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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 2020 わたしが選んだこの一冊  河合文化教育研究所からの推薦図書

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==「実事求是」コロナ禍の今こそ、医科の精神==
推薦図書 「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(山岡淳一郎著・草思社文庫)
毎年、約9000人の若者が医師国家試験に合格して医療の世界に飛び込んでくる。期待と不安で胸がいっぱいの新人研修医には、「実事求是」という言葉をおくっている。
「実事」とは、実際の事実。
「求是」は真実をきわめること。
つまり、事実を実証して物事の真理を追求するという意味だ。
中国清朝の学問精神に由来している。
医療界でも、生まれたときから携帯電話があり、パソコンやゲーム機器に囲まれて育った世代が増えるにつれ、実事求是がますます大切になってきたと思う。
人間の身体は、若者が親しんできたバーチャルなものではない。
切れば血が出るリアルなものであり、人間が集まった社会もまた実事の塊なのだ。
そして、これらは間違いなく、つながっている。
臨床で患者さんを診ることは、患者さんの生活、その背景の環境や制度に直結しているのである。
このことを、私は「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(山岡淳一郎著・草思社文庫)を読んでつくづく思い知らされた。若い世代にもぜひ読んでほしい一冊だ。
後藤新平は、1857(安政4)年、岩手水沢の武家に生まれた。幼くして戊辰戦争をくぐり、一家は没落。後藤は、「占領軍」である明治新政府の行政官に才覚を見出され、新しい西洋医学を修める。
医学校を卒業して臨床現場に出た後藤は、死病と呼ばれたコレラと格闘した。
1877(明治10)年、西南戦争の帰還兵が神戸港に上陸するとコレラは猖獗をきわめた。患者は血に染まった軍服を着たまま下痢と吐しゃ物にまみれ、もだえ苦しむ。死人のそばで患者が泣きわめく。看護人は怖れて手を触れようともしない。後藤は、看護人を叱咤しつつ石炭酸水をふりかけて消毒し、患者を寝台に寝かせ、
薬液を口に含ませる。その光景は幼いころ体験した戊辰戦争の「地獄」と重なった。
後藤は自らに問いかける。
「人間とは、なんとあっけないものだろう。伝染病の前では敵も味方も関係ない。地位や経済力にかかわらず、人間は伝染病に罹れば死の淵に追い込まれる。人間の集団が生きのびるにはどうすればいいのだろうか、、、『何か』が、必要なのだ」
ここを起点に後藤は社会全体で伝染病を防ぐための「公衆衛生」に目覚める。病原菌を防ぐには上下水道を整え、家屋を清潔に保ち、道を広げなくてはならない。街づくりに通じる。臨床医から厚生官僚に転じた後藤は、次々と建策をした。
1892(明治25)年、ドイツ留学から帰国した後藤は、公的医療保険(疾病保険)の必要性を説く。
人間社会は、富や知識、生活力を平等に分配するのは難しい。だからこそ、「禍福平均法また長短補充法で社会に免るべからざる欠点を補う」と言明し、不平等をそのままにすれば、貧困がはびこり、労働力不足で生産力が落ちると見通す。
「一国の富は貧民にあるということをもって貧民を保護さすところのゆえんも明らかになってくるわけであります」と看破した。
現在の医療制度の根幹「国民皆保険制度」の原形がここにある。
やがて、後藤は植民地・台湾の統治官、国策会社「南満州鉄道(満鉄)」総裁を経て、政治家へと成り上がっていく。
関東大震災の発生時は内務大臣として「帝都復興計画」を短時日にまとめ、こんにちの東京の骨格をつくった。
本書は、よくある偉人伝ではない。後藤の生涯をスクリーンにして、そこに近代日本の夜明けから発展、流転の姿を鮮やかに映している。
臨床の知は社会形成に通じる。
同じ作家の『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)では臨床の知の現代的展開がつかめる。併せて読むといいだろう。
推薦 色平哲郎 いろひら・てつろう  2020年6月 河合塾教育研究開発本部

コメント(2)

たしかに、今こそ、後藤新平のような人物が出てきてほしいですね。

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