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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 金色のラスター彩陶芸は世界の陶芸愛好家の憧憬の的。一時イランでは途絶える。それを人間国宝の故・加藤卓男氏が苦心の末復興。

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息子加藤幸兵衛氏が現在イランに伝道。1月15日より20日まで三越本店で幸兵衛・亮太郎(美濃焼)父子展
2020-01-15 09:012


転載:加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家、nippon.com

・美濃焼の産地として知られる岐阜県多治見市は、3世紀前に姿を消した伝統陶芸「ペルシャ・ラスター彩」の復興の地。陶芸家の加藤卓男は、20年近くに及ぶ試行錯誤の末、長年の謎だったラスター彩の製法を再現することに成功。現在は息子の加藤幸兵衛が父の遺志を継ぎ、イランの関係者と密接に協力。

・300年前に途絶えてしまった古代ペルシャの陶芸技法が現代の日本で再興、陶芸家の加藤卓男(1917〜2005年)が幻の陶器と呼ばれるラスター彩をよみがえらせたのは奇跡に近いこと。

・卓男は20年にわたる試練の時を経て、この壮大な試みを実現。ラスター彩復元の手がかりを解明し、その成果は息子の加藤幸兵衛へ。

・ラスター彩は9世紀のメソポタミアで誕生、西アジア全域に広まり、同地域の陶磁器芸術の頂点。ラスター彩の特徴である神秘的なきらめき、金を施したような仕上がり、そして精緻なデザイン、その類いまれな美しさが人々を引きつけていた。一時期エジプトで焼かれていたこともあったが、12世紀になるとレイ、カシャーンなど現イラン高原中心部が主な産地。18世紀頃に忽然と姿を消す。

・ラスター彩の復元は、それほど生やさしいことではなかった。なぜなら釉薬の組成や作り方といった基本的な情報さえ全く残っていなかった。日本や中国の陶器に関する専門知識も役に立たず、欧州や他の地域に伝わったラスター彩も技法が異なり参考にはならなかった。

・10年近く試行錯誤を重ねていた卓男は、息子で後継者の幸兵衛に日本での協力を求めた。幸兵衛は、指示に従って、釉薬の調合を試し、さまざまな作品の様式を研究し、多治見にある実家の工房にラスター彩を焼成するための窯を作った。

・故アーサー・アップハム・ポープ教授が行っていた研究の話を耳にしたのである。ポープ教授が残した膨大な資料には、釉薬の化学組成、焼成温度、窯の設計図など、ラスター彩の製法が詳細に記されていた。これらの資料を徹底的に調べた卓男は、これまでの自分のやり方が全く見当違いだったことに気が付いた。ペルシャ陶器の粘土は中国や日本の陶器で用いられているものとは異なり、釉薬にも鉛やスズ、ナトリウムなど東アジアの伝統的陶芸では使用されない成分が含まれていたのだ。またラスター彩の窯は一度に数個しか入らない小さなもので、焼成も低温で行われた。

・ポープ教授の資料をもとに着実に研究成果を上げていった卓男は、数年もしないうちにラスター彩の復元陶器と呼べるものを完成。

・卓男は2005年に死。卓男の死後、復活したラスター彩の伝統を守る役目を引き受けたのは7代目の幸兵衛。

米国NBC等報道「イスラエル情報機関が、米国がソレイマニ司令官暗殺を助けた」。イスラエルの主要紙ニ紙も元々の米国NBCを引用する形で報道。イラン系FARSもテヘラン発として報道。

・幸兵衛が、現在イランの文化関係者とともに取り組んでいるのは、ラスター彩の製法と知識をイランの陶芸家に伝授し、後世にも受け継がれるようにすることである。文化交流を目的に幸兵衛が設立に関わった東海イラン友好協会は、イランから2人の陶芸家を招き、多治見市で研修を実施した。2016年にイラン陶芸協会のベフザド・アジュダリ会長とカシャーン大学のアッバス・アクバリ教授は、3カ月間幸兵衛の指導を受けた。

コメント(3)

現在、NHK朝ドラで、スカーレットをやっていますから、少なからず、陶芸に興味を持ちました。
イランとは、そんな関係があるのですね。

レオナルドさん
すーちゃんさん
「イイネ」にお礼申し上げます。
>>[1]

イラン、・・・日本
シルクロードの文化圏のつながりもあるのかもしれません。

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