孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】随想⑳　安楽死 2020-10-26 08:282

　私は１９４３年生まれ。多分最もテレビに影響されてきた世代だろう。中学時代にテレビが家庭に普及し始め、紅白歌合戦、巨人戦、プロレスを夢中で見、夕食時には「てなもんや三度笠」を見ていた。随分多くのテレビ番組を見た。テレビ番組を見て、自分の考えを１８０度変えた経験が一度ある。BBCが行った安楽死についての番組である。

　１９６６年夏から６８年夏まで私はロシア語を学ぶため英国にいた。当時BBCは面白い番組を持っていた。争点が分かれる案件を裁判形式で討議する。一方が検察、一方が弁護側に立ち、最後に聴衆が判決を下すという仕組みである。そして安楽死が取り上げられた。私はそれまで、「安楽死は認めてもいいではないか」と思っていた。検察側（多分）が「安楽死は認めていい」と主張した。「人生の最後位自分で決めさせていいのではないか」という主張だった。私の考えを変えたのは一組の家族だった。

　一人の中年女性、夫、そして三名の子供が出た。中年女性には手足がなかった。達磨さんの様である。生まれてから今日まで、多くの苦難があった。結婚する際には夫側から強い反対があった。「こんな苦難を得るなら死の方が楽ではないか」という人もいた。彼女は「生まれてきて本当に感謝しています」と述べた。人間の最大の幸せは生を享けることである。生きることが出来るなら、それは何物にも代えがたい。夫が「妻に感謝してます」と述べた。子供たちは「母がいるから私達がいる。母が生を享けたことに感謝したい」と述べた。これを聞いて私の考えは変わり始めた。そして、最後に病院の関係者が証人台に立った。

問：「患者を安楽死させてほしいという依頼がありますか」、答え「沢山あります」
問：「本人から安楽死させてくれという依頼がありますか」、答え「ほとんどありません」
問：「では誰が安楽死させてくれというのですか」、答え「家族です」
　この答えが出た時、結審を行うべき役の視聴者達からどよめきが聞こえた。

　重病患者の医療負担は大きい。今病床にいる患者が回復することはまずない。死亡するのは一週間先か、一か月先か、数か月先だろう。その間に高額の医療費がかさむ。「本人が苦しそうですから、先生、もう死なせてあげてもいいじゃないですか」と言われる。でも医者は多くの場合それは医療費負担と関係していることを知っている。

　番組が終わりに近づいた。判決を出す役の視聴者は百人程いたのだろう。ほぼ全ての人は「安楽死を認めるべきでない」との結論を出した。

　人間は最後まで生きようと頑張る。安楽死が認められない今日、最後まで生きようと戦う権利を全ての人が持っている。

　だが安楽死が社会制度として認められたら、個人は最後まで生きるのに全力を尽くせるか。自分が安楽死を選択すれば、家族は財政的に助かる。生きようと全力を尽くすことが悪となる。

　小さい頃、私の育った田舎では、老人は「私ゃもう一日も早うあの世に行きたいんや」というのをしばしば聞いた。そしてその台詞は決して本心から出ているのでないことを感じていた。生きることで家族に負担をかけているという認識がそう喋らせていたと思う。