孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】随想⑫カナダの教訓 2020-08-31 07:011

私はイラン・イラク戦争の時、イラクで勤務していた。戦争が終わってカナダに赴任になった。カナダ外務省のアジア局長とは懇意になり食事も一緒にした。私はこの局長に次のように嘆いた。局長はフランス系である（そのことは重要な意味を持っているのだが）。
「オタワは素晴らしい。町は清潔だ。文化水準も高い。先日ベラフォンテを聴きに行った。ゴルフは出来る。スキー場も近くにある。家族は満足している。でもね、一寸不満なこともある。日本とカナダの関係は良好だ。外交的に何の問題もない。つまり私には仕事がない。これまでのソ連やイラクや英国などでは仕事は山のようにあった」
局長は笑いながら「あなたは馬鹿だ」と言う。私は驚いて「何故」と聞く。彼は次のように解説した。
「日本の外交で一番重要なのは対米外交でしょう。対米外交で一番苦労しているのはどの国ですか。カナダですよ。“米国との関係をどうするか”、我々位苦労してきた国はありませんよ。それを学ばないとしたら、貴方は外交官として怠慢すぎる」
カナダとアメリカは必然的に対立する構図にある。陸続きで隣に位置している。経済力はアメリカの十分の一位である。「力の強いアメリカに迎合すればいいじゃないか」となるがそうはいかない。カナダはイギリス系とフランス系の二つの移民が主流だ。人数的にはイギリス系が多い。フランス系はケベック州に多い。政治を多数決だけで決めると、フランス系は「では独立します」となる。カナダの政治は誰が強いか、誰が多数かだけで決められない。物事の正当性で解決せざるを得ない。その考えは当然外交に反映される。正当性を求めるカナダと、力の強い者の考えで押し切ろうとする米国とは対立する宿命にある。
その代表例はカナダの首相ピアソンとアメリカ大統領ジョンソンの対立である。
1965年2月7日米軍が北ベトナム領内に対する爆撃「北爆」を開始、ベトナム戦争への本格介入に踏み切った。大統領はジョンソンである。これに対してカナダ首相は米国のテンプル大学で「タイミングを得た一時的軍事行動の停止は、外交工作を進展させる可能性がある」とやんわり批判した。怒ったジョンソン大統領はピアソン首相をキャンプ・デービッドに呼びつけ、食事時にジョンソンはピアソンの腕をつかんでテラスに連れ出し、シャツのカラーを掴み持ち上げ“貴様は俺の立場を台無しにした”と怒鳴り上げた。ジョンソンは大男で、ピアソンは小柄である。文字通りカナダの首相はつるし上げにあったのである。
さて問題はこれからである。
自国の首相が米国大統領に呼び出され、つるし上げにあった。日本だったら、大事な二国関係を不用意な発言で壊したとして、ピアソンに対する非難ごうごうとなるだろう。カナダは全く逆だった。カナダ外務省の建物は「ピアソン・ビルディング」と命名された。カナダ最大の都市、トロントの飛行場は「ピアソン飛行場」と呼ばれている。
カナダ人は自分達の国力は米国の１０分の１位の力しかないことは知っている。そして首相が「正義」を述べれば潰されることも知っている。しかし政治家が「正義」を述べない時、カナダと言う国が崩壊していくことも知っている。だからつるし上げという屈辱をうけたピアソンを敬う。