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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 映画「弁護人」、26日まで無料で観ることができます

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https://bit.ly/3dNoHKl   再生時間 02:07:57
1980年代初めの釜山。
学歴はないが、様々な案件を抱える売れっ子、税務弁護士ソン・ウソク(ソン・ガンホ)。
大手企業からのスカウトを受け、全国区の弁護士デビューを目の前にしていた。
ある日、駆け出しの頃にお世話になったクッパ店の息子ジヌ(イム・シワン)が事件に巻き込まれ、裁判を控えているという情報を聞く。
クッパ店の店主スネ(キム・ヨンエ)の切実な訴えを無視出来ず、拘置所の面会に行くが、そこで待ち受けていたジヌの信じがたい姿に衝撃を受ける。
軍事政権下、捏造された国家保安法違反による逮捕者が続出する中、多くの弁護士が引き受けようとしない事件の弁護をウソクは請け負うと決めるが……。
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1946年、釜山の貧しい農家に生まれた廬武鉉。頭脳は優秀ながら、お金がなかったため大学に行けず、アルバイトをしながら司法試験の勉強を始めた。
途中3年間の徴兵期間を経て、75年=29歳の時に、司法試験に合格。裁判官を経て弁護士となる。本作ではこの辺りからが、描かれる。
廬武鉉は、弁護士事務所の開業からしばらくは、税務を専門とし、お金儲けに邁進した。本作の中で、豊かになった主人公が、苦学時代に食い逃げした食堂にお金を返しに行くエピソードが登場するが、これも実話が基になっているという。
転機が訪れたのは、81年。同僚弁護士に頼まれ、「釜林(プリム)事件」の被害者の弁護を担当したことだった。この事件では、釜山でマルクス主義などの本の読書会をしていた、学生や教師、サラリーマンなど22人が、令状もなく突然逮捕された。彼らは2カ月もの間不法監禁され、過酷な拷問を受けていた。
当時の全斗煥(チョン・ドファン)政権は、軍事クーデターと不正選挙で権力の座に就いたこともあって、“民主化”を目指す者たちを敵視していた。そのため思想的な背景が深いとは言えない、読書会のような集まりにも目を付けて、「国家保安法」の名の下で、“アカ=共産主義者”“北朝鮮のスパイ”扱いをして摘発。徹底的な弾圧を加えていた。
それまではノンポリで、“民主化運動”などにも関心がなかった廬武鉉だが、弁護をする若者の身体に拷問の痕を見付け、強い衝撃を受ける。それがきっかけとなって彼は、金儲けの得意な弁護士から、180度の変身を遂げる。
この事件の弁護を、まるで「家族のように」献身的な姿勢で行ったのをはじめ、貧しい人々のために、“無料”で法律相談に乗ったり弁護を引き受けるなど、いわゆる“人権派弁護士”となったのである。
このような活動を邪魔に思った政権側は、検察を使って彼を拘束したり、弁護士資格を停止したりした。映画『弁護人』で描かれるのは、この辺りまでである。
こうした活動が注目され、廬武鉉は、野党政治家で民主化運動のリーダーの1人だった金泳三(キム・ヨンサム)から、政界入りを薦められる。そして88年に、国会議員に初当選。政治家の道を歩むこととなった。
国会での鋭い不正追及でスターとなった廬武鉉だが、権力側と野合を行った金泳三とは、やがて袂を分かつこととなる。金泳三は93年に大統領となるが、それも原因となって廬武鉉は、選挙では落選を繰り返すこととなる。
しかし98年に大統領となった、“左派”で“進歩派”の金大中(キム・デジュン)の下で、2000年に閣僚入り。
廬武鉉は海洋水産部の大臣を務め、次期大統領候補に浮上する。
そして2003年、金大中の後を継ぐ形で、廬武鉉は大統領選に勝利。第16代大韓民国大統領に就任することとなった。
韓国の大統領の任期は、1期5年と決まっている。廬武鉉政権の任期は、改革志向の政策を“保守系”のマスコミから目の敵にされたこともあって、批判に曝された5年間となった。不動産政策の失敗や経済的不平等の拡大に失望の声が上がり、北朝鮮に融和的な“太陽政策”が、北の“核実験”によって破綻したことも重なっ
て、支持率は急降下していった。
金大中・廬武鉉と続いた、10年間の“左派”“進歩派”政権に見切りをつけた国民は、2008年、次の大統領に“保守派”で“右派”の李明博(イ・ミョンバク)を選んだ。
では退任後の廬武鉉は、どんな生活を送ったのか?失意の日々を送ったのか?
そうではない。彼は故郷の農村に戻り、村の人々と農業の研究に勤しんだ。そして合鴨農法など環境型の農業を進め、農村の収益を高めることに貢献しようと努めたのである。それは、立ち遅れた地方の現実を何とかしたいという、彼の願いであった。
こうした振舞いが、好意的に受け止められた。現職大統領としては記録的な不支持に泣いた廬武鉉は、退任した大統領としては、最高の人気を得ることとなったのである。
これを深刻に受け止めたのが、廬武鉉の後を襲った、李明博大統領。就任直後から失政が重なって、前任者と比較されることが多くなった李明博は、マスコミ規制を強めると同時に、廬武鉉の“政治資金”を徹底的に洗い出そうとした。
強大な権力を誇る韓国の大統領は、ほぼ例外なく、“金絡み”のスキャンダルで末節を汚してしまう。大統領自らが汚職に手を染めて断罪されたケースもあれば、その身内や側近が権力を笠に着て、不正な金を手にしていたケースも多々ある。
廬武鉉は弁護士出身ということもあり、その辺りはかなり注意深く、不正な金は受け取らないように、借用書などの証拠を残していた。しかし大統領の任期中に、妻が企業家から100万ドルを受け取っていたことが、発覚。以降、自らも検察の厳しい調査を受けることとなった。
大統領任期中に、検察の改革にも手を付けようとし、その幹部を度々批判してきたことも災いした。廬武鉉は数カ月に及ぶ厳しい取り調べで健康を害し、心身共にボロボロになっていった。
遂には2009年5月23日。自宅の近所の山に登って、投身自殺を遂げてしまう。
判官びいきの側面もあるだろうが、廬武鉉の死後、彼を惜しむ声は尽きなかった。そして、彼を死に追いやった李明博政権を批判する声が、高まることとなった。
2013年2月に誕生した朴槿恵政権は、李明博と同じく“保系”で“右派”。1963年から79年まで16年間に渡って軍事独裁体制を敷いた朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘であり、その影響もあったのか、強権的な政権運営で、“左派”“進歩派”を締め上げる動きを強めた。
本作『弁護人』は、朴大統領就任から10カ月経った、13年の12月に韓国で公開されたが、その際にマスコミは妙なリアクシヨンを見せたと言われる。ソン・ガンホを筆頭に、クァク・ドウォン、オ・ダルス、アイドルのイム・シワンなど有名俳優が多数出演しているにも拘わらず、“保守系”の全国紙が、事前の映画評などをほ
とんど掲載しなかったのである。
公開後、観客動員が1100万人を超える、大ヒットとなった後は、さすがに無視できなくなったと見えて、論説やコラムなどで本作に触れるようになったというが、これは廬武鉉とは正反対の政治姿勢である、朴槿恵への“忖度”だったと見られる。映画『弁護人』を取り上げることに関して、自主規制を掛けたわけである。
https://www.thecinema.jp/article/777
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