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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと❷

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追悼 D・グレーバー 59歳
Pierre Clastres, James C. Scott, David Graeber
「反ホッブズ」人類学
現代においてーーおそらく近代といってもいいのかもしれないが、わたしたちの想像力をもっとも根深く制約し、想像力の活発で奔放な運動を囲い込んでいるイデオロギーとはなんだろうか?
そのひとつが「国家の必然性」であることはまちがいない。
たとえ必要悪であるとしても国家は人間にとって必要不可欠なものであるといった発想は、わたしたちの思考の作用のすみずみに深く浸透している。そして、そのような制約の必要を根拠づけているのが、ある論理、つまり「ホッブズ的論理」である。ひとは自然のままに放置しておけば、たがいに傷つけ、盗み、殺戮しあうであろう。そんなおそるべきカオスを避けるためにはただひとつの選択肢しかない。つまり、そうした人々の上に立って、実力を専有することで人々に強制力を発揮できる権威的存在、すなわち国家である、と。そして、その論理にはスペクトラムがある。
ホッブズ自身のように体系立てられた思想体系から、「国家がなければ暴力が渦巻いて大変なことになるぞ」といった漠然とした常識レベルのものまで。この論理は、そのような常識の土台をもっているから、なお厄介なのである。
ところで、そのとことん根深い「ホッブズ的論理」を、もっとも果敢に覆し、思いもよらぬ世界を開示してくれる知的冒険という点で、注目すべき翻訳書が矢継ぎ早に公刊された。
ピエール・クラストル「政治人類学研究」
(原毅彦訳、水声社)、
ジェームズ・C・スコット「反穀物の人類史ーー国家誕生のディープヒストリー」(並木勝訳、みすず書房)、
デヴィッド・グレーバー「民主主義の非西欧起源について」
(片岡大右訳、以文社)の3冊である、、、
この3つの著作は、対象こそ異なっているが、そのテーマとパースベクティヴにおいて共鳴しあっている。それも当然というべきか。かれらは、人類学、あるいは人類学をひとつの領域としながら、かつ「アナキズム」になんらかのかたちでコミットしている点を共有している。
そもそも人類学は必然的にアナキズムと親和性を有していると指摘するのはグレーバーである。(デヴィッド・グレーバー「民主主義の非西欧起源について」)というのも「人類学者たちはつまるところ、現存する国家なき社会についての知識を有している唯一の学者集団」であって、「その多くが、国家が機能停止するか、あるいは少なくとも一時的に撤退し、人々が自分たちのことがらを自立的に管理している地域に、実際に住んだ経験をもっている。少なくともかれらは、国家の非在において起こることについてのもっとも平凡な想定
(「人々は殺し合う」)が真実でないことを十分に知っている」。つまりかれらは、みずからの対象が、いわゆるアナーキーな社会であること、そしてその機能の実態に接することによって、「ホッブズ的論理」が実際に虚偽であることを認識できる位置にあるということになる、、、
ここであらためて、問うてみよう。
なぜいま、かれらの「反ホッブズ的」知的営為の重要性が高まっているのだろうか。ひとつの理由として、社会、経済、政治を貫徹した既存の諸制度の全般的機能不全をあげることができるだろう。そんな危機意識のなかで人類の集団的可能性の広大な領域を知ることの必要性が感じられているのである。さらに、それが人類学においては、さまざまの民衆の実践のうちに胚胎しているのがみいだされるといったこともあげられる。
「エリート」の思考や実践には、もはや未来がないとも感じられているのである。
ピエール・クラストルと「未開人」、、、
クラストルの知的作業が、人文社会科学全域にもたらしたインパクトは強力なものであった。
(ピエール・クラストル「政治人類学研究」)
未熟なゆえに国家を欠いているどころか、未開社会は国家の出現を積極的に阻止しようとしていること、政治が不在であるどころか、あらゆるヒエラルキーの永続化を拒否するためにめぐらされた複雑な論理と制度によってたえず政治を行使していること。
クラストルによって、未開社会は「国家なき社会」から「国家に抗する社会」へと変貌を遂げたのである。
それによって未開社会像が変容をせまられただけではない。
クラストルによる「コペルニクス的転回」は、人類学とその対象である未開社会の領域を超えて、国家や権力、そして政治にかんするそれまでの観念に大幅な変更を強いるものでもあった。
実際、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、クラストルの仕事から多大なる影響を受け、彼らの社会認識の中核部分に「国家に抗する社会」の力学をおいた。かれらなりのクラストルの継承を集約する理論装置が、有名な「戦争機械」という概念である。また、もうひとつ、これは日本語圏ではあまり知られていないように思うが、クロード・ルフォールやマルセル・ゴーシェ、ミゲル・アバンスールら、「社会主義か野蛮か」の流れをくむ「反全体主義」の政治哲学・宗教社会学の潮流にも強力な影響を及ぼした。
クラストルは、一見、ヒエラルキーによって構成されているようにみえる諸制度が、逆に、そのようなヒエラルキーの出現を阻止するべく機能している「未開」の力学を、熱を込めて記述した。
「国家に抗する社会」とは異なる、本書に固有の理論的核心があるとしたら、それは、国家を祓い除けるために未開社会が作動させている装置としての「戦争」である。
その意味での本書の中心テキストは「暴力の考古学」である。
それによれば、未開社会は戦争社会である。未開社会は好戦的であり、慢性的な戦争状態にある。ここだけみるならば、ホッブズの前提と変わるところがない。ホッブズによれば、自然状態とは戦争状態にほかならず、そのヴィジョンは、当時の未開社会にかんする報告からえられていたのであるから。ところが、そこに込められた含意は、真逆である。ホッブズにあっては、戦争状態はカオスにほかならず、そのカオスを克服するために、ひとは超越的権力、つまり国家を必要とする。戦争は、国家の求心性によって乗り越えるべきものなのである。他方、クラストルの報告するインディアン社会にあって戦争とは、むしろ国家を寄せつけない
ために必要なものである。戦争はつねに社会に分裂を導入し、それによって超越的権力への糾合を阻止するものである。そしてそれによって、多元性を維持している。その意味で、クラストルの戦争状態はカオスでも自然状態ではない。それは国家を祓い除けるために、さまざまなコードによって統御される人工状態なのである、、、
ジェームズ・C・スコットと「野蛮人」、、、
なんらかの時点、なんらかの理由で、人々は「自発的」に「隷従」し、それによって国家が出現したとすれば、やはり「国家に抗する社会」から「国家のある社会」への転換は必然だということにならないか。
スコットは、クラストルの議論の核心部分は引き継ぎつつも、みずからのフィールドである東南アジアの調査を介し、この「断絶」にいささか異なる仕方で接近した。クラストルの経験したインディアンはおろか、初期の植民者の観察したかれらも、すでに国家を知っていた。つまり、かれらは基本的に帝国(インカ)と共存していたのであり、帝国の周辺に位置していた。しかるに、その未開人の多くは、帝国からなんらかの理由で意志して逃亡した人々ではないか。つまり、国家に抗する社会とは、逃亡奴隷が山奥に形成したマルーン共同体に近いなにかではないか、、、
近年の考古学が、わたしたちの先史時代への思い込みを覆すさまざまな発見をもたらしていることは知られている。しかし、そうした革新が、考古学の専門的領域を超えて、わたしたちの認識あるいは人文社会科学全般にどのような変革をもたらすものなのかは、いまだ判然としない、、、
しかし、ここからが重要である。
「穀物コア」たる国家はきわめて脆弱な組織体だった。すでに国家以前の「再定住キャンプ」は動物原性感染症を引き寄せ(感染症の歴史として興味深い論点である)ていたが、国家はよりひんぱんなる疫病の温床となった。さらに富の集積する国家は「野蛮人」による収奪の格好の的であった。マンパワーの囲い込みは国家の基礎だが、その集合性は不利にもはたらく。国家以前の「再定住キャンプ」の住人たちが、農耕に特化することなく狩猟採集をも持続しながら多様な食料源を確保し、遊動と移動とを併用することで気候・環境の変動に柔軟に対応していたのに対し、国家は、そのような融通性に欠けるという欠点をもっていた。こうして初期国家はきわめて短命であり、実際かんたんに解体する。
のちの歴史家が「暗黒時代」と呼ぶ、あらゆる文字情報や遺跡が突如として消え、その状態が一定期間持続するといった出来事は、こうした事情に由来する。
さらにスコットはこう推測する。
「暗黒時代」とは、多数の人間にとっては「幸福、福利、平等」の促進された時代でもあったかもしれない、と。もちろん、それを理想状態と観念することはできない。しかし、国家の消えた「暗黒時代」は、ホッブズ的カオスどころか、多数の人類の暮らしにとってはるかにマシであった可能性は高いのである。
本書の圧巻は「野蛮人の黄金時代」と題された最終章である。
(ジェームズ・C・スコット「反穀物の人類史ーー国家誕生のディープヒストリー」)スコットによれば、野蛮人の黄金時代とは、この初期国家の時代から17世紀にいたるまでをいう。つまり、17世紀の「国民国家」の勃興の時代まで、世界は国家の民で埋め尽くされていたわけではなかった。それどころか、つい最近まで、国家への統合をあの手この手で拒む「野蛮」と名指しされた人々が、世界には跳梁跋扈していたのである。
「この本のキーポイントは、国家というものは、いったん確立されてからは、臣民を取り込むだけでなく、吐き出していたという点にある。逃亡の原因は途方もなく多様だ。伝染病、凶作、洪水、土壌の塩類化、課税、戦争、徴兵など、すべてが着実な漏出の理由になるし、ときには大量脱出のきっかけにもなる。逃亡して近隣国家へ向かうものもいただろうが、多くは、、、辺境へと逃れて別の生業形態を営んだだろう。彼らは事実上、意図して野蛮人になったのだ」。
クラストルにとっての問題が「未開社会」と国家の時間的な断絶と跳躍であるとしたら、スコットにとっての問題は「野蛮社会」と国家の地理的な断絶と跳躍であろう。
デヴィッド・グレーバーと「暴徒たち」
グレーバーの「民主主義の非西欧起源について」は、このような議論を民主主義といった次元から発展させる可能性を拓いてくれる。
人類学者は「国家なき社会」つまり「文字なき社会」を、基本的に対象とする。しかるに、人類学者こそ、民主主義をより曇りなく認識できる。なぜなら「民主主義者たちは過去200年にわたり、民衆の自己統治にかかわる諸理想を、国家という強制的装置に継ぎ木しようと試みてきた。しかし結局のところ、このような企てはまったくうまくいくものではない。国家とは、その本性からして、真に民主化されることなどありえないものなのだ。
要するに、国家とは基本的に暴力を組織化する手段にほかならない」。
民主主義が古代アテナイに起源をもつという通念は、西洋中心主義というだけでなく、つまるところ(文字記録を有した)国家のうちに、その種子を探しだそうとする指向性に由来する。しかし、グレーバーも強調するが、このような西洋の文字の伝統にもとづくならば、民主主義はつねに「暴徒たち」による支配として否定や悪罵の対象でしかなかった。近代以降、共和制と呼ばれていた国家形態に、代表制(その選挙制度)という王政に由来する
参加形態、そして「国民(人民)主権」という理念の矛盾ぶくみの混合形態が、民主主義と呼ばれるようになった。しかし、それは世界的にーー日本もふくむーー実践のうちに実現されていた民主主義ーー主要には、ヒエラルキーを最小化する対話と複雑な仕組みによってコンセンサスの形成を目標とするーーとは、大きく異なっている。
こうした視点が、グレーバーにとっては、フィールドワークでえられた民衆の合意形成と、オルタグローバリゼーション運動で普及していたアナキズム的合意形成との往復から獲得されたものであることを認識することは大切である。さらに、オルタグローバリゼーション運動のそのような指向性を触発したひとつの駆動力が、1994年のチアパスでの蜂起以来のサパティスタによるあたらしい政治の模索だったことも重要である。すなわち、国家というフレームの外で(国家権力を奪取することなく)水平な関係性の構築と合意形成によっていかにみずからを統治するのかという模索である。日本語圏では、この点の理解がむずかしくなっている(政治といえば既存の議会政治か、さもなくばアイデンティティ政治の二択になる傾向)ように思われるので、強調しておきたい。
「サパティスタが目指してきたことは、まさに多くの『アイデンティティ』をめぐる修辞法が無視してきたことーーつまり人々やコミュニティが、自分たちがどのような人々やコミュニティ
になりたいか、自ら自由に決定することができるような世界を創るには、どのような組織形態が、どのような審議が過程の形式が必要とされるか、ということである」。
グレーバーは、民主主義が「あいだの空間」から生まれてくることを強調する。スコットがくり返し強調するように、国家は人間を囲い込むところに生まれ、その最初期から人口管理を関心の最優先事項におく機構である。初期国家を特徴づける壁の存在も、野蛮人の襲撃に備える以上に、住民の逃亡防止のために機能していた。生業形態の制約された逃亡不能な排他的空間でこそ、暴力を背景にした支配ー服従関係は可能になる。それに対し民主主義は、多様な人間が遭遇する機会にあって、多様な人間の合意を確保するために不可欠の即興的技法として発達する。だからこそ、大西洋という「あいだの空間」にあって、まさに「諸民族のるつぼ」であった海賊船で、水平の意志決定過程は不可欠だったのである。暴力による強制が存在しないからこそ、他者の境遇や感情、価値に配慮をおこたることなく、ときに意に沿わぬことをも納得させるための、長い交渉の時間を必要とするのだから。
この議論をスコットの「野蛮人の黄金時代」とあわせて読むなら、いろいろと想像もふくらんでこないだろうか。そもそも、文字資料の残された文明は国家の存在を前提とするものであった。
グレーバーもいうように、だからこそ古代ギリシアにせよ古代ローマにせよ、文字から聞こえてくる声(エリートたちの声)はつねに「民主主義」ーーすなわち「暴徒支配」ーーを非難してきたのである。しかし、スコットの推測するように、「暗黒時代」とは、多数の人間にとっては「幸福、福利、平等」の促進された時代でもあったかもしれないとしたらどうだろう。文字もモニュメントも不在であるという意味での「暗黒時代」においてこそ、民主主義がいっそう生き生きと息づいていたといえないだろうか。
とするならば、わたしたちの標語は、さしずめ「来るべき時代をあらたなる『暗黒時代』へ」という感じになるだろうか。
【「世界」20年10月号 未開と野蛮の民主主義  酒井隆史】
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大量の徴兵が行われた。少なくとも18歳の若者のほとんど全員が軍隊に入った。その結果、青年たちの団体生活にも、成人の団体生活にも大きな混乱が生じてしまった。例えば、私たち自身の団体はもはや活動できる状態になかったし、通過儀礼協会の大部分では、その会員たちが交代要員として徴兵されていくのが見られた。あまり知られていないことだが、1914年の戦争がもたらした重大な結果の一つは、「伝統知識の口承伝達における第1次断絶」を引き起こしたことだった。そのような大断絶は、入門的な協会の中だけでなく、かつては伝統教育の真の中心であった
職業別の団体や職人組合でも起きたのである。若者たちが最前線に送られたことによる人的損失ーーその多くが戻ってくるはずもないからだがーーや、戦争努力につながる強制労働のための徴兵強化や、黄金海岸への集団逃亡の波が、年老いた先生たちから仕事を継承する機会を奪ってしまったのである。そして、地域によって際立ち方に多少の差はあるものの、この幅広い文化遺産の口承伝達に最初の長い中断期間を生じさせてしまったのだ。その過程は、数十年の間に、新たな社会的要因のせいで悪化の一途を辿りながらますます進行していくのだ。
【「アフリカのいのち」アマドゥ・ハンパテ・バー、p428】
1918年から1919年にかけて生存者たちが家庭に戻ると、
彼らは新たな社会現象を引き起こすことになり、人々の物の見方を大きく変えていくことになる。私はここで、白人は無敵で欠点がないという「白人神話の失墜」について語りたいと思う。実際、この時まで、白人というのは別格の人間であると思われていたのである。白人の力は圧倒的で、止めようがなく、またその財力も無尽蔵であって、その上白人は肉体的もしくは精神的ないかなる遺伝的欠陥からも奇蹟的に免れていると思われていた。
誰も、不具や奇形の植民地行政官など一度も見たことがなかった。行政官たちはいつでもよい服を着て、金持ちで、力が強く、自分たちの権威に自信を持っていて、「母なる祖国」の名の下に語るのだった。彼らによれば、彼らの「母なる祖国」ではみなが平等で善良だということだった、、、
だがその後、黒人兵士たちは白人の同胞たちと共に塹壕で戦ったのだ。彼らは、白人の英雄たちや勇気ある者たちも目にしたが、それと同じくらいの数の、泣いたり喚いたり怖がったりしている白人たちも目にした、、、そして思いもよらない、ほとんど信じ難いことであったが、どこの街でも白人の泥棒や貧乏人、さらには乞食すら目撃してしまったのである!
こうした現地人歩兵たちは国へ戻ると、夜毎の集いで、自分らの見てきたことを全部語った。白人というのは、神様だか悪魔だかの庇護を受けている超人などではなかったのである、、、そして、現地人歩兵たちは、自分の勲章や退役軍人の資格では、共に戦い苦しみを分かち合った白人の同胞たちの半分以下の恩給しかもらえないと知ると、中には同等の権利を要求し、平等を口にして憚らぬ者まで出てきた。まさしくこの1919年にこそ、初めて解放と権利要求の精神が息づき出したのだが、この精神は、時とともに、住民の他の階層へと広がって大きくなるのであった。
【「アフリカのいのち」アマドゥ・ハンパテ・バー、p434】
もちろん、本書にも植民地主義への怒りがある。だが、それだけにとどまらない人間に対する視点の深さがここにはある。植民地でそれぞれに自分の生を懸命に生きた人々の姿が生き生きと描かれている。イデオロギーに合わせて世界を見るのでなく、現実を、そして一人一人の人間をそのまま見ようとする態度が本書では一貫している。
そしてもう一つ、本書が日本人に与えるショックがある。
これらを読みながら、われわれの知識がいかに西洋から学んだ見方に歪められているかを思い知るのである。同時に、このアフリカの暮らしに似たものをわれわれはかつて持っていたのではないか、そして、アフリカの大地と人間が記憶している「いのち」の泉のようなものを、いつからかわれわれは失ってしまったのではないかという思いにもかられてしまう。
かつて、欧米の価値観を受け入れる前、間違いなく、日本人は自然や祖先や共同体との一体感を持っていた。儀式を守っていた。
もしかしたら、疎開世代の人は、アメリカ兵に対して、アムクレルがフランス人に対して抱いたような感情を持っていたのではないか。もちろん、欧米文化は様々なあものを日本にもたらした。
だが、本書を読む多くの方が、欧米文化の受容とともにわれわれの失ったものがいかに大きかったか、改めて思い知ることだろう。
【「アフリカのいのち」アマドゥ・ハンパテ・バー  訳者あとがき より】

コメント(4)

この記事を読んで、確信したが、民主主義とは、アメリカが、他の国を支配するための、口実、そして道具であり、民主主義そのものは、国家統治形態の一つではあるが、多くの欠陥をもっており、必ずしも、人民に幸福、平等、自由を与えるものではない、ということですね。
>>[1]

 なるほど。
私は欧米型の文明に対峙して、アナーキーな古代の文明が欧米型文明と異なる価値観をもっていたという文明史を教えられました。以下の箇所にうなづきました。
======================「
人類学者は「国家なき社会」つまり「文字なき社会」を、基本的に対象とする。しかるに、人類学者こそ、民主主義をより曇りなく認識できる。なぜなら「民主主義者たちは過去200年にわたり、民衆の自己統治にかかわる諸理想を、国家という強制的装置に継ぎ木しようと試みてきた。しかし結局のところ、このような企てはまったくうまくいくものではない。国家とは、その本性からして、真に民主化されることなどありえないものなのだ。
」=====================
>>[2]

同感です。私も同じ個所に注目してます。
日本も、国家がなんとなく形成されてきた、弥生期より以前の縄文期に
文字もなく、統治形態やムラもはっきりしていないが、かなり、自由な平等社会が形成されていた、らしい。

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