孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】随想⑤　美人局 2020-07-13 08:108

　私は１９９９年イランに大使として赴任した。出来るだけ早く現地の社会に溶け込みたいと思う。しかし、イランはイスラム教指導体制である。そう簡単に社会に入れない。そういう時に、イランの経済人から自宅に呼ばれた。喜んで出かけた。行くとパーティの真っ盛りである。楽団がタンゴやワルツの曲を演奏している。人々は踊っている。イランの美女もいる。私はそれまでに二回ソ連に勤務した。ソ連ではKGBが大使館員に色仕掛けで迫るケースが多々ある。昔、駐ソ英国大使と、駐ソ・仏大使夫妻が美人局にはまり脅かされている。私はテヘランでのその場の雰囲気に異常を感じた。生バンドで音楽を流せば当然外に聞こえる。イランでは革命防衛隊が、イラン人が西側文化にかぶれないか目を光らせている。主人に「近所の人は文句を言わないか」と聞くと、事前に金銭をあげてあるから大丈夫だという。異常だ。人々がダンスに興ずる間、しばらくして私は退席した。
そのパーティにいたトルコ大使に呼ばれて公邸に行くと同じ様にダンスパーティだった。
　この頃、大使夫妻の集まりで、ひときわ目を引く女性がいた。スペイン大使夫人である。新婚で、結婚式をあげてすぐテヘランに赴任したという。大使が得意になって結婚に至る経緯を話す。「妻は、闘牛を育てている牧場の娘なんです。この家の伝統で、結婚する時は、闘牛の前に立つんです。私も立ったのです」。おとなしい牛の前だが、一応命の危険を冒して結婚した。新婚だから仲睦ましく見えた。その内、外交官仲間の集まりにスペイン大使夫妻の姿が見えなくなった。当時、スペインはEUの議長国で、様々の調整を行っていた時期である。誰彼ともなく噂を言い始めた。「どうも、スペイン大使はイラン人女性と仲良くなったらしい。奥さんが怒ってスペインに帰り、彼は追っかけて国に戻った」。
　しばらくして、トルコ大使の様子もおかしい。聞くと、同じく夫人が帰国したらしい。彼もまたイラン女性と仲良くなった。その内、離婚したという噂が広がった。
　更にエジプト大使もおかしい。彼も又、イラン女性と仲良くなったらしい。ただ、エジプト大使夫人は賢夫人の誉れが高く、無事夫との仲を収めたようだった。このエジプト大使夫人はアレクサンドリアの出身という。肌が白い。彼女はある日次のように説明してくれた。
「どの宗教も奇跡を持っています。キリスト教にはキリストの復活があります。イスラム教の奇跡は何か知ってますか。コーランです。コーランのアラビア語の美しさ、完璧さ、あんな文章は人間では書けません。コーランの文章こそ奇跡なのです」
　私が外務省の国際情報局の課長をしていた時、局長は岡崎久彦氏である。彼は、後、駐サウジ大使になった。当時私はイラクに勤務していた。彼に招かれ、首都リアドに出かけ、サウジ情報機関の人とイラク情勢について意見交換した。
　岡崎氏はコーランについて厳しい評価を述べた。「あんな汚い宗教書はないよ。コーランを見るだけでイスラム教が嫌いになる」。エジプト大使夫人は「コーランの文章の美しさはは人間業でない」と言い、岡崎氏は「汚い」という。どうしてコーランに対する評価がこうも違うのか。答えは翻訳にある。日本語訳は著名な学者の訳である。だが、彼の訳文には品格がない。我々は外国の文献を翻訳で読む。多くの場合、訳は原文と違う印象を与える。