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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 女の性格が分かるのは恋が始まる時ではないわ。恋が終わる時よ❶

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「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。 彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。 われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」 ジョモ・ケニヤッタ

わがいのちきわまれるともこの街のこの雑踏はながくのこらむ 若月俊一 「女の性格が分かるのは恋が始まる時ではないわ。恋が終わる時よ」

ローザ・ルクセンブルク 「自由とは常に、異論を持つ者の自由である。 一つの価値観に凝り固まった社会は、自由を絞殺する」

ローザ・ルクセンブルク 「政治=ポリス(都市)に関すること politics 」が存在するのはこの ポリス = キウィタス = レース・プブリカ = コモンウェルス にだけ polis = civitas  = res publica   = commonwealth

軽井沢追分で十数年前質問「古典古代、ギリシャとローマの異同は?」 加藤先生別荘にて周一先生に、教えていただきました 「経済競争の脅迫から解放された人間は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な創造と、 友情と愛と子供たちとの交歓と自然の限りなく豊饒な感動とを、追求し、展開し、 享受し続けるだろう。」

社会学入門−人間と社会の未来 (岩波新書) 第6章6節 山岡 淳一郎
9月19日 21:16 ・ 本日発売のAERA9月28日号「現代の肖像」で京都大学大学院医学研究科教授・西浦博さんの人物ノンフィクショ ンを掲載しました。西浦さんといえば、4月の緊急事態宣言を政府が発出する際、「人と人との接触8割削減」 というスローガンを掲げた理論疫学者として知られています。その主張には賛否両論、さまざまな意見が寄せ られました。逆風も強かった。 ただ、ひとつ言えるのは、西浦さんの前にそのような数理モデルを駆使したシミュレーションを、感染症の流 行現象に対して日本でできた人は、皆無でした。開拓者は常に後ろから放たれる矢を浴びなければなりません 。 西浦さんが医師を志した契機は阪神・淡路大震災でした。高専の生徒だった彼は、未曾有の震災のなかで…… 。
あとは、よろしければAERAをお読みください。「政治と科学」のいまがわかると思います。

64 リテラシー意識(自己の埋没防ぐ「批判の目」)2001年11月22日 朝日新聞長野県版 連載第64回 色平哲郎
フランス映画「モンパルナスの灯」に衝撃を受けたのは、高校生の時だった。 肺結核にアルコールと麻薬中毒、そして極貧が重なって36歳の短い生涯を終えた失意の天才画家アメデオ・ モジリアニ。 彼の半生を、同じ36歳で急死した俳優、ジェラール・フィリップが繊細に演じて素晴しかった。 モジリアニの、同時代の作家との交流を深めながらも、孤立を恐れない、その画風と生き様には、超然とした ものを感じた。 モジリアニは生前、同時代人から必ずしも評価された訳ではなかった。 映画の中に登場する画商は、彼の作品を黙殺する。 しかし、その画商こそ実は天才を最も良く理解する同時代人であった。 画家は無名のうちに死ぬ。 画商は彼の死を見届け、作品がそれ以上世に出ないことを確かめた後で、悲嘆に暮れる家族から全作品を買い 上げ、独占する……。 歴史を超えて生きるアート、すなわちクラシック(古典)は、詩も文学も絵画、音楽そして映画も、クリティ ーク(批評、批評家)の存在によって支えられ励まされてきた。 クリティークとは、たとえ一時は手厳しいものであっても、アートが時空を超えるのに不可欠なものだ。 すべてアートには、優れたクリティークが伴うべきだろう。 それは日常の報道を支える表現活動においても同様なはずだ。 現代のマスメディア、特にテレビ放送にはクリティークがほとんど伴わず、リテラシー(批判的に読み解く) 意識もないままに、垂れ流しの報道がなされているように感じる。 情報通信技術が発達したことによって、私たちが見失いがちなものがあると感じる。 それは実体験というか、自ら経験することで心や体に刻みつけられる外界との接触感、すなわち「リアルな記 憶」だ。 メディアの無批判な垂れ流しによって、 虚像の体験が増えれば、その分、自らの存在は希薄になろう。 リアルな自己が希薄になると、他者の存在への気配りの心もまた希薄になるのではないだろうか。 一時の放映に過ぎず、決して時代を超えるものになりはしない、そんな代物でも繰り返し目や耳に入ればどう なるのだろう。 リアルな感性は磨耗し、他方で、編集のやり方次第では、事物の一面に過ぎないものを真実として信じ込んで しまう危険があるのではないか。 メディアとはあくまで媒体であり、道具でしかない。 ところが、そんなメディアを通じて一方的に送られてくる「情報」を消費し続け、宣伝・広告にさらされるう ちに、実態の怪しい「情報」なるものに繰られて、手作りのアートとして生きるべき自らの人生まで変容して しまってはいないか。 山の村の私の診療所で合宿研修に取り組む医学生や看護学生たちには、メディア、テクノロジー、マネーの3 者についてこそ、リテラシー、つまり自覚的に読み解く勉強が必要だ、と説くようにしている。 医学もまたヒポクラテス以来の長い歴史を持つアートの一つに違いないのだが、 過去においても現在も、日ごろ厳しいクリティークにさらされている分野とは言い難いからだ。 誰とともに生き、誰とともに歩むのか――。 そして、私がこの場を立ち去った後、どのようになっていくのか――。 この両者について、自らに対してもクリティークであり続けることが、実体験を磨耗させるメディアが存在感 を増す現代にあって重要だと思う。
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歴史はこの演説の通りに・・・賢人、周囲に理解されず https://bit.ly/33OcBNB湾岸戦争勃発の翌日の米国会議 4:20 空席の国会演説 バーニー・サンダース 1991年 (日本語字幕) 「誰もが指摘するように、アメリカ社会には分断がある。様々な人種、宗教、文化、考え方の人々が暮らして いるので、ある意味で自然だと思う。放っておけば摩擦が起き、分裂してしまうが、それを歴代の指導者は何 とか共通の理念や記憶を語り、結束を試みてきた。/それでもあちこちに断層はうっすら見えている。そんな ことは、ほとんどのアメリカ人は知っているが、多くの人は、「私とあなたには違いもあるけど、共有してい る部分のほうが多いはずだから共存しましょう」という姿勢で暮らしている。多民族社会の知恵だろう。/と ころがトランプは、その断層を執念深く広げようとしてきた。できた隙間に指先をひっかけ、別の断層も見つ け出しては、そこを足で蹴り続け、少し崩れたところに足場を作り、よじ登ろうとしてきたのだと思う」 金成隆一「記者、ラストベルトに住む トランプ王国、冷めぬ熱狂」 ぜひとも想起しておきたい歴史がある。 戦後日本の出発点において、旧植民地出身者の日本国籍が剥奪され、政治参加の可能性が閉ざされていったこ とを、どれだけの日本国民が知っているのだろうか。 そして、その歴史をふまえて考えるとき、日本国民と外国人とを区別する境界線はけっして不変なものではな いことが見えてくる。 日本国民という集団の輪郭をどのように定義するのかという問題は、たとえわたしたちが意識していなくても 、常に重要な政治争点なのである、、、 戦後日本の出発点においても、日本国籍を剥奪された膨大な数の人々が、強制送還の恐怖を抱えながら日本社 会で生活することを余儀なくされた、、、 敗戦後も日本社会に在住した旧植民地出身者の法的地位について、まず占領者の見方を確認しておく必要があ る。 1945年11月1日にGHQが示した日本占領初期の基本指令は、「軍事上の安全が許す限り中国人たる台湾人 及び朝鮮人を解放人民として処遇すべき」としつつ、「かれらは、いまもなおひきつづき日本国民である」と いう認識を示していた。 その後もGHQの基本的な認識は変わらず、翌46年11月の民間情報教育局の発表によって、「日本にいる朝鮮 人で連合国総司令部の引揚計画に基いてその本国に帰還することを拒絶するものは、正当に設立された朝鮮政 府がかれらに対して朝鮮国民として承認を与える時まで、その日本国籍を保持しているものとみなされる」と いう方針が明確にされたのである、、、 この時期に相次いで打ち出されたGHQの方針を受けて、沖縄出身者の自己認識は、「一般日本人」とは異なるも のとなっていった。 1946年6月に発刊された沖縄人連盟機関誌の社説は、次のように訴えている。 「沖縄県といふ日本の行政機構にも終止符が打たれてゐるので、われわれ沖縄人は『非日本人』といふことに なってゐる。 だが沖縄の帰属問題は、結局講和会議を俟って最終的に決定されるのであるから、在日沖縄人は現在の段階に ありては、依然日本人として処遇されねばならない。 故に、われわれとしても、現在はかかる過渡期にあることを充分認識し、日本政府に対しては、日本人として の均等なる生存権を要求し、、、連合国総司令部に対しては、『非日本人』としての庇護を要請せねばならぬ 立場におかれている」 (『自由沖縄』1946年6月15日)、、、 日本の敗戦の結果として植民地が切り離されると、日本社会に暮らす旧植民地出身者は「第三国人」あるいは 「非日本人」として扱われるようになり、国民としての権利は「停止」された。 そして一度「停止」された権利は回復されることなく、やがてかれらは完全に「外国人」として扱われること になる。 さらにその傍らには、米軍によって分割占領されていた沖縄・奄美出身者がいた。 かれらは基本的には日本国民として扱われていたにもかかわらず、占領軍によって引かれた境界線を非公式な かたちで踏み越えた場合には、日本から強制送還されるべき存在だったのである。 ただし、旧植民地出身者と沖縄・奄美出身者との間には、戸籍制度における歴然とした差異が存在していた。 そしてその差異は、戦後日本政治が国民の輪郭を再定義していく過程で、日本国民と外国人との間の高い壁と なり、強力な排除の力学を作動させることになった。 日本国民として処遇されていった沖縄・奄美出身者の歴史と、外国人として排除されていった旧植民地出身者 の歴史は、その意味で対照的な様相を帯びおり、まずは2つの異なる歴史として読み解かれる必要がある。 (注)奄美大島のある女性は、出征した夫が戦死したため戦後の生活に行き詰まり、弟が経営する鹿児島の紬 工場で働くために「密航」を試みた。 しかし鹿児島湾で警備船に摘発され、1ヶ月ほど収容所に入れられた後、奄美大島に強制送還されてしまった 。 収容所の隣室には「朝鮮の着物を着た若い女の人たち」が数名いて、毎日泣いていたという
【第3章 鳥山淳「国民の歴史意識を問い直す」より 「国民国家の境界」p75-89 2010】
<刑務所には、以下のような事件で実刑になった人が収監されている。  〈「あのお金は、お母さんが神さまにあずけたんだ。それを返してもらっただけ。だから、ぼくは悪くない よ!」
 刑務所で出会ったAさんは、いつもこう言っていた。彼は20代後半の男性。二度の窃盗罪で、2年6か月 の懲役刑に服していた。窃盗罪で懲役刑なんて聞くと、けっこうな大金を盗んだんだろうって思うかもしれな いね。  でも、彼が盗んだのは合計300円。神社で賽銭どろぼうをしてしまったんだ〉  なぜ、逮捕というリスクを冒してまで、このような少額の盗みをしたのか。その背景事情を山本氏はていね いに説明する。  
〈両親は離婚し、ずっとお母さんと2人暮らしだった。彼は、お母さんと初もうでに行ったときのことをよ く覚えている。賽銭箱に1,000円入れたお母さんは、彼に言い聞かせた。  「神様にお金をあずけているんだよ。困ったときに、きっと助けてくれるからね」  母子2人で寄りそうように暮らしていた。だけど悲しいことに、お母さんは病気で亡くなり、彼はひとりぼ っちになってしまった。ほかに親戚も、頼れる友人もいないAさんは、障害があるために仕事が続かない。否 応なしにホームレス生活をするしかなかった。そんなときに、お母さんの言葉を思い出したんだね。「神様に あずけていたお金で助けてもらおう」って。かつてお母さんと初もうでに行った神社で、賽銭箱をひっくり返 した。  最初に盗んだのは200円。近くを通った人に通報され、すぐに逮捕された。このときの裁判では、懲役1 年6か月に執行猶予がついて釈放された>  
しかし、Aさんは、事件を反省するのではなく、まったく別の解釈をした。  <「外に出られたから、やっぱり悪いことじゃないんだ」  そう確信し、また賽銭箱から100円盗んだ。今度は執行猶予中の事件だから、釈放されない。実刑判決を 受け、刑務所に服役することになった。  (中略)二度目の裁判で、彼は裁判長に向かってきっぱりと言ったよ。  「まだ700円、神様に貸している」  その言い分は聞き入れてもらえなかった〉> <東アフリカで新たに発見された天然ガス田には、アラブ首長国連邦の全埋蔵量どころか、アメリカの埋蔵量 に匹敵する天然ガスが存在すると推定されている。鉱業企業は地下をさらに深くまで掘り進め、アフリカの内 陸全域を試掘している。今やアフリカには、原油の産出や試掘が行われていない国は五か国しかない。こうし た新たな発見とともに、資源取引がもたらす腐敗効果はさら広まっている。それを示す兆候はすでにある> トム・バージェス「喰い尽くされるアフリカ 欧米の資源収奪システムを中国が乗っ取る日」 <組織者には二種類ある。一つは組織を維持運営する人。もう一つは社会のメカニズムをつくり出す人で、こ れがいわゆる革命家とか天才と呼ばれるような人たちです。時代の停滞が長く続いていて自己革新ができない ような社会になったときは、突出した人が社会を変えなければいけなくなってくる。だからオーガナイザー、 組織者といっても、二種類の組織者にはそれぞれ別の資質が必要とされる>
佐藤優『現代の地政学』(晶文社) <最近、わたしがひじょうに危惧しているのは、「日本人が、日本固有の国民の資産を、日本国民のためでは なくて外資に売り渡すことに積極的に動いている」ということです。その典型がまさに、このゆうちょ銀行で す

菊池英博/稲村公望『「ゆうちょマネー」はどこへ消えたか “格差”を生んだ郵政民営化の真実』 <心の痛みは、たとえ解決策が見つからなくても、語るだけである程度は解消されます。言葉に出したり、泣 いたりすることで、ある程度、苦しみを手放すことができます。中世は。それを「能」という形にしました。 「能」を見ることにより、人びとは心を鎮めることができました。
 あるいは『平家物語』という物語を語ることで、象徴化しました。『保元物語』『平治物語』『太平記』な ども同じです。これらの物語は、もともとテキストとして書かれたものではなく、語られていたものです。そ れらを聞くことで登場人物たちの悲しみや痛みが、自分の中にある悲しみや痛みに一つの接続をする形で、カ タルシスを鰓得たのです>
鎌田東二「日本人は死んだらどこへ行くのか」 民主政治が,なぜどのようにナチ独裁にとって代わられたのか.憲法学の泰斗・宮沢俊義(一八九九―一九七 六)は,一九三〇年代始めフランス,ドイツに留学.ナチスの台頭,ヴァイマル憲法の「死滅」をその同時代 に目にし,独裁政治の手法を見抜いた論考を立て続けに発表した.民主主義,立憲主義を果敢に説いた宮沢の ,戦前における注目の書.  
<プライスは「賢明な輿論の形成に必要な条件のうちで一ばん重要なのは人民のインテリジェンスと、平均 市民が公務に対してもつ関心の量である」といっている。まさにそのとおりである。ところがその人民のイン テリジェンスも、市民の公務に対する関心の量も、かなりの程度において権力によって外部からコントロール することができるというのが社会学的事実である。だから、もし「賢明な輿論」をもたらそうとおもうならば 、大衆をこのような権力によるコントロールから解放することが何より必要だと考えなくてはならぬであろう >
宮沢俊義『転換期の政治』(岩波文庫、1936) 「今自分は幸福かと自問した瞬間に、人は幸福ではなくなる。幸福以外のものを人生の目的とすることが幸福 になる唯一の道であり、それらの目的の方を大いに意識し、吟味し、自問するべきである」 JSM ジョン・スチュアート・ミル
但馬問屋@wanpakuten 19時間 #報道特集  膳場貴子氏 「菅官房長官といると『背筋が凍る』と言う人たちがいて、象徴的だなと思った。人事権を握って官僚を巧み にコントロールしてきた官邸の中心にいたのが菅氏。その結果、官僚から正義や公正、国民全体の奉仕者とい う志が薄れていった事案を、私たちは本当に沢山見せられてきた」
あらかわ@kazu10233147 4時間 NHK日曜討論で石破  例えばマスクのお金は、他に使い道があったのではないか、でも官邸が言ってるから誰も止められない。官僚 で辞めていった人、命を落とした人も。政府、官僚は国民のためにあり、権力のためにあるのではない。その 気持ちを取り戻す官僚主導でありたい。 聞いていた菅、恨み顔。
マキアヴェリ「君主論」  <人間は自分のこととなると、じつに身びいきなものであって、この点をつかれると、人にだまされやすい から、このペスト禍から身を守るのはむずかしい。それに、汚染から身を守ろうとするあまり、見くびられる 危険性もある。そもそもお追従者から身を守る手段は、真実を告げられてもけっして怒らないと人々に知って もらうしかない。ところが、そこで、誰もがあなたに真実を話して構わないとなると、あなたへの尊敬の念が 消えてしまう。  こう考えると、思慮の深い君主のとるべき態度は、第三の道でなければならない。すなわち君主は、国内か ら幾人かの賢人を選びだして、彼らにだけあなたに自由に真実を話すことを許す。しかも君主の下問の事がら に限って、ほかの論議を認めないことにする。君主は諸般の事項について、彼らに訊ね、その意見を聴き、そ の後、自分が独りで思いどおりに決断をくださなくてはいけない>

コメント(4)

私利私欲のない、それぞれの分野の賢人による、集団的指導体制が、自由民主の政治体制よりすぐれているかもしれない、と思う今日この頃です。
>>[2]

ありがとうございます。世界の産業構造が、複雑化専門家しているので、相当な見識を持つ専門家集団が必要ですが・・・
>>[3]

なるほど、そうですか。そうでしようね。

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