孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】随想⑮「太郎を呼べば太郎が来る。花子はこない」 2020-09-21 06:522

日本の詩歌は、万葉集を除いて、喜怒哀楽を直截的に表現しないことを良しとする。
「古今集」では失恋をうたったとみられるものも、「風吹けば　峰にわかるる　白雲や　たえてつれなき　君が心か」（壬生忠岑）や「色みえで　うつろうものは　世の中の　人の心の花にぞあらぬ」（小野小町）等優雅に歌ったものは幾つもある。こうした伝統は和歌や俳句にも引き継がれてきた。
芭蕉にしても、寂しさを「うき我を　寂しがらせよ　かんこ鳥」「この道や　行く人なしに　秋の暮れ」と読んでいる。芭蕉の句で、我々が一見壮大な風景描写と思う「荒海や　佐渡に横とう　天の川」には奥に秘められたものは深い。芭蕉自身、「打ち寄せる波の音がしばしば響いてきて、胸が締め付けられるようで、無性に悲しみがこみ上げてくるのでなかなか寝付けなかった。そこで詠んだのが「荒海や佐渡に横とう天の川」」と記している。多分、佐渡島が島流しの場であったことに思いをはせているのであろう。句に何を感ずるかは鑑賞する人に任せられている。
こうした伝統に反して、川柳という場で、自分の感情をぶつけたのが時実新子だ。「包丁で指切るほどに逢いたいか」、「凶暴な愛が欲しいの煙突よ」「花ゆさりゆさりあなたを殺そうか」「束の間の幸せなれば啼き交わす」「不器用な別れ電車の戸を叩く」「悪い男と心一つに薔薇を見た」「百合みだら五つ開いてみなみだら」「蝶の道まちがいきって美しや」。
激しい。
実は、私は色紙などで、時々時実新子の言葉を書く。それが「太郎を呼べば太郎が来る。花子はこない」だ。
月刊誌『PHP』は「この人のこのことば」「こころにひびくことば」を連載していた。PHPはこれらを集めて、２０１４年『心を豊かにする１００のことば』を刊行した。私の言葉も入っていたので、PHPから本の寄贈を受けた。ここに時実新子の「太郎を呼べば太郎が来る。花子はこない」があったのである。
時実新子はこの言葉の背景を次のように書いた。
「祖母からの口移しなので、出展は明らかではありません。祖母が言うには“呼べば呼んだ人が来るじゃろ？　太郎サーンに花子はこないわな。じゃから、いい事を呼びんさいや”とのこと。太郎は幸福の代名詞なのでしょう。」
人生で「何を求めるか」を明確にすることが最も重要だと思う。
「何を求めるか」の何は、通常容易に手に入るものではない。私達は努力して手に入らない事態が来るのが恐ろしい。その時には傷つく。傷つきたくない。だから「花子」に来てほしくとも「花子」とはなかなか呼ばない。でも「花子」と呼ばなければ「花子」は来ない。
私は石川県小松市の出身である。ある時、小学校に呼ばれた。校長から「色紙に何か書いて下さい」と依頼された。子供には出来るだけ自分の目標を鮮明にして欲しいと思い、色紙に「太郎を呼べば太郎が来る。花子はこない」と書いた。どれだけの子供が意図を読んでくれるのか。受け取った先生も、一瞬、きょとんとしていたようだった。