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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 伊・学者は伊勢神宮をどう見たか。

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「大きな建物、柱、塔、モニュメントがあるのではない。(人々は)一つの小さな、(先史時代のスタイルで建てられた)飾り気のない小屋に収斂される。彼らは、ここ伊勢神宮で自然と共生すること!彼等は理解したんだ。
2019-04-19 08:491

天皇、皇后両陛下は17日、伊勢神宮に天皇陛下の譲位を報告するため、三重県伊勢市を訪問された。この伊勢神宮にイタリア人フォスコ・マライーニは何を見たか。

フォスコ・マライーニの経歴をウィキペディアで見る。

1938年に日本の外務省所管の国際学友会の奨学金を獲得し、妻子を伴い日本に留学する。北海道帝国大学医学部に所属しアイヌ研究の児玉作左衛門の指導を受ける。

1941年には京都帝国大学イタリア語科の教師となった。1943年イタリア王国の降伏後に成立しナチスの傀儡政権であったサロ共和国への忠誠を拒否したため、10月21日には敵国人として、妻と3人の娘と共に名古屋市天白の収容所へ移送される。この際、獄中での待遇の改善を訴えて斧で自らの左手の小指を切断している。その後、名古屋が空襲を受け収容所が消失したことにより石野村(現 豊田市東広瀬町)にある広済寺に移ることになる。1945年8月30日に解放され翌年イタリアに帰国する。

1953年に再来日し、日本各地を巡って記録映画を撮影した。フィレンツェ大学教育学部で日本語・日本文学科を創設し1983年まで務め、その間ジュリアーナ・ストラミジョーリとともに、伊日文化研究会(AISTUGIA)を創立した。

フォスコ・マライーニ著『随筆日本―イタリア人の見た昭和の日本』(松籟社、2009年)

より引用。

(伊勢神宮)大きな建物、柱、塔、モニュメントがあるのではないか。ところがそんなものなど、どこにもない。(人々は)一つの小さな、(先史時代のスタイルで建てられた)飾り気のない小屋に収斂される。

自然と共生すること!彼等は理解したんだ。自然は、人間の作るどんなものにもまして、万物の根本的な尊敬を呼び覚ますことを。

記述「私達は伊勢神宮や出雲大社を訪問する。広大な自然がある。神社自体の建築は目を見張るものでない。しかし、自然に入ること、そのものに意義があると考えると違った視野が広がる。フォスコ・マライーニは一九一二年生まれ。一九三八年来日。一九四一年に京都帝国大学の教員になる。戦後、フィレンツェ大学教育学部で日本語・日本文学科を創設した。マライーニは伊勢神宮を訪れて、日本について発見をする。

 彼の訪問記を見てみよう。「伊勢には、特に崇拝されている二つの場所がある。外宮と内宮である。二つの神宮は互いに数キロ離れた場所にある。一帯には、森におおわれた小さな丘陵があり、澄んだ水が明るい色をした小石の並ぶ川床をキラキラと光りながら流れている(中略)。両脇には杉の並木がある。このとてつもない大きい木の、夜の天穹のように壮大な眺めは、人の魂に、目に見えないものとの親密な対話を呼び起こす。巨大な木は、互いに排除し合っているように見える二つの現実、生命と永遠とを、奇跡が起きたように一つに体現している」。行けども巨大な建造物はない。そして自然にいること自体の意義を見出す。「この点において、日本人は偉大だと認められるべきである。何千年にもわたって、日本人は、最初は中国、仏教文化、後にはヨーロッパ、西洋文化という圧倒的な文化の圧力に耐え、ついには敗北を喫するにもかかわらず、起源への崇拝を、自然や神々との神秘的な繋がりを保ち続けたからである。永遠の天啓である自然と共生すること!彼等は理解したんだ。自然は、人間の作るどんなものにもまして、万物の根本的な尊敬を呼び覚ますことを。」

コメント(1)

すーちゃんさん

「イイネ」に感謝申し上げます。

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