国民全員が豊かになりたいし、獲得した幸福感を失いたくない。誰もが私権を保護、保障してくれる法的うし後ろ盾を求めている。民法典には民事空間において侵されることのない人格権と、民生を求める人々の願いが集約されている。

この民法典や改正著作権法の施行について、日本でも報道は極めて乏しい。かくして法治ではなく人治の国だから人民はイデオロギーに縛られて私権は厳しく制限されている、監視社会だからプライバシー保護には無頓着、という思い込みだけが更新されないまま継承されていく。

新型コロナウイルスの封じ込めについてもそうである。「中国では人々は監視されて行動の自由がないから成功した」で済ませている。防疫システムの中で実際に人々はどう行動したのか、消毒から感染地区の封鎖と支援、健康異常がないことを証明する携帯アプリの義務化、マスク着用、ワクチン接種、果てはゴミの分別回収に至る衛生管理の改善について、委細に見ようとはしない。

いま日本からみた中国の上空には「専制主義一辺倒」の厚い雲が覆っている。その中国像は貧弱でモノトーンである。そこに生きる人々の生活感覚とひどくずれてしまっている。今求められるのは、視界をふさぐ厚い雲の下で営まれる人々の暮らし、その細部までを見つめるまなざしだ。

ばば・きみひこ 1958年長野県伊那市生まれ。日本の出版社で35年間勤務した後、中国に渡り現職。著書に「戦後日本人の中国像」など。

【信濃毎日新聞 2021年5月21日】


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非正規社員の賃金が低いのは、日本だけ!


そもそも一体なぜ、「非正規社員の賃金は正社員よりも低くて当たり前」などという常識が、日本ではまかり通るようになってしまったのだろう。欧州諸国では、「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」が常識なのだ。

フランスでは派遣労働者や有期労働者は、「企業が必要な時だけ雇用できる」というメリットを企業に与えているとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり、正社員より1割程度高い賃金が支払われている。イタリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでも、非正規労働者の賃金の方が正社員よりも高い。

これだけグローバル化だの何だのと言うのであれば、「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」という世界の常識に、日本も倣うべきなんじゃないだろうか。

世界の常識の背後には、国際労働機関(ILO)が掲げている、「同一価値労働・同一賃金」の原則がある。

「同一価値労働・同一賃金」の考えに基づけば、「解雇によるリスク」を補うには、非正規労働者の賃金は高くなって当然なのだ。


https://bit.ly/3yApUjh
非正規社員の賃金が低いのは、日本だけ!


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私の前にある鍋とお釜と燃える火とそれはながい間 私たち女のまえに いつも置かれてあつたもの、自分の力にかなう ほどよい大きさの鍋や お米がぷつぷつとふくらんで 光り出すに都合のいい釜や 却初からうけつがれた火のほてりの前には 母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を これらの器物にそそぎ入れたことだろう、ある時はそれが赤いにんじんだったり くろい昆布だったり たたきつぶされた魚だったり台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ 用意のまえにはいつも幾たりかの あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて どうして女がいそいそと炊事など繰り返せたろう? それはたゆみないいつくしみ 無意識までに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた 女の役目であったのは 不幸なことだと思われない、そのために知識や、世間での地位が たちおくれたとしても おそくはない 私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で お芋や、肉を料理するように 深い思いをこめて 政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく 全部が 人間のために供せられるように 全部が愛情の対象であつて励むように。

石垣りん


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魏晋玄学

とりわけ「魏晋の風格」と「禅宗の境界」の章が精彩に富む。政治が乱れ諸国分立する魏晋時代には、儒教の権威が崩れ、荘子の自由と真情が尊ばれ、超俗と洒脱が好まれ、俗社会よりも自然が、人格よりも人情が重んじられ、魏晋玄学が生まれた。インド起源の仏教は複雑な哲理を備えた個人的修養術であったが、中国に伝来すると、魏晋玄学の味付けにより禅宗のシンプルで即時の悟りへ、浄土宗の大衆得度へと中国化し定着した。


https://bit.ly/3bPTeZk


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「医師たちは真剣に受け止めず、病院も警戒せず、接触者の追跡もあまりしなかった。これで十分だといった感覚が間違いなくあった」

「ごく少数の人がルールを破っただけで拡大につながることを、今回のことは見せつけている」

「水際対策を重視し過ぎ、国内での感染拡大防止対策を十分取らない戦略のリスクを示している」

「人々がいら立つのは理解できる。シンガポール国民の大半はとてもまじめに制限に従ってきた」

「だが私たちは、国境を完全に封鎖できる中国とは違う。私たちの国としての評判や経済は、貿易のハブ(中継地)としての地位と関係している」


https://bbc.in/3bOArxz
台湾とシンガポールで感染急増 何がまずかったのか


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それは「たった一人の反乱」から始まった、、、

徳田氏は、「白い巨塔」を飛び出した医師たちや「七人衆」と呼ばれた側近たちと突き進む。医師会をはじめとして、すべての既得権益者が敵だった。そして「敵」を打破するために徳田氏は政界に進出。選挙区の奄美群島区は選挙のたびに現ナマが飛び交う選挙区として有名になった。

しかし、「トッパもん」の怒涛の進軍は外だけでなく内にも強烈な軋轢を生んだ。たとえば、冒頭の暴力団のシーンに現れた盛岡正博医師はナンバー2とみなされ、側近中の側近だったが、後に「裏切者」の烙印を押され追放される。盛岡医師はその後、農村医療で有名な若月俊一医師が率いる長野の佐久総合病院に移る。周囲から「殿さま」とみられてきた若月院長は50年も佐久総合病院を率いてきたが、熱血の塊のような徳田氏とはまったく違うタイプ。盛岡医師は若月院長に聞いた。「なぜ先生は長く殿さまを続けられたのですか」。これに対して若月院長は「それは愛だな」と短く答える。本書でも印象的なシーンのひとつだ。

眼前に立ちはだかる敵を次々となぎ倒してきた徳田氏は、ついに難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症する。そして、長男に徳洲会の後を譲ろうとすると内紛が起き、いわゆる「徳洲会事件」をきっかけに創業者一族はグループの要職から追放される。

本書はノンフィクションであり、小説ではない。息を飲むような「クライマックス」がこれでもか、これでもかと読み手を襲う巨大ドラマを見るような作品だ。


https://bit.ly/3vfOsfr
『ゴッドドクター徳田虎雄』 日本最大級の病院組織を作った男の波乱万丈


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予は常に諸子の先頭に在り

「硫黄島は、はじめから絶望的な戦場だった」

「硫黄島に川は一本もなく、井戸を掘っても、出てくるのは硫黄分の多い塩水である。栗林を含む二万余の将兵の飲み水は、雨水を貯えてこれを用いるしかなかった。生命を支えるギリギリの量であるその水さえ汚染されており、兵士たちはパラチフスや下痢、栄養失調で次々に倒れた」


https://bit.ly/3vdpn4S
【書評】優しさと気迫と軍才と:梯久美子著『散るぞ悲しき』
第二次大戦で硫黄島を指揮した栗林忠道中将。クリント・イ―ストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』でも描かれたその生きざま、、


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現在の韓国ではハングルを定義した「訓民正音」は世宗一人の著作物、との認識が有力であるが、同書の“後序”で鄭麟趾が名前を挙げている集賢殿の学士たち集団(申叔舟もその中に含まれている)の作業であるとの見方もある。「訓民正音」と対になっている「東国正韻」の序は申叔舟が書いており、作業の中心的人物であったことが窺える。

また1471年完成の「海東諸国紀」-日本国俗の説明のなかで「男女となく皆その国字を習う。国字はかたかなと号す」と説明している点が注目される。 彼は世祖のときに始まり成宗の代で完成した「経国大典」の編纂にもかかわっていた。彼は晩年に成宗に遺言を問われ「願わくば日本と失和してはなりません」と答えた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/申叔舟


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日本ヘリコバクター学会はこのほど、血清抗ヘリコバクター・ピロリ(HP)抗体検査に関して、学会ホームページで注意喚起を行った。「血清抗体法のみで除菌判定を行うのは適切ではない」とし、実臨床で誤った使用例が多く報告されていることから、適正な検査を実施するよう呼びかけている。同学会は、「血清抗体価は、現在のピロリ菌感染状態を反映するものではない」「除菌治療前には、血清抗体法だけではなく現感染診断に適した検査を実施し、陽性であることを確認する」「血清抗体価測定キットは同じではなく、それぞれ特性がある」と


https://bit.ly/3f9baQK
ピロリ菌抗体検査・診断で学会注意喚起


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特高と入管 朝日新聞2021/5/22天声人語

戦前の特別高等警察、略して特高は反体制運動を弾圧した。治安維持の名の下、捕らえた人の扱いは熾烈(しれつ)を極めた。プロレタリア作家小林多喜二を拷問して死に至らしめたのは有名な話だ▼特高が担った役割の一つが外国人、それに朝鮮など植民地の人たちを扱う入国管理だった。戦後、その特高関係者の少なからぬ部分が公職追放を免れ、様々な形で入管の仕事に携わったと国際法学者の大沼保昭氏が指摘している(『単一民族社会の神話を超えて』)▼もしやかつての体質を引きずっているのではないか。そう思わせる現代の入管である。名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33
)が死亡した衝撃はあまりに大きい▼支援団体によると食事も歩行もできないほど衰弱していたという。一時的に収容を停止する仮放免を申請したが認められなかった。あこがれの日本に留学したものの学費が払えなくなり、不法残留に。最後は命まで奪われた▼先日の紙面によると1997年以降、収容中に少なくとも21人が亡くなっており、うち5人が自殺という。劣悪な扱いの背景には「巨大な権限を持つ入管の不透明性」があると、元入管職員が指摘していた。日本の中に人権の空白地帯があり、放置されてきた▼過酷な環境に置き、日本にいることを諦めさせる。そんな狙いもあるかと疑いたくなる入管行政である。求められるのはむしろ、
ひとりの人間として尊重するための法制度だ。


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私は、21歳で、親不孝にも某大を中退、しばらく茨城県某市のキャバレーでボーイをしたり、ピアノを弾いたりしていた時期があり、そのキャバレーはオーナーが在日朝鮮人、女性たちが沖縄・奄美出身で、放浪のバンドメンバーたちも含め、(サンフランシスコ講和条約による)「平和条約国籍離脱者」と呼ばれる(台湾「省」や済州島出身者を含む)「無国籍者」たちと、皆で「日本語で」語りあっておりました

83年に某大入学、関西では「ウトロ」、松ノ木町40番地、ゼロ番地、東九条マダン=川と川に挟まれ「堤防」と呼ばれた映画「パッチギ」の舞台、東七条・崇仁地区、また関西各地のホームレスの人々と邂逅

韓国やフィリピンを訪問した際には、独裁政府による一方的な居住地取り壊し攻撃に抗し、団結して自らの居住福祉を闘う人々に出会いました

一方、私自身は「一ヶ月の寮費100円」で居住できる某大・・寮に居住、学生の「Autonomy=自治」を以って、日本文部省=某大当局から発せられた廃寮命令に「拮抗」「対峙」いたしておりました

そんななか、ソウルやマニラでは、人々がアリンスキー運動論を拠り所にして居住福祉を構築していることを学び、(米国シカゴの)SDAのことが、ぜんぜん日本には伝わっていないよなぁ、と感じておりました次第

当地は、本郷の某学部から遠く、前橋(群大某学部)と松本(信大某学部)からも遠く、長野市の某会からも遠く、独自の「Autonomy」=「自分で自分に自身の法を与える者」の気風を有しております

以下は、ホルヘ・アンソレーナ神父様の著書からの抜粋とのこと(1992年)

SDAはその「後」ヒラリー、オバマ、サンダース、3名の共通師匠として知られるようになりました

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アジアでは1960年代後半から1970年代はスクオッター(所謂、『不法占拠』)に対する強制撤去が頻繁に行われた時期である。これに対して当初はスラム等貧困層の人々は、大きな組織化をどのように実践したらよいか暗中模索の状態であった。そこで、アメリカでアリンスキーと共に活動をしていたヘルベルト・ホワイトが、このアリンスキーの方法論を伝えるために招きを受けて、1968年韓国、1970年フィリピンへ行った、、、

アジアのスラム・スクオッター・ホームレス等の貧困者運動の最近の展開を見ていると、運動のやり方や性格がかなり変化しているように思う。70年代は上述したコミュニティーを組織化して行政等と対峙していく対立型運動が中心的であった。外部からコミュニティー・オーガナイザーを現場に送りこみ、そこで組織化を行い対決を通してコミュニティーの強化をはかるアリンスキーの方式は大きな影響力を持っていたのだと思う。そして現在もなお、強制排除がしばしば行われており、このような運動は今なお必要性を持っている。  

http://pweb.cc.sophia.ac.jp/shimokawa/poverty/co.htm  
アジアにおけるコミュニティー・オーガナイズ(住民組織化)運動の流れアンソレーナ他(1992)『スラムの環境・開発・生活誌』明石書店(第1章)より

コメント(1)

私の青年時代、非正規や派遣で働く人は、特殊技能の賃金の高い人たちでした。
通訳だとか、資格のある弁護士、技術者などをはじめ、大工、左官なども、日当が高く、
我々、大企業の初任給よりず〜と高所得者でした。
それが、今では、非正規といえば、低賃金の代表。おかしな時代になりました。
すべて、派遣や非正規を、広範囲に認める法律のせいですね。

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