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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】2019-07-17 08:21

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政権が醜悪に、残虐になればなるほど、残念ながらその国民は表向き政権支持に回るのです。第二次大戦中、本来自主性を持っているはずの文学者はほとんど戦争協力に組み込まれています(『日米開戦の正体 下』)今その傾向が出てきました。

戦前、戦中、主なる文学者はほとんどが戦争に協力したと言って良いと思います。
1940年「情報局」が設立されました。文学者の一元的組織である日本文学報国会は1942年5月26日に勧請しました。これは単なる互助機関ではありません。その目的に、「国家の要請するところに従って国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し以て国策の施行実践に協力する」とあります。
この組織の会長は徳富蘇峰です。小説(部会長・徳田秋声、理事・菊池寛、劇文学(部会長・武者小路実篤、幹事長・久保田万太郎、理事・山本有三)、評論随筆(理事・河上徹太郎)、詩(部会長・高村光太郎、幹事長・西條八十、理事・佐藤春夫)短歌(部会長・佐佐木信綱、幹事長・土屋文明、理事・水原秋桜子)俳句(部会長・高浜虚子)、外国文学(、幹事長・中野好夫、理事・辰野隆)の部会から構成されています。
こうした人々がどのように協力したか、尾崎秀樹著『近代文学の傷痕』は「大東亜文学者大会関係文献一覧(朝日新聞などに掲載)を掲載しています。
「大東亜文学者大会」は1942年に第一回を開催し、ここで横光利一が大会宣言をしています。、第二回大会は1943年に開催され、吉川英治が「大東亜戦まさ決裁の日を迎えたり。米英文化殲滅の鉄槌を下さざるべからず」と大会宣誓を行い、火野葦兵が「敵英米を殲滅し、その獣夷の精神を駆逐する」とする宣言を朗読しました。
この大会関連でどのような寄稿をしていたかをみれば、文学者たちの戦争推進への関与の凄さがわかります。
島崎藤村、  「大会への希望」
長谷川如是閑、 「全東亜の結合へ」
武者小路実篤、「大きな気概で」
草野心平、「予想以上の大成功」
林房雄、「日本の印象を殻る座残海」
佐藤春夫、「大東亜文学者決戦大会に切望す」
長与善郎、「力強い団結」。
高村光太郎、「友来る(詩)」
石川達三、「文学者の献身」
大仏次郎、「誠実溢るる空気」
金子光晴、「大東亜文学者大会に於て」
水原秋桜子、「大東亜文学者大会に寄せる」
高浜虚子、「季節の詩である俳句をもって賓客を迎える」
佐々木信綱、「大東亜文学者大会讃歌」
斉藤茂吉、「「大東亜文学者大会(詩)」
林房雄、 「次に為すべきこと」
亀井勝一郎、「感想」
 西条八十、「大東亜の供を迎えて(詩)」
 久米正雄。「真の友よ来れ」
 高見純。「バノウ首相に呈す」
 横光利一、「決意満蒙に高鳴る」
 丹羽文雄、「西下の一行に従ほて」
 山口誓子、「送る」
 織田作之助、「大阪大会の成果」
 武者小路実篤、「南京の大会への言葉」
 長谷川如是閑、「大東亜文化昂揚の根本義」
 谷川徹三、「東亜文芸復興(座談会)
 菊池寛、「友遠方より来る」
 奥野新太郎、武田泰淳、竹内好、中島健蔵、「日華の文化交流(座談会)
 草野心平ら、「満州、中国の文学界」
・亀井勝一郎の場合
「亀井勝一郎は,1942年、「文学界」が中心となった「近代の超克」座談会を河上徹太郎と企画し、日本文学報国会評論部門幹事となる。
「近代の超克」は,雑誌『文学界』1942年9、10月号に分載された論文と座談会により構成され,小林秀雄、三好達治、川上徹太郎、林房雄など13名が出席している。そこでは,大東亜戦争を、哲学、文学的に肯定する論が展開された。
 :亀井勝一郎(1907〜1966年は東京大文学部美学科入学。社会主義思想にふれ、共産主義青年同盟に加わって活動。1928年、退学後、4月に、治安維持法違反で検挙。「非合法的政治活動には向後一切関与せず」との転向上申書を書いて、釈放。
亀井の問題提起は、突然「民草の心に浸透さすべき最大の言葉としては、たゞ御詔勅あるのみ」「戦争より恐ろしいのは平和である」「奴隷の平和よりも王者の戦争を!」と言う結論にいたる。
敗戦後,亀井勝一郎は「我が精神の遍歴」((1948)『我が精神の遍歴』講談社)で、戦争協力を〈擬態〉であり,非国民といわれないように、本心を秘密警察・相互摘発から隠して,面従腹背の見せかけの戦争協力を行ったと弁解した。」
(出典:ブログ鳥飼行博研究室「戦争と文学」)
・北原白秋と佐藤春夫の場合
北原白秋は《とどろけよ、よろづよの道の臣、大御軍、いざふるへ、いくさびと....》,佐藤春夫は「大東亜戦争史序曲」と題して《勇猛果敢は相模太郎が膽、神速適確は源九郎が略、日本男子由来たたかひにくはし…》と書いている。
 1942年5月に文学報国会が、1942年12月に、言論報国会が設立された。それぞれ文学者、評論家が参加し、会長は徳富蘇峰。文学報国会設立に際しては、久米正雄が内閣総理大臣東條英機陸軍大将宛てに設立申請書を提出し、佐藤春夫、吉川英治などが理 事に名を連ねた。(出典:ブログ鳥飼行博研究室「戦争と文学」)
・山岡荘八・川端康成の場合
1930年代の日中戦争から,作家がライター,従軍記者などどして,前線にも送られているが,その中には多数の有名作家がいる。吉川英治、横光利一、菊池寛、火野葦平、大宅壮一、井伏鱒二、石川達三、山本荘八などである
山岡荘八・川端康成の両氏は1945年4月末から終戦まで、ずっと桜花隊と一緒に生活し、神雷部隊とはもっとも馴染みの深い作家だった。((出典:ブログ鳥飼行博研究室「戦争と文学」)

コメント(2)

今、マスメデイアや政府は、SMAP問題など、喧伝して、彼ら自身が、権力から圧力を受けて、偏向している事実を隠しているが、このときこそ、芸能人、作家、評論家の皆さんが、実態を暴露して、権力に抵抗することを期待する。
エーリヒさん
すーちゃんさんさん

どうも有難うございます。

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