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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想㊷ 松平定信 『花月草紙』より。

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「志五つにして、智の五つより巳下なるものは、おほくやぶれをとるとかや。」
2021-04-11 10:323


 私は高校で日本史を習いました。松平定信への記述は当時とあまり変わっているようには思いません。
「田沼意次がしりぞいたよく1797(天明7)年、江戸・大坂など全国30余りの主要都市で打ちこわしがあいついでおこった。なかでも江戸の打ちこわしは激しいものがあったので、市中の米屋などが多数おそわれ、幕府に強い衝撃をあたえた。こうしたなかで、11代将軍徳川家斉の補佐として老中に就任したのが、白河藩主松平定信である。
 定信は祖父吉宗の政治を理想とし幕政の改革に着手した(総略)。定信の改革を寛政の改革と呼ぶ」。」
 だが、不思議と頭に残っているのは当時の風刺です。
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)といふて夜もねられず」
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」
 最近偶然、松平定信著『花月草紙』を読みました。記述の鋭さにびっくりしました。
「志と智のこと。こころざし五つありて、智の七つより巳上のものは、かならずいさほし(勲)をなす。志五つありて、智の五つむつあるものは、いさほしなすことあれど、おほくやぶれをとるとぞ。志五つにして、智の五つより巳下なるものは、おほくやぶれをとるとかや。かならず智おとりて、志厚きものは、時をもしらず、ほどもわきまえず、人をもしらで、わればかりゆるして、わが智のたらざるをしらざるより、かかるものよといひしとや」
 凄い評伝だと思います。第二次大突入までの歴史を見ると、「志」の圧倒的重視で、「智」の軽視であったのであろうと思います。
 『花月草紙』ですから、当然、風流な分野についても述べています。
「やんごとなき人ありけり。茶たつことを好みて、かの宗易が流れをくみて、かれがもたるうつわなどおほくとりあつめ、宗佐よりいまの代々のつくらせたる什器ようのものまでも、かくることなくそなへしなどと、みづからおひ給ひてけり。ある時、宗易が像をかべにかけて、「かくとうとびむるは、われにまさるものあらん」などとかたはらのものにもあさあさしくいひて、茶ひき居給ひしが、かの像より煙のごと、きりのたつやふにみえしが、宗易来りて「われはもとよりいやしきものなるが、物にかかわらず、心かたき気象ありければ、太閤のと用ひ給ひてけり。茶たつることは、一時の心やりにて、なしてもありなん、なさでもあるべきものなれど、そのころいともてあそび草となりて、さまざま心にまかせ、つゐには法もなく禮もなく、みだれもてゆくべきと思へば、ささやかなる道ながら、式をたて法を定めて人にもおしへものしたるを、いまはいとおもき事のように心得て、その道知らぬ者、茶室に入れば、かほあかめて一言も出し得ざるように、人の心にそみわたりしも、いと愚かなることと悲しみ思ふ。・・・」と、はたとにらむと思へば、ねぶりもさめにけりとぞ」
 規則はある状況下に成立しますが、規則を守ることが重要だとすると、いつの間にか当初の精神と違う方向に行くことを知っての定信に感心した次第です、

コメント(2)

時は変われぞ、今にも通底しることは、あるものですね。やはり、真理は一つでしょうか。
>>[1]

このごろ、現代と昔とどちらがよりよいか、一概にはいえないと思っていました。
賛成です。

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