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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想㉘ ピカソの絵画「朝鮮の虐殺」

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2020-12-21 07:3610


 20世紀最大の画家は多分ピカソでしょう。誰もがピカソの「青の時代」の絵画や、「キュービズム」の絵画を見たことがあると思います。そして戦争を描いた「ゲルニカ」も高い評価を得ています。「ゲルニカ」はスペインの内戦時、1937年4月26日、ドイツ空軍がゲルニカに都市無差別爆撃を行ったことを扱っています。この絵は一時期米国に避難し、1937年12月、米国で『ゲルニカ展』が企画され、オープニングにはエレノア・ルーズヴェルト大統領夫人やジョージア・オキーフ(画家)などが出席し、後スペインに返還されるまで、ニューヨーク近代美術館に保管されました。
 しかし、ピカソが「朝鮮戦争」を描いたことを知っている人はほとんどいません。
 ピカソは『朝鮮の虐殺』と呼ぶ絵を描きます。それは、裸の女子供の一団に命令を受けて銃火を浴びせるロボットまがいの一団を描きました。ピカソの「朝鮮戦争」の描き方は、画面の右半分が攻撃側、左半分を被害者側に分けた描き方をして、ゴヤの「1808年5月3日」やマネの『皇帝マキシミリアンの処刑』の描き方に類似しています。
 世界の絵画史の中で、ピカソはゴヤやマネに十分匹敵する画家です。ゴヤの「1808年5月3日」やマネの『皇帝マキシミリアンの処刑』が高い評価を受けているにもかかわらず、なぜピカソの「朝鮮の虐殺」は知られていないのでしょう。この絵は1951年1月18日に完成され、5月のサロン展に出品されています。
 「ゲルニカ」と『朝鮮の虐殺』を比較すれば、『朝鮮の虐殺』の方がはるかに解りやすい絵画になっています。
 ではどうして『朝鮮の虐殺』は世の中に知られていないのでしょうか。
 絵画が描かれた背景を考えれば、「ゲルニカ」は暗にドイツ軍を非難しています。同様に『朝鮮の虐殺』は米国軍を非難しているのです。朝鮮戦争で、北朝鮮市民の虐殺の話は二つの報道があります。一つは「信川虐殺事件(1950年、北朝鮮の黄海南道信川郡において、国連軍の占領下(1950年10月17日から12月7日まで52日間)で、住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺されたとされる事件)」、今一つは国連軍の生物兵器の使用です。
 ピカソは、戦争と平和を主題とする別の作品も描いています。1951年から1952年にかけ、南フランス・コートダジュールにあるヴァロリスの礼拝堂に「戦争」と「平和」の壁画を完成させます。これも世にあまり知られていません。この壁画もまた、批判をうけ一時一般公開されませんでした。
 私達は、旧ソ連で芸術が弾圧されたことを知っています。ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ハチャトリアン等の作曲家が批判され、詩人アフマートヴァが批判され、パステルナーク著『ドクトル・ジバゴ』は1958年ノーベル文学賞を受賞することになったが、ソ連当局はパステルナークに辞退することを求め、パステルナークは辞退を表明しました。
 だが、特定の政治的内容を含む芸術作品の抑圧は何もソ連だけに限りません。
 ピカソの『朝鮮の虐殺』を知らない我々は、当然「信川虐殺事件」も知りません。そのことは我々の隣で起こった朝鮮戦争について我々は十分知らないことを示しています。

コメント(2)

なるほどね。戦争、そしてその悲惨さについて、私も知らないことが多いです。
>>[1]

歴史の闇にたくさんの悲劇も残酷な事実もあるのでしょうね。

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