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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 大衆より一歩を先んじて進まねばならない。だが、三歩の先では進みすぎる、、、

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いったい労働組合の中に医者のようなインテリ技術者を入れるのはどうかという議論もある。
事務局や看護婦に比べてだんぜん離れた高給とりであり、医師免許証さえあればどこへ行っても食べていける自由職業である。
(当時は、医者と他の従業員との給料の差はひどかった。
私が佐久へ赴任した時の給料は550円であったが、同じときの看護婦さんの平均賃金はわずか15円。
今とくらべて格段の差といわねばならない。)
開業すればサラリードクターよりもさらに収入が増えるという、典型的なプチブルインテリだ。
だからしばしば極左的にもなるが、一転してひどい敗北主義にもおちいる。
しかしながら、もしも病院従業員組合から医者をぬかしてしまうならば、その力は半減するであろう。
ストライキも思うようにできなくなろう。
とにかく病院の皆が力を合せ、働く人間としての立場から労働組合を作って、そこで民主主義的な運営をやっていくということが、従来そういう経験のなかった私どもにとっては重要であると考えたのである。
この考えが私が前に述べたような転向の精神、「人民の中へ」、そして、何よりも人民大衆に結びついて、ともに進まなければならないという私の考えに根ざしていることはたしかだ。
大衆より一歩を先んじて進まねばならない。だが、三歩の先では進みすぎる、、、
【「村で病気とたたかう」1971、若月俊一 第1章「農民の中へ」より】
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ーー中風で入院している老人たち、とくに大小便たれ流しの彼らの姿は痛ましい。
入院中の食事の介助、入浴の世話、おしめや便器の交換、それらの面倒に精をつくす看護婦さんたちを、私どもは病院の中でありのままに撮った。
さらに、うす暗い農家の寝間で、寝たきりの老人たちのうつろな顔、その口をついて出る言葉、「早く死にたい」をそのまま写した。
そのフィルムを、第9回「農民の健康会議」(1968年1月、東京大手町「農協ホール」)で発表した。
会場をうずめていた全国の農協婦人部の母ちゃんたちはたいへんショックを受けたという。
写真を見に来た古川良範氏(「グループ現代」の指導者)はあとで私にこういった。
「僕たちは真剣に自己批判しなければならないと思いましたね。
素人のあなたがたの作ったフィルムの方に、はるかに多くの真実がある」と。
もちろん私たちはその言葉をうのみするほどうぬぼれてはいない。
しかし、私は考えた。
真実とはいったい何だろう。
このすばらしい女神は、ことによると、もし私たちが、民衆の立場に立って現実の改革にとりくもうとするならば、たとえ素人の私どもにでも、その美しい姿をかいまみせてくれるものかもしれない。
かように私どもの予防医学的宣伝啓蒙の活動は、劇団部の仕事から、今や機械化された映画班のそれにかわったといえよう。
しかし、劇団部が今日なくなってしまったわけではない。
劇には劇独自の場所とテーマと対象がある。
劇団部はその初心をつらぬいて、今日でも従業員組合活動の中で大きな役割を占めている。
ーー私どもは数年前、病院に付属して農村医学研修センターを作った。
大きな舞台と、500人もの座席がある。
去年はそこで、農薬中毒と闘う佐久病院の姿を劇「狭き窓より」二幕にして農村医学夏季大学講座で演じた。
500名の聴講生(主として保健婦、生活改良普及員、生活指導員など)たちから、そのあとの晩餐会の席上いろいろな発言があったが、一人の保健婦さんがつぎのようなあいさつをした。
「農薬中毒の研究のような学問的なしごとの中に、あんなにも政治や企業の力が入ってくるものとは知らなかった。
あれをみていると、いわゆる学問の中立性ということは、も早信じられない、、、」
【「村で病気とたたかう」1971、若月俊一 第4章「農村医学のはじまり」より】
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地域医療の重要性を論じるのはいい。
しかし、わが国の農村のコンミュニティ(地域社会)は、市町村自治体などと呼ばれてはいても、本当の意味で自治化されていないところに問題があるのだ。
まだルネッサンスを経てない私たちには、市民社会の論理がまだ一般の中にうちたてられていない。
そういうところには医療や保健がしばしば「上から」与えられやすいのだ。
「与えられた」ものは、自治を呼びさますどころか、逆に眠らせる役割をする。
シュワイツァー先生の仕事が、何よりもよく、そのことを証明しているのではないか。
ーーシュワイツァー博士のチャリティ(恩恵)は、結局、黒人の人間的自覚をおさえたのではなかったのか。
【「村で病気とたたかう」1971、若月俊一 第7章「農村病院の展望」より】
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コメント(1)

すーちゃんさん
「イイネ」を有り難うございます。

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