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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 はじめにーーSDGsは「大衆のアヘン」である!❷

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ソ連崩壊後のグローバル化と情報技術の発展によって、世界は「フラット化」し、 すべての人々はつながっていく、と(トーマス・)フリードマンは長らく主張してきた。 そこに「グリーン革命」が新たに加わることによって、このフラットな世界が真に持続可能な ものになるというわけだ。 フリードマンの発言からもわかるように、気候ケインズ主義が与えてくれるのは、気候変動を好機 にして、これまで以上の経済成長を続けることができるかもしれないという「希望」である。 別の言い方をすれば、気候ケインズ主義に依拠した「緑の経済成長」こそが、 資本主義が「平常運転」を続けるための「最後の砦」になっているのである。
▼ SDGsーー無限の成長は可能なのか? その「最後の砦」の旗印になっているのが「SDGs」だ。 国連、世界銀行、IMF(国際通貨基金)、OECD(経済協力開発機構)などの国際機関も SDGsを掲げ、「緑の経済成長」を熱心に追求しようとしている、、、 IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から 2億8000万台にまで伸びるという。 ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ、、、 ジェレミー・リフキンが称揚するようなIoT(モノのインターネット)を使った情報経済の発達も 問題解決にはならない。 現代資本主義は、精神労働の割合を高め、脱物質化した経済システムを作り出すように見える かもしれない。 だが、現実には、コンピューターやサーバーの製造や稼働に膨大なエネルギーと資源が消費される。 クラウド化もそうだ。 ICTに依拠した「認知資本主義」も、脱物質化やデカップリングからは程遠い。 要するに、これも「神話」なのである。
結局、フリードマンもリフキンも、こうした疑問に対する説得力のある回答を与えていない。 都合の悪い事実については、完全に沈黙し、メリットばかりを吹聴しているのだ。 【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第2章 気候ケインズ主義の限界 p60、p90、p97】
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ラワース(Kate Raworth)によれば、、、食料についていえば、今の総供給カロリーを 1%増やすだけで、8億5000万人の飢餓を救うことができる。 現在、電力が利用できないでいる人口は13億人いるといわれているが、彼らに電力を 供給しても、二酸化炭素排出量は1%増加するだけだ。 そして1日1・25ドル以下で暮らす14億人の貧困を終わらせるには、世界の所得の わずか0・2%を再分配すれば足りるというのである、、、 私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。
【人新世の「資本論」 第3章 資本主義システムでの脱成長を撃つ p106、p118】 
注: とはいえ、1日1・25ドルという貧困ラインの数値が低すぎるという意見もあるだろう。 ラワースの挙げている数値は2012年のものであるが、その後、世界銀行は貧困ラインを 1日1・9ドルに改訂した。 もちろん、それでも足りずに、1日10ドルにしないと意味がないという批判もある、、、 https://www.youtube.com/watch?v=Rhcrbcg8HBw     A healthy economy should be designed to thrive, not grow Kate Raworth TED ケイト・ラワース講演 16分 日本語字幕つき
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共同体では、同じような生産を伝統に基づいて繰り返している。 つまり、経済成長をしない循環型の定常型経済であった。 共同体は、単に「未開」で、「無知」だったから、生産力が低く、貧困に喘いでいたわけではない。 共同体においては、もっと長く働いたり、もっと生産力を上げたりできる場合にも、 あえてそうしなかったのである。 権力関係が発生し、支配・従属関係へと転化することを防ごうとしていたのだ。
▼ 脱成長へ向かうマルクス ここでは、経済成長しない共同体社会の安定性が、持続可能で、平等な人間と自然の物質代謝を 組織していた、というマルクスの認識が決定的に重要になる。 1850年代初頭のマルクスが、インドの共同体が定常型経済であることを理由に、 受動的で、静的で、「まったく歴史をもたない」と切り捨てていたことについては、すでに触れた。 この発言には、生産力至上主義とヨーロッパ中心主義が凝縮されている。 ところが、共同体社会の定常性こそが、植民地主義支配に対しての抵抗力となり、 さらには、資本の力を打ち破って、コミュニズムを打ち立てることさえも可能にすると、 最晩年のマルクスは主張しているのである。 ここには、明らかに大きな転換がある。 共同体は能動的に抵抗し、コミュニズムという歴史を作る力を有しているというのだ。 ここには1850年代とはまったく違う、定常型経済についての肯定的な認識が存在している。 このような共同体社会がもつポテンシャルの認識を可能にしたのが、晩年のエコロジー研究なのだ。 つまり、持続可能性へのマルクスの関心が、50年代とはまったく異なった共同体の見方 を可能にしたのである。 一見バラバラに見えた晩年のエコロジー研究と共同体研究は、ここでは、 はっきりとつながっている。 こうして、ついに晩年の研究が、真に自由で平等な、西欧近代社会の将来社会を構想するための ひとつの理論的基盤として立ち上がってくる、、、 そして、14年にも及ぶ研究の結果、定常型経済に依拠した持続可能性と平等が、資本への抵抗 になり、将来社会の基礎になるとマルクスは結論づけたのだ。 この持続可能性と平等こそ、西欧近代社会が資本主義の危機を乗り越えるために、 意識的に取り戻さなくてはならないものであり、その物質的条件が、定常型経済なのである。 要するに、マルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済なのだ。 資本主義の危機を乗り越えるために西欧社会は 「原古的な類型のより高次の形態である集団的な生産および領有へと復帰」(ザスーリチ宛の手紙) しなくてはならないとマルクスが言うとき、彼は定常型経済という共同体の原理を、 西欧において高次のレベルで、復興させようとしていたのではないか。
▼ 「脱成長コミュニズム」という到達点 ここまでくれば「復帰」の意味は明らかだろう。 西欧におけるコミュニズムの試みは、持続可能性と平等を重視する新しい合理性を打ち立てる ために、共同体から定常型経済の原理を学び、それを取り入れないといけない、 とマルクスは言っているのである、、、 ここには、やはりマルクス主義における「生産力至上主義」という巨大な負の遺産が重く のしかかっている。 マルクス主義は、生産力の上昇が破壊的なものだという事実を受け入れることができず、 「脱成長」を敵とみなしていたのである。 だが、生産力至上主義を捨てて、非西欧・前資本主義の共同体から社会変革の可能性を学ぼうとした 晩年のマルクスの思想は、一般に流布しているマルクス像とまったく異なっているだけではない。 生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を捨てた晩年の思考のラディカルさは、 マルクス主義者たちがマルクスをPC(ポリティカル・コレクトネス)化して満足しようという 試みにも、収まるような代物ではないのである。 むしろ、西欧資本主義を真に乗り越えるプロジェクトとして、「脱成長コミュニズム」 を構想する地点にまで、マルクスは達していたのだ。
【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第4章 「人新世」のマルクス p193、p199】
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フランスの「気候市民議会」 「黄色いベスト運動」には、より大胆な気候変動対策を要求する人々も参加していた、、、 強い批判に晒されて、マクロンは、、、2019年4月に、以前から約束していた 「気候市民議会」の開催を発表したのだ。 こうして、フランスでは、150人規模の市民議会が開催される運びとなった。 そして、2030年までの温室効果ガス40%削減(1990年比)に向けての対策案の 作成が、市民議会に任せられたのである。 市民議会の特徴は、なんといっても、その選出方法である。 選挙ではなく、くじ引きでメンバーが選ばれるのだ、、、 市民議会においては、専門家がレクチャーを行い、そのうえで参加者は議論を行い、 最終的には、投票で全体の意思決定をする。 注目すべきは、2020年6月21日、ボルヌ環境相に提出されたフランスの市民議会の 結果である。 抽選で選ばれた市民150人は気候変動防止対策として、およそ150の案を提出した。 そのなかには、2025年からの飛行場の新設禁止、国内線の廃止、自動車の広告禁止、 気候変動対策用の富裕税の導入が含まれているのだ。 さらに、憲法に気候変動対策を明記することや、「エコサイド(環境破壊)罪」 の施行について、国民投票の実施を求めたのである。 市民議会の提案がここまでラディカルな内容になったのは、民主主義のあり方が抜本的 に変容したという事実からけっして切り離せない。 さらに、この変化をもたらしたのが、社会運動だったという点も強調しておこう。 「黄色いベスト運動」や「絶滅への反逆」は、しばしば具体的な要求を掲げていない と批判されてきた。 だが、彼らの求めていたより民主的な政治への市民参加は、市民議会という形で実現され、 ついには具体的な政策案になったのである。
【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第5章 加速主義という現実逃避 p216】
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▼ 欠乏を生んでいるのは資本主義 ▼ コモンズの解体が資本主義を離陸させた ▼ 水力という〈コモン〉から独占的な化石資本へ ▼ コモンズは潤沢であった ▼ 私財が公富を減らしていく ▼ 「価値」と「使用価値」の対立 ▼ 「コモンズの悲劇」でなく「商品の悲劇」 ▼ 希少性と惨事便乗型資本主義 ▼ 現代の労働者は奴隷と同じ ▼ 負債という権力 ▼ ブランド化と希少性が生む相対的希少性 ▼ 〈コモン〉を取り戻すのがコミュニズム ▼ 〈コモン〉「〈市民〉営化」 ▼ ワーカーズ・コープーー生産手段を〈コモン〉に 【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム】
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▼ ブルシット・ジョブ vs エッセンシャル・ワーク 資本主義社会でのエッセンシャル・ワークに対する圧迫には、「価値」と「使用価値」 の極端な乖離という問題が潜んでいる。 現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、 そして金融業や保険業などがあるが、こうした仕事は重要そうに見えるものの、 実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない。 デヴィッド・グレーバーが指摘するように、これらの仕事に従事している本人さえも、 自分の仕事がなくなっても社会になんの影響もないと感じているという。 世の中には、無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れているのである、、、 「使用価値」をほとんど生み出さないような労働が高給のため、 そちらに人が集まってしまっている現状だ。 一方、社会の再生産にとって必須な「エッセンシャル・ワーク (「使用価値」が高いものを生み出す労働)」が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。 だからこそ、「使用価値」を重視する社会への移行が必要となる。 それは、エッセンシャル・ワークが、きちんと評価される社会である。 これは、地球環境にとっても望ましい。 ケア労働は社会的に有用なだけでなく、低炭素で、低資源使用なのだ。
【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う p314】
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現在の地球環境においては、まさに(「緑の経済成長」といった)この時間稼ぎが致命傷となる。 見せかけだけの対策に安心して人々が危機について真剣に考えることをやめてしまうのが、 一番危険なのである。 同じ理由から、SDGsは批判されないといけない。 中途半端な解決策ではなく、石油メジャー、大銀行、そしてGAFAのような デジタル・インフラの社会的所有こそが必要なのだ。 要するに、革命的なコミュニズムへの転換が求められているのだ。
【斎藤幸平 人新世の「資本論」 第8章 気候正義という「梃子」 p354】
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コメント(4)

政治統治機構としての民主主義も、経済機構としての資本主義も、見直す時期に来ているのかもしれません。今回のコロナ禍はその契機となるのでしょうか?
>>[1]

ええ。
資本主義は、見直す時期ですね。
政治統治機構としての民主主義は、同時に運動や理念としての民主主義もあり即断は私はしていませんが。

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