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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 「死ぬ覚悟」の香港デモ、暴力化する反中運動

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習近平国家主席が権力を握って以降、最大規模の公然とした反体制運動に

By Natasha Khan and Wenxin Fan
ウォール・ストリート・ジャーナル 2019 年 8 月 7 日 14:12 JST

 【香港】2014年に香港で起きた民主化要求デモ「雨傘運動」は、幹線道路を79日間にわたって占拠した。同デモに参加していたクロエさんは当時、路上に野営しながらスローガンを唱え、「希望の種」をまいた。だが結局、民主化要求は無視された。

 今夏、20代になった公務員のクロエさんは金属製のフェンスを結束バンドでつないで道路を封鎖し、警官に投げつけるためのレンガを歩道から掘り起こした。彼女の主な役割は「逮捕者支援」だ。拘束されたデモ参加者のために弁護士を雇う準備を整え、その家族が緊急事態プランに沿って行動する手助けをすることだ。

 「彼らの一部はこの運動のために死ぬ覚悟ができている」。クロエさんはこう話す。
「私も死ぬことはいとわない」

 中国政府による締めつけ強化に抗議する運動は、過去の民主化要求運動に比べて大規模かつ頻繁に発生し、より暴力的になっている。2014年の雨傘運動では学生がデモを主導していたが、現在の抗議運動は香港社会の幅広い層にまたがり、公務員や有名歌手、医師、商店主などが年齢を問わず参加している。また、過激な方法で市民的不服従を示す活動家への支持も前回より広がっている。

 現在のデモの強硬派は、ベテランリーダーの戦略に従わないことが多い。過去のやり方は失敗したとみなしているからだ。今は少人数グループの匿名のリーダーが組織して行動を起こす。2014年当時は運動を率いる学生リーダーが著名人となった。

 香港の抵抗は今や、2012年に習近平国家主席が権力を握って以降で最大規模の公然とした反体制運動に発展した。

 「他に選択肢がないという感覚が多くの人々の間にある。香港市民の声に耳を傾けさせるには、物理的な衝突が唯一の方法だという感覚だ」。民主化グループ「香港衆志(デモシスト)」のジェフリー・ゴー氏はこう話す。ゴー氏は自ら暴力を使うことはないが、一部の参加者がなぜそうした手段に訴えるのかは理解できると語った。

 政府が一歩も譲らず、警察がデモ隊の強制排除に乗り出すなか、住民側の不満はますます高まっている。最前線では警察が住宅地であっても催涙ガスを使い始めた。警官はデモ参加者を警棒で殴打したり、ショッピングモールや地下鉄の駅に突入してデモ参加者を力ずくで排除している。6月9日以降すでに420人を逮捕。一部は最長10年の禁錮刑に処される罪に問われている。

 中国政府は警察の対応を支持し、今回の騒動が我慢の限界を超えつつあるとのシグナルを送っている。人民解放軍の香港駐留部隊は先週、兵士による暴動鎮圧訓練の様子や市街戦の模擬訓練を紹介する動画を公開した。

 香港全域に広がったデモや集会は、先週末で9週連続となっており、一部では暴徒化もあった。5日には地下鉄や空港で大規模なストライキが行われ、数千人が出勤できずに自宅にとどまった。

 香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は5日、2週間ぶりに公式コメントを発表。香港が危険かつ不安定になっていると述べ、暴力的な抗議デモを非難した。同長官はデモ参加者の要求には一切応じなかった。

中国の想定超える

 抗議デモは6月上旬、犯罪容疑者の中国本土移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対する形で始まった。この法案は棚上げとなったが、正式に撤回されたわけではない。そして抗議デモは、中国の独裁体制から香港市民の権利を守るという一段と広範なイデオロギーの戦いへと発展した。

 それに拍車をかけているのが、中国本土からの移住者や観光客へのいら立ちだ。例えば、大学の定員を巡る競争激化や不動産の高騰、整列して並ぶ香港市民のマナーが乱されたことなどへの不満だ。抗議デモは観光や経済活動に影を落とし、企業の景況感や金融市場への打撃となっている。

 抗議行動の激しさは中国政府を驚かせた。香港を担当する中国当局者は非難を表明するとともに、香港の指導者に暴力的なデモ参加者を処罰するよう促し、香港の法と秩序を取り戻すのが「最も喫緊の課題」だと述べた。

 人民解放軍の将校らは、必要ならば介入する用意があると述べた。一方、香港政府は軍隊を動員する可能性を否定している。もしそうなれば、数百人が犠牲となった1989年の天安門事件を想起させることになる。中国当局は折に触れ、同事件は外国の影響を受けたせいだとしてきた。

 今回のデモは、中国共産党を弱体化させる拠点として香港を利用させてはならないとする中国政府の立場にとって試金石となる。林鄭長官は5日のコメントで、一部の過激主義者による革命の呼びかけ——ここ数週間、路上でよく聞かれるスローガン——が抗議そのものの性質を変化させたとし、これは中国の主権に対する挑発だと述べた。

 香港政府の戦略を知る関係者によると、同長官は騒ぎが過ぎ去るのを待つ思惑だという。9月になって学生が授業に戻れば、危機は収束すると見込んでいるのだ。同長官はデモに参加する多種多様なグループとの正式な対話には乗り出していない。

 デモ参加者はそうしたスケジュールを否定し、政府がきちんと対応しない限り、撤退はしないと主張する。

 デモで暴力もいとわないという考えは5年前までは異端だった。香港返還以降、抗議デモといえば、日没と同時に終了する平和的な行進か、ろうそくをともして整然と行われる徹夜の祈りだった。2014年に起きた雨傘運動は大規模かつ長く持続する抗議デモへと発展した。だが警察と数回衝突しただけで、たちまち各方面から非難を浴びた。催涙ガスが使われたのは1度きりだ。

「香港を取り戻せ」

 急進主義へのシフトは2016年に起きた抗議デモに端を発する。移動式屋台に対する警察の取り締まりをきっかけに、デモ隊と警察が激しく衝突。当時は「魚蛋革命(フィッシュボール革命)」と呼ばれた。

 権利拡大を要求したこのグループの2人の指導者、インテリアデザイナーのレイ・ウォン氏(25)と大学生のエドワード・リャン氏が逮捕され、暴動を扇動した罪に問われた。

 ウォン氏はドイツに逃げ、昨年亡命を認められた。リャン氏は香港で禁錮6年の判決を受けた。

 ウォン氏は2014年の平和的運動が失敗したのを受け、香港市民の権利を主張する急進的なグループを結成したと話す。同氏は中国本土からの移住者や観光客によって香港市民が隅に追いやられたと感じていた。グループの大義の1つは、本土出身者が香港で粉ミルクなどを大量に買いつけ、地元の物資不足を引き起こす「並行輸出」の慣習に矛先を向けることだった。一方で、本土のバイヤーが不動産価格を押し上げたり、条件のよ
い職業や大学定員の一部が本土出身者に奪われたりする状況もあった。

 ウォン氏とリャン氏は「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、われわれの時代の革命だ)」というスローガンを掲げた。最近のデモ参加者も再びこの言葉を唱えている。

 一部のデモ参加者は、警備が最も厳重な刑務所に収監されたリャン氏を「政治犯」とみなしており、その人生を描いたドキュメンタリー作品は6月に完売した。最近の衝突が起きた後、ある参加者は橋の下にこう落書きした。「エドワード・リャン君に早く会いたい」

 そのリャン氏は先月、フェイスブックに代理投稿された書簡の中でこう述べた。「これだけは理解してほしい。君たちは香港への愛情ゆえに、途方もない勇気を示し、香港の歴史を変えたのだ。しかし憎悪が君たちを支配するのを許してはならない」

 当局と対峙(たいじ)するなか、自主的に組織された急進的な抗議グループの多くは予測不能な動きをし、注目を集めるのを避けようとした。デモや集会は暗号化されたメッセージアプリを通じて、あるいは路上の群衆の間から瞬く間に出現した。参加者は時には1ブロック先で何が起きているかも知らない。1万人規模の群衆がすぐに集まり、何時間も道路を占拠したと思えば、機動隊と対決するや一瞬で姿を消すこともある。

 「彼らはスポンジのようだ。互いに情報を吸収し合っている」。ブライアン・リャン氏はこう語る。デモ隊とともに7月1日に立法会(議会)に突入し、議場を占拠した際にマスクを外した人物だ。「ここにはピラミッド構造の指揮系統はない。あるのはノード(結節点)だけ。ソーシャルネットワークと同じだ」

https://jp.wsj.com/…/SB126142613700083838987045854729022239…

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コメント(2)

60年安保闘争世代の私には、香港の学生のデモは、よく理解できるのですが・・・
いくら、1国2制度、とはいえ、やはり中国の一部。高度の民主化には、無理があるような気もする。
>>[1]

有難うございます。
香港と中国、異質なものがありますね。

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